愛すること、愛されること。(5)
姿勢正しく扉の前に立ちノックをする。
「旦那様お呼びでしょうか」
アームストロング夫人が両手を腹の前に重ねて返事を待つ。
しばらくすると部屋の奥からだろう低音の聞き慣れた声が返ってくる。
「入りたまえ」
扉を開け一礼して彼女は部屋へと入っていく。
この部屋は当主の私室。許可なく入室することは固く禁じられている。信用ある使用人がこの部屋を任されていた。
寝室と書斎を兼ねた広い部屋。さすが貿易商。
部屋の調度品は外国製の高級な家具ばかりだ。豪華な柄を色調豊かに美しく織り込んだ絨毯を惜しげもなく部屋中に敷き詰められていた。その上に高級家具が点在している。
どの家具も持ち主の人格を現すような品ばかりだ。
夫人は部屋に入ってすぐにあるリビングソファーセットを通り過ぎ当主が愛用している書斎デスクの前へ歩いていく。
革張りの黒い重厚な椅子に座っている当主は背中を見せていた。
「何の御用でしょうか。旦那様」
当主の前へ辿りついた夫人は彼の言葉を待つ。当主は背を向けたまま。
「エドワードをこの部屋に呼ぶように」
何の躊躇いも無くそう言った。
彼女は表情を変えることなくその用件を訊き返す。
「夜分、彼に何の用でしょうか」
夜分と彼女が言ったあたり言葉に棘を感じる。
やはり彼の右肩がピクリと上がった。気に障ったようだ。それでも彼女の顔は表情を崩すことはない。
使用人分際をこんな時間に当主の私室に入れる事は普通考えられない。それに呼び出す相手はあのエドワードだ。女中頭としてこれを許す訳にはいかない。
たとえこれが当主の命令としても訊く訳にはいかなかった。
「私が用向きを伝えてまいりますが」
「いや彼を私の元に」
夫人の言葉が気に入らないと言わんばかりの返答が返ってくる。
私の元にと、言う辺りただならぬ気配を感じた。女としての直感が働く。夫人は率直な意見を容赦なく告げる。
「旦那様。なりません! あの者とは決して関わってはなりません!」
自分の意思を言わずともわかってしまった夫人の不同意な意見に耳を貸すつもりはなかった。
ぐるりと椅子を回転させて彼女と向き合う。その瞳はギラリと強い意志を孕んでいた。
当主の威厳の高さを見せ付けるように両肘をつき顎を乗せる。夫人をきつく睨み上げる瞳は強い意志が感じられた。
そして、形よく吊り上った口唇から衝撃的な言葉が飛び出した。
「私はエドワードを妻に迎えようと思っている」
今迄冷静を装っていた表情が豹変する。片眉をきつく吊り上げ目はかっと開かれた。赤く塗られた口唇はわなわなと震えながら当主に向かってひと言。
「なりません!」
「何故そう勝手に決めつけるのだ!」
ダンと、叩きつける音にビクリと反応してしまう。それほど当主は真剣に考えているようだった。
当主の罵声と鋭い眼光に怯んでしまう。が、冷静に対応しなければならない。夫人は大きく深呼吸をする。
「身分が違いすぎます。それにあの者の過去を背負うにはそれ相応の代価が必要となります。おわかりですね」
現実論を唱えられ熱くなっていた頭が急激に醒めていく。だが、引く訳にはいかなかった。
欲しいものは、どんな事をしてでも手に入れてきた人生。そんな人生に愛する事を教えてくれたエドワードをどうしても妻に迎えたかった。
心のオアシスなのだ。彼は。
瞳の奥にはメラメラと燃える焔が見える。
体勢を元に戻して改めて彼女と対峙した。
「代価ならいくらでも払おう!」
まるで悪魔の囁きのように低く暗い声で夫人に迫った。
当主の非道な噂は知っていた。だが、その反面隠れた優しさも知っていた。それを導き出し者が使用人のエドワードだという事も。
「では、お尋ね致します。エドワードは何と応えたのですか」
それは訊かれたくなかった。
崩れていく仮面を隠すように当主はゆっくりと椅子を回し夫人に背中を見せる。先程までグッと地に根をはっていた足。それは長く伸ばされ、両腕は肘掛に力なく下げられていた。
その姿に哀愁を感じる。
そして、ぽつりと吐き出される言葉。
「断られたよ。それでも私は彼を妻にと思っている」
夫人は思った。
あの者はちゃんと分別がついている。自分を知っていると。
しかし、当主はそうはいかなかった。
「もしも代価を払ったとしてもあの者にこの家の跡継ぎを産む事はできないでしょう」
はっきりと言い切る。慈悲も何もない。それで諦めてくれるよう願った。
エドワードが「ふたりなり」であると知っていた。そう不完全な身体だ。男でもない女でもない。子を望む事は万に等しかった。
「私は跡継ぎを願っている訳ではない」
先程までの荒々しさが消えていた。余程、エドワードに拒絶されたのが辛かったのだろう。
同情はする。しかし、同意はしない。
鉄仮面な顔ではっきりと。
「ですが、由緒代々続いたマスタング家でございます! それは守って頂かねばなりません」
当主以上に冷酷な女のようだ。彼女の信念は曲げられなかった。
背中でピリピリとした緊張が感じる。それから逃げるように遠くを見つめた。暗い窓の外に瞳を移しながら静かに独り言を漏らす。
「どうしたら――」
それを訊き入れたのか、どうか定かではない。しばらくの沈黙の後、はぁと息を吐きながら夫人がこう言った。
「わかりました。彼を連れて参りましょう。ですが、それは“愛妾”としてです。妥協でございます」
夫人は今迄の非礼を込めて深々と頭を下げた。それから颯爽とこの部屋を出て行った。
ロイは背を向けたまま黙っていた。
夫人の妥協案に頷く事はできなかったからだ。
「愛妾」ではいけないのだ。
パタリと扉が閉められた後ロイは自分の瞳を熱い手で覆い天を見上げるのだった。
続く
ついに出ました。
アームストロング夫人。強敵です!と、いいますか!? 彼女の方が屋敷の当主?みたい。
これから「愛妾」としてのエドワードが。
非常に怖い夫人にみなさん怒り爆発。ごもっとも…です。
桜 美由紀 2006/3/13