1911年 10月 3日。











「大佐、家ある…」
中央司令部、マスタング大佐の執務室に所要の手続きと情報の交換のため
やって来ていたエドワードの口から降って湧いた言葉。
どうして、またこんなことを彼は言い出したのだろうと、言葉の意味を探ろうと
思うのだけど。
その彼の表情は、窺い知れない。彼はロイに視線を合わす事もなく執務室の窓
から見える景色をみながら声を発している。だから、ロイには彼の後姿しか
見えない。
いや、見せたくなかったのかも知れない。どことなく、彼の背には哀愁を感じる。
「家?自宅かい…」
ロイには家の意味がよくわからずに、再度聴き直す。
「帰る家…」
――、なら君も知っているではないか」
「ううん…。違う。その家じゃない。故郷の家…」
何となくエドワードの言わんとする言葉の意味がわかり始める。だから、ロイは
慎重に言葉を選んで応える。
「あるよ…。それが、どうかしたのかね」
「そう…」
本日のエドワードには、元気がない。何か物思いに浸っている感じがする。ロイは
ふとカレンダーの日付を確認する。日付は10月3日。何の記念も標されていない
日だと思ったのだが。まだ、こちらを向いてくれないエドワードの背に何かを
感じる。だが、彼からの言葉を待とうとロイは彼が話してくれるまで、ゆっくりと
待つことにした。
焦らずに、ゆっくりと。
執務室は静まり返る。
外から聴こえる喧騒が僅かに、室内へ音として聴こえるだけ。
「帰れる家がある人はいいと思う…」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいくエドワード。彼の言葉は深海の底から浮き出る
泡のようにゆっくりと意味を現実化していく。
「なぜ…、私はあまり故郷には帰る時間もないし、帰ろうとも思っていないが…」
「帰れる場所があるというだけマシだ…」
「あまり意味を成さないと思うのだが…、それでもかい」
「もし、もしも…。今いる場所に帰ることが…いや、居ることができなくても…。
その故郷には居場所があるから」
―― 自分は帰らないと誓っていてもかい」
「そう、帰らないと思っているから。なおさらだよ。帰れないとは違う」
「帰れない …?」
エドワードがやっとロイの方に向きなおすが、彼の表情は今にも泣きそうな
笑顔を彼に向けている。悲しい笑顔。思わず抱きしめてやりたくなる顔。
どうして、君はそんな表情をしているのか、と思わずにはいられない。
「家に帰らないと家に帰れないは、違うんだよ。大佐…」
琥珀色に輝いているはずの瞳に、涙というフレームが掛かっている。今にも
そのフレームから涙が零れそうだ。
私はどうしたら良いのだろうか。
どうすべきなのだろうか、この子に。
ロイの言葉は途切れてしまう。
「君は…」
「オレは、帰れない。戻れない…。あの頃には、帰れない。帰っちゃいけない」
くっ、と口唇を噛み締める彼の姿がロイの瞳に焼き付いていく。今までの経緯を
知るロイは自分を責めるなと言葉が出そうになるけれども、ぐっと押さえる。
では、自分の胸にエドワードの心と身体を抱きしめてやりたいと思うけれども。
それもあえてやらない。今の彼にどれを与えても何の意味も成さないだろうと
思ったから。
1911年。彼がロイのところにやって来た。その時のエドワードの琥珀色の瞳には
すさまじい意思と信念が宿っていた。
「そう思ったから、オレは自分で家を焼いた…」
―――― …」
エドワードの言葉に愕然とする。
彼は自らの手によって退路を断ったのか。改めてエドワードの決意の固さを
ロイは知る。
もしかして、その日が10月3日なのではと、心によぎる。だから、彼は自分自身に
言い聞かせる様に私に話しているのだろうかと。
エドワードの表情は固く、泣いているように見える。涙は見えないが。
それでも、彼の心が涙を零しているように私には見える。
拭ってやりたいと思うのだが、そうはいかず。彼の言葉を一言一句聞き逃さぬ
ように耳を傾けることに集中する。
「だから、オレ達には家がない。帰れる家がない」
「それは君の決意なのだろう」
「そう、何もかもゼロからリセットする為に、な。でも気持ちは、心はリセット
できない。どんな人間でもそれは出来ないと思う。オレ達の生きてきた道は
消せないから」
「できないとわかっていても、君は…」
簡単に「家を焼いた」という単語をロイが口にすることはできなかったから、ロイの
言葉はそこでとまる。
「リセットできるという事はな。アルの事もなかったことにできるということだと思う。
絶対にそれは、できない。アイツをあんなにしたのは…、オレだから」
それは、違うとロイは喉元まで言葉が出掛かったが、彼に告げるのはやめた。
聡明な子だからわかっている。理解はしている、それでも納得のいかないことが
はがゆいのだろう。だから、私に、こんな話をするのだろうと思う。
―――、隠したから、消し去ったから何もかも、リセットなんて出来るはずなんて
ないのにね。オレ、親父に言われた。リゼンブールで」
始めて、エドワードの口から父親という言葉が出たことに驚いた。決して話そうと
しなかった。
嫌悪している事もよくわかっていた。
それなのに、よほどの出来事があったのだろう。
「わかってんだよ。形だけでも消したかったんだ。オレ…、だから家を焼いた。
もう、帰れないんだぞとわからせる為に。でもな…、でも…」
エドワードの顔が次第に俯いていく。ゆっくりとスローモーションのように。
そして、重力に従うように一滴の水滴がぽたりと堕ちていく。
一滴、二滴と。床に染みを作っていく。
「エド…」
チャリと音がする。エドワードが後ろ手でポケットから銀時計を取り出す。それは
カチャと音を鳴らしながら開かれる。
開かれた銀時計をじっと見つめながら、涙をおとしていく。
彼の瞳は、しっかりと焼き付けるように見つめている。
「こうやって、何にでも形に残さないと駄目なんだ
――、オレ…」
ロイはこの時の彼の表情を一生忘れられないと思った。不謹慎かもしれないが、
瞳を奪われてしまった。窓から燦々と光輝く太陽の下で、独り混迷の闇に身を
沈ませている彼の瞳からは金色の雫がきらりと流れている。




綺麗だ。
その意思を知るから言える。
美しいと。
しばらくの間、彼の闇の部分に魅入ってしまった。だが、彼の光の部分も
知っている。
だから、背後からの日の光が眩しいのだろう。
素直な彼。
穢れなき魂。彼は魂を真理に等価交換してしまったと思っているかも知れない
が、決してそんなことはない。

何故なら、全てを形にして残してしまう事を悔やんでいるから。
弱い彼。強い彼。
そんな彼が私には眩しく、そして愛おしい。




ロイの身体が誘われるようにエドワードに近づく。彼は俯いたままだ。
「エド、エドワード。いいのだよ。それで…。家はなくとも、帰りたいと思っても。
場所がなくても、居場所を求めても。君がいる今の場所が、未来へと続く」
「大佐…、ロイ…。オレ、願ってもいい…」
「ああ、君が今いる場所が起点だ。だから、今は私の胸が君の場所だ」
そう言うと、ロイはエドワードの肩をぐっと寄せ、頭を胸に押し付けた。
荒い抱擁かもしれないが、そこがエドワードにとって穏やかで温かい居場所が
できる。
自然とエドワードの両腕がロイの背に回されて、蒼色の軍服に皺を寄せるように
しがみついた。そして、自らロイの厚い胸板に額を摺り寄せる。
そんな彼の金糸の頭をロイは優しく撫で続ける。
「いいのだよ。場所を失っても思う事は自由だ。形にしないといけないと思っても
忘れることは出来ない。それは人だからだよ」
――、人だから」
「そう、人だから。感情や記憶を私達は忘れることはできない。それは本能で
私達の脳に刻みこまれているから」
わかる、その通りだと。忘れたくても忘れられない物もある。それと一緒に
刻まなくても刻み込まれている物もあるのを知っている。
だから、残しておきたいという思いもある。それは、人だから。
――、うん…」
そうなのだ。形にしないといけないと思っていても形にせずとも本能は絶対に
忘れることはできない。
だから、いつもその日になると今の自分と前の自分を振り返ってしまう。
それでいいのだ。
振り返ったぶん、そこが起点になるから。

1911年10月3日。
「家を焼いた日」
「帰れない場所を作った日」
「帰りたい場所を作った日」
「刻印を刻んだ日」
「起点に戻る日」













遅くなりました(汗)
記念日を…。今頃約一ヶ月遅れです☆
どうも、記念日関係に疎い桜です。


桜 美由紀 2005/11/4





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