愛すること、愛されること。(7)
「エドここに座りなさい」
じっとしている彼の肩を抱きソファーに座らせる。
いつもこの屋敷の当主に対して傍若無人に振舞っていた彼。それなのに今日は静かだ。そうだろう。あんな抱き方をされたのだ。
そして“愛妾”扱い。
ロイは俯く彼を心配そうに覗き込む。
「無理やり抱いてすまない」
彼の手をそっと壊れ物でも触るように大切に握り自分がつけた痕を擦る。
長い金髪がさらさらと左右に揺れる。いつも三つ編に結われている髪は綺麗に梳かれていた。
「オレはもっとずるい人間だよ。それを望んだ」
ぎゅっと瞳を固く瞑る。その瞼から涙が滲み出ていた。小さな頭を胸に押し寄せてロイは彼の背中を宥める。
「そんなことはない」
「でも…」
「私がいけないのだよ。待っていてくれ。必ず君を…妻にする」
現実から掛け離れた言葉。決して叶う事はできない。そうわかっているけど嬉しい響きだ。
エドワードは薄っすらと愛想笑いする。
それは切ない笑顔。
ロイはそっと顎を掴み触れるだけの優しいキスをした。
それから彼の身体をふわりと抱き上げた。まるで羽毛のように軽い身体にちくりと胸が痛む。突然抱き抱えられてロイの背中を両手でぎゅっと掴む。男の広い背中はとても心が落ち着く。胸に額を摺り寄せて身を任せる。
そこで女中頭の言葉が頭をよぎる。
『旦那様が望まれるままに身体を捧げない』
ああ、また抱かれてしまう。
それが仕事のように思える。“愛妾”としての仕事。
一歩一歩進むたびに振動が伝わる。恐々とロイの顔を見上げると彼は優しく微笑んできた。
まるで自分の気持ちを察してくれたような微笑。
「大丈夫。眠るだけだよ」
それでいいのだろうか、と思わず声を出してしまう。
「あ、でも。抱いていいんだよ…。だ、旦那様がしたい時にそう、言われた」
何度もどもりながらやっと言えた。
するとクスクスと忍び笑いが頭上から聴こえる。その笑い方に今迄大人しくしていたエドワードもかぁっとなって。
「な、何だよ! 人が色々悩んでんのに!」
「ははは…。君の口から“旦那様”なんて言葉が出るものだから可笑しくてね。ああ、似合わないなあ」
「クッ、この! 明日アンタの靴に釘入れてやる!」
更なる仰天発言にロイは、無遠慮に高笑いする。
「やっといつもの君らしくなったね。靴には要注意だ! もしかして以前入れた事があるのかね!?」
怪訝そうな顔で覗き込んでくる。
「ふん…どうだろうな。アンタの足裏めちゃ固そうだな」
抱えられた胸で少しばかり踏ん反り返る。そうこんな会話をしていたかった。こんな時間を永遠に過ごしたかったのだ。
だけど関係は崩れてしまった。
愛することを知ったから。愛されることを知ったから。
何時しか寝室に連れて行かれていた。リビングから書斎、そこから左に曲がると広々とした寝室が目の前に広がった。
寝室の明度はほんのりと明るく温か味がある。ベルベット生地のカーテンがこの部屋を華のように飾り夜の闇を遮断している。寝室の中央には大きな寝台があった。
天井から美しいラインで下がる天蓋付きのベッド。寝台を覆った薄い絹幕の中には純白な色で統一されたリネン類が見える。
そんな場所にエドワードはふわりと下ろされた。
身体が沈み込むかと思われた場所は眠るのに最適な固さだ。今迄の処遇からはとても考えられない。不安さえ感じてオドオドしてしまう。ふっと視線を上げればロイの黒い瞳に出会ってしまった。
「あ、あれ……」
ゆっくり身体を起こし、ペタリと座る。ロイもベッドに腰掛けたまま。
やはり夜のお勤めを、と思いエドワードはぎこちなく手を前帯に掛けて紐を解いていく。以前は慣れた手つきでさっさと身体を晒し。足を広げていた。
それなのに今は出来ない。
「あれ、おかしいな…。解けねぇ」
するとロイの手が彼の手を握り締めその行為をやんわりと止めさせた。
「いいのだよ。今日はゆっくりお休み」
「そういう訳、いかねぇよ」
ちょっと困った顔したロイが必死に紐を解く彼を覗き込み。
「まだ、傷は治っていなかったのだね。痛まないかね」
はたと行動を止めてロイの顔を見る。
「あ、うん。もうちょっと時間掛かるみたい。みっともねぇよな、こんな継ぎ接ぎみたいな身体。なのにアンタ…」
それ以上は、言葉が詰まってしまった。
この右肩の傷、左脚の傷は見世物小屋に居たときに出来た傷だ。たまたま人を助けて馬に踏まれて重症を負った。そのお陰で主人が使い物にならない商品を激怒していたところをロイが買い取った。
もちろん主人はロイに多額な金額を吹っかけてきた。
「良い薬を探しているから。今度塗ってあげよう」
「―――」
どう応えたら良いのか、わからない。
傷を負っていた箇所を優しく擦ってやりながら身体を横に詰めるようにベッドに上がる。そして、エドワードの身体を抱きしめながら夜具に入る。
面食らってしまうが、心地よい。大人しく彼の胸に抱かれて瞳を閉じる。
傷を優しく擦られていると、ふと昔の事を思い出す。犬と猫のような関係を。
「アンタ…変わったね」
ロイは彼の長い金髪を梳きながら彼の声を訊いていた。
「君の所為だよ。そうそうロイと呼ぶように言っているだろう。さあ、お休み」
「えっ、うん。わかった」
素直に男の胸にまどろんでしまう。それぐらい良いだろう。
足の爪先からじんわりと温かさが伝わってきて眠りへと誘われた。
今だけ、ほんのひと時をここで過ごそう。
カーテンの隙間から東から昇った日の光が差し込む。
ふっと眩しさに目を凝らす。時計を見るといつもの起床時間だ。
ああ、今日は何だかとても目覚めが良いと思ったが、それは一瞬のことだった。
この胸に抱いて眠ったはずの人がいない。彼がいた場所に手を這わせる。
が、隣のシーツは冷たい。
綺麗に痕跡を消して彼はいなくなった。虚しさと現実が目の前に現われた。
エドワードと次に顔を合わせたのは、否、合わせたのではなく見たのは。
出勤する当主を見送る為に使用人達が玄関前で並んでいた時。金色の頭が見えただけだった。
続く
腕が痛い! 桜です。
何気に(6)の続き。ロイの寝室は豪華だ! しかし、早起きして出ていくエドワード。これで睡眠はとれるのでしょうか? 朝、4時起床!
桜 美由紀 2006/3/22