愛すること、愛されること。(1)
屋敷中にビリビリと雷が落ちたような音が轟いた。
使用人達がビクつく。
帰ってきた当主に怯えながら第一声を出す。
「申し訳ございません。旦那様」
荒々しく玄関を開けて部屋に入ったロイの目の前には、早々に女中頭のアームストロング夫人が深々と頭を下げていた。
その横では泣き濡れて言葉にならない年若い女中が震えていた。
ロイは彼女らをきっと睨み上げ言う。
「そんなことよりエドワードの容態は」
激しい口調にさらに小さくなる女中達。おそるおそる女中頭が容態を告げる。
「―― …」
絶句した。
ロイにとって峻厳な内容であった。彼の顔色が見る見る青褪めていく。
「わ、私を助けようとしてエドはあの人達に見つかって。あ、あの申し訳ございません! 大事な身体なのに…」
泣き崩れる彼女を女中頭が宥める。
年若い女中。名はロゼと言う。エドワードと年も近く仲良く働いていた。彼女が、どうしてこんな悲劇が起きてしまったのか泣きながら話す。そして彼女は自分を責め続けた。
あんなに大切にしていたのに。
あんなに喜んでいたのに。
何故だ!どうしてだ!
「ど、どちらへ…旦那様」
彼女らを置いてズカズカと寝室へ入ろうとするロイを制止する。
「只今、ヒューズ様の手当てを受けておられます。どうぞお待ちくださいませ」
昔の冷徹な瞳を女中に向ける。
その瞳だけで凍て殺されそうになる。恐怖の瞳。
「何を悠長な事を言っている。あれほど注意していたのだぞ!」
「申し訳ございません」
深々と主人の言葉に頭を下げるしかない。
「何故誰も気付かなかった!」
この言葉はロイ自身にも重く圧し掛かっていた。自分がもっと注意していれば良かった。こんな事に巻き込まれる可能性は十分あったのだから。
怒りは浸透していく。
ロイは握り締めた拳に更に力を入れた。
そうやっとの事で手に入れた。
愛する人を。
愛する事を教えてくれた人を。
* * *
近代的社会へと急成長する時代。
西洋式の文化が随所に見られ、和洋折衷の建造物が目立ち始めた。社会は資本家を中心に大きく発展していた頃。
そんな資本家達の一人であり、貿易商を営むロイ・マスタング。
仕事の鬼と噂され、金のためなら悪魔にも魂を売ると評判の冷酷無比な男。
世の中金で何もかも買えると思っていた。
そう人の心も。巨万の富もそうやって手に入れてきた。
つまらない毎日の生活。
女性と言えば、弄んで終わり。
何ら愛を語ることはない。愛そうとしない。
そんな彼が唯一心を開き愛した人。
エドワード・エルリック。
彼は物珍しい奴隷として貧困生活を強いられていた。
「ふたなりの身体」を持つ彼は見世物小屋に出されていた。そこには恥辱も屈辱もない世界。だが、荒んだ生活を送るわりに彼は悲嘆な顔を見せようとしない少年だった。
まったく環境が違う彼らは偶然出会った。
出会った当初。
生意気なガリガリの薄汚い少年。
高慢ちきな嫌な男。
そんな印象を持っていた。お互い決して交わる事がない。
平行線を描き続けるだろうと。
だが、2人はいつしか心を通じさせるようになった。
愛を知らない男が恋をして
愛を囁いた。
愛される事を恐れていた少年が愛される事を受け入れた。
ロイは周囲の反対を押し切って彼を屋敷に入れた。
使用人の一人としてこの屋敷に住まわせたのだ。その方があんな荒んだ生活よりマシだろうと。
まだ、その頃はお互いの感情に気付くことはなかった。
恋、愛という芽は芽生えたばかりだった。
だが、月日を共に過ごすうちに彼らの感情が正比例するようになってきた。
そしてロイは彼を妻に迎えたいとエドワードに告げたのだ。
大きな瞳を更に大きくしてロイの顔を見上げていた。
だが、彼は悲壮な思いを告げた。今にも金色の瞳から涙が零れそうだ。
「オレにアンタの子供を身籠るのは無理だよ」
そんな事を悩んでいたのかとロイは思った。子供など、どうでも良かった。
跡継ぎが欲しい訳ではない。
彼が欲しいのだ。
蜂蜜色の髪。金色に輝く瞳。世界で有名な景徳鎮の陶器を思わせる白い肌。
そして彼の誇り高い意思。
自分の根底の考えを全て変えた、彼の心。
「いいのだよ。子供が欲しいとか思っていない。君が傍にいて欲しい」
屋敷の書庫。
有数の名家であるマスタング家には数え切れない書籍が収蔵されていた。ここはエドワードの仕事場であり一番好きな場所でもあった。
カビと埃の匂いが混ざって空気が澱んでいる。
光が極わずかに射す場所でロイはエドワードの両肩を掴み告げる。
こんな想い今迄した事がなかった。
しようとも思った事はなかった。
だが、ロイは冷酷な仮面をエドワードの心によって引き剥がされた。
そして彼は人を愛する事を知る。
エドワードは愛される事を知った。あの人間以下の荒廃した生活に突然現われたロイという人間が彼の心の壁を少しずつ崩していった。
だけど、ロイの想いが強すぎて怖い。プルプルと首を振る。
「アンタ、この家を繁栄させなくっちゃいけないだろう。オレは無理だよ」
「そんな事どうでもいい!」
必死の瞳がエドワードに注がれる。昔、自分の事を蔑んでいた瞳ではない。熱心に愛を注ぐ瞳。
だけど……。
「それにオレがあの見世物小屋でどんな事させられていたか、知っているだろ」
「そんな事始めからわかっている!」
エドワードの心にロイの声は強く、優しく響く。
愛される喜びを知ってしまった。本当はずっとこの人の傍にいたい。
傍にいられるだけでいい。思慕するだけで良かった。
だけど。
彼は自分が卑怯者でも良い、と狡猾な言葉を彼に言う。
「どうしてもっていうならオレ日陰者でいいから。ちゃんとした奥さん貰いなよ」
彼の切ない言葉に心が千切られそうになる。
「何を言っているのだね! 私は君以外誰も愛せないし、愛さない」
「ロイ…」
「そんな男に君は女性を宛がうのかね」
ぐっとロイの瞳を見つめ返す。見上げた瞳から今にも涙が零れ落ちそうだった。
「オレだって一緒にいたい。本当はずっと傍にいたい。アンタが他の人と…何か嫌だ。でも…」
ロイと出会うまで辛く苦しい生活をしてきた。人間扱いされていなかった彼。それでも涙を流すことはなかった。
愛される事を知らなかった心は枯れて冷え切っていた。だから涙も枯れ果てていた。
そんな彼が、ロイの為に自分の為に涙を流している。
金色の瞳から溢れ出す涙の雫は綺麗だった。こんなに気高く美しい涙を今迄見た事がなかった。
もうこれ以上何を言っても彼の心は迷うばかりだろう。
ロイは初めてエドワードの身体を強引に抱きしめ口唇を奪った。いつもの触れるだけの口付けではない。
口腔を貪る激しい接吻。
男として欲情を彼に叩きつけた。
ロイは初めてエドワードを抱いた。彼が性的な欲情を異常に恐れる事をロイは知っていたから今迄この欲情を抑えてきた。大切に思ってきた。大切にしてやりたかった。
だけど、もう待てなかった。
続く
やっとサイト上で連載開始です。現在別館?で(15)まで更新してます。
こちらに徐々に移して行く予定です!
シリアス路線で走っていきますので、宜しくです。感想お待ちしております。
桜 美由紀 2006/2/28