愛すること、愛されること。(4)
運転手兼ボディーガードを勤めるジャン・ハボックは広い屋敷の一角にある小部屋に入ろうとしていた。
ちょっとばかり一服しようと思ってやって来たのだ。
五月蝿いアームストロング夫人に見つからないように、こっそり忍び足でここまで来た。屋敷内禁煙で、喫煙派のハボックには拷問だ。
にひひ、と笑いながら取っ手を掴むと、扉は中途半端に開かれていた。不思議に思いその隙間から中を伺って見る。部屋には太陽の光が射し込んでいた。その光に負けないまばゆいばかりの金髪が、まず目に飛び込んでくる。それから肩から滑り落ちそうな着物。項から覗き見える白い肌。
誰だ。
後姿でわからない。が、見覚えがある。
扉が自然に開いて気づけば足が一歩、二歩と部屋に吸い込まれるように入ってしまった。
背後から忍び寄る気配に気づいたらしく金髪の子はビクッと肩を反応させると、驚いたように振り返る。
「あっ―!」
震える声が小さく聴こえた。
金色の瞳が大きく見開かれてこちらを見ている。その瞳からはポロポロと水滴、涙が流れ落ちていた。
黙ってその様を眺めていた。
綺麗だった。スローモーションのように目に残像が残っている。
それから、やっと事の重大性に気づき声を掛ける。
「エド!? どうした…」
その言葉で止っていた時間が動き出す。が、声を掛けられたエドワードは静かに俯き首を横に振る。乱れた着物の生地をぎゅっと握り締めている姿は悩ましい。
何でもないと首を横に振っている。
明らかに様子がおかしい彼を繁々と見た。ペタリと床に座りだるそうに肩を落としている。着物は肌蹴、帯が辛うじて結ばれている状態。絡み合ってボサボサの金髪。両手首に薄っすらと内出血した痕。そう誰かに強く握られたような。そして、最悪な事に肌蹴た着物の裾から見えたものは白濁した精液。ちらりと見える白い内股の奥からそれは流れていた。
目を覆う姿だ。
アームストロング夫人に以前注意を受けた事を思い出す。
この子の出自は卑しい淫売である。
絶対に如何わしい行為に誘惑されてはいけないと。しかし、それは杞憂にすぎなかった。この数ヶ月一緒に働いてきてわかった事だ。
いい子だ。陰日向なくよく働く子だ。
だから、思わずかっとなり大声を張り上げた。
「誰がやった!」
その声にビクつき震えながら首を左右に大きく振る。頑なに拒否する姿が犯人を庇っているように見えた。
ハボックは屋敷の使用人達の顔を思い浮かべる。が、誰もこんな過ちを犯したりしない。では、誰だ。
ああ、何てこった!一人思い当たる人物がいた。
ハボックは彼に近づき視線を合わせるように膝を折る。そっと肩に触れようと手を伸ばすが、パシッと音を立てて払いのけられる。
深く溜息をつく。それから、出来るだけ傷つけないように優しく訊く。
「旦那様か…」
「違う!」
すぐさま否定する返事が返ってきた。
嘘がつけない性格が幸いしてか、その態度でハボックに真実を告げてしまう。
ふうっとため息をつくたび、空気が重くなる感じがした。
大きな手で目の前を覆い視線を斜め下に向けて、瞬きする。それから頭の中を整理した。
「どっか怪我してないか」
ハボックの問いかけに素直に首を小さく縦に振った。知られてしまったからには何も弁明はできない。だけど一つだけ約束して欲しいことがある。
「この事誰にも言わないで…」
縋るような瞳でハボックを見上げた。
こんな事が使用人達の間で噂されれば、ロイの品格を疑われてしまう。それだけは嫌だったから。
だけどそんな浅慮、意味がなかった。それはこの後わかる事だったが。
エドワードの悲痛な叫びに眉間に皺がよる。
「旦那様から何か言われたのか」
鋭い事を訊かれ驚いてしまう。だけど二人が恋仲であることは秘密にしたかった。
知られたくなかった。
知られてはいけない。
「何も……」
さっきまで見上げていた瞳は虚ろに下を向く。しかし、そんな態度が余計に何か、あったことを伝えてしまう。
「おまえはそれでいいのか。やっといい関係になってきたんじゃないのか。それなのに身体を穢されたんじゃおまえの立場がないだろう」
「いいんだよ。そんなの傍にいられるだけでいいんだ!」
「もう隠さなくていいよ。俺や秘書のホークアイさんは気づいてるよ。旦那様がおまえに好意を持っていること」
ハボックの辛そうな顔を見た。
と、その瞳から逃げ出した。知られていたという事実に驚きを隠せない。
ぐっと着物を握り締める手に力が入る。
「だからって何も変わんないよ! 埋められない越えられない。この差はどうしようもない。見ろよ、オレのこの穢れた醜い身体! その上奇形だよ。こんなじゃ旦那様の将来を穢すだけのお荷物だ」
着崩れた着物の胸元をぎゅっと手繰り寄せ、挑みかかるような瞳でハボックに訴える。
「そんなに自分を蔑むな! おまえは綺麗だよ。だからあの旦那様に微笑が戻ってきたんだよ」
「それでも、ダメなもんはダメなんだ!」
小さな肩を震わせてしゃくり上げている。ぽたぽたと床に涙の泉が出来上がってしまう。
どうすることもできない。
現実は厳しく辛い。
ハボックも理想論である事ぐらいわかる。この少年の苦悩がわからない訳ではない。ただ、この煮え切れない思いを吐き出す術がなかった。
肩を小刻みに震わせている金色の少年の頭をくしゃくしゃと掻き撫でてやることぐらいしか出来なかった。
そして。
「不器用だな。おまえは…。こっちがどうにかしてやりてぇーよ」
と、独り言のように呟いた。
彼の孤独な涙をずっと見守っていた。
先程まで燦々と光が射し込んでいた太陽が西へ沈もうとする頃。やっと嗚咽を漏らしていた声が聴こえなくなった。
「ん、落ち着いたか」
すると金色の少年は首を小さく縦に振り、顔を上げて涙を拭った。
目元を赤く腫らしていた。
「そうか。お湯持ってきてやるよ」
「わりぃ」
疲れた鼻声が小さく耳に届く。
すると、穏やかな視線で気にするなと目で合図された。
太陽の位置で随分時間が経過している事を知った。この屋敷の使用人であるエドワードには仕事が待っていた。戻らねばならない。
それは一緒に居てくれていたハボックもだ。
咥えタバコでハボックが洗面器とタオルを持ってきてくれた。タバコの火は点いていない。アームストロング夫人に見つからないように細心の注意を彼は払ってここに帰ってきた。
激しい性交で疲れきった身体を温かいタオルで拭っていく。それから泣いて赤くなった目元。よれよれの着物を綺麗に着直し、ゆっくりと立ち上がり身支度をしていく。
ハボックはそんな憐れな姿を見ないように窓辺でタバコを吸っていた。
「大丈夫か」
心配げに声をかける、と薄笑が返ってきた。
少しは元気になったようでハボックは安堵する。それから、ちょっと酷だが重要な事を彼に話した。そう自分達はこの屋敷の使用人という事を忘れてはいけない。
「旦那様の前でも普通にしていられるか」
彼の顔を覗き込むようにして、その瞳は真剣だった。
その瞳を大きな金目が見つめ返した。そして首は、縦に大きく振られた。
その儚い姿に沈痛な表情をふっと浮かべたが、次に現われたのはいつもの飄々としたハボックの顔だった。
エドワードも必死にいつもの表情を作る。が、少しぎこちなかった。
「心配かけてワリィな…」
「いいよ。何かあったらすぐに俺に相談しろよ!いいな」
「うん、ありがとな」
二人はこの部屋を後にするのだった。
それから数時間後には使用人全員がロイの前に整列する。その時エドワードもハボックも何事もなかったように振舞っていた。
ただ、ロイが心痛な表情をエドワードに向けていた。
続く
嗚呼、ハボックいい奴だな。そう思って書いた。
そして、根底の闇を持つエドワード…。それは原作も一緒!
憐れな君にいつか救いがくる事を祈ります!
桜 美由紀 2006/3/9