愛すること、愛されること。(10)












数時間後。
約束通り午後一でエドワードは彼女の前に現われた。
彼女の杞憂に終わったのだ。
「はい。リザさん」
渡された物を確認する。彼女も簡単な文章ぐらいならば翻訳できる。その彼女が見た書類は完璧に仕上げられていた。
彼の顔と書類を迂闊にも交互に見てしまった。本当にこの子がやったのだろうかと疑っているのだ。失礼な事だとわかっていながらも彼女の表情は困惑していた。
それでも彼は嫌な顔一つせず微笑んだ。
「リザさん、疑っているんだろう」
「え、えっ、そんなこと…ないわ」
だが、態度は一目瞭然。疑っていますと顔に描かれている。それでも彼は嫌な顔一つせず微笑んでいた。逆にその困惑する表情を楽しく観察している風にも思える。
「いいんだよ。そう思われるの慣れてるからさ。みんなが一驚する顔を見る方が、逆に面白いんだよなっ」
後頭部で手を組んで子供特有に茶化しながら彼はしてやったりと愉悦な表情を見せる。
「まあ…! エドワード君たら。そりゃー驚くわよ! こんな事出来る人は稀よ」
はあ、とホークアイは感嘆のため息をつく。
しかし、ロイに対して苦情を一言、二言、金色に輝く子は口を尖らせて言う。
「リザさん、ダメな社長をお守りすんの大変だよな。社員にやらせろって! オレこれでも忙しいだからねって言ってよ!」
それには返す言葉がなく彼女は唖然としていた。
「あ、でも。女中頭さんや執事さんにはこんな事オレが言ってたなんて黙っておいてね」
くったくのない笑みを向けられた。
「え、えぇ
――
「さっ、次は本だね。ついてきて」
今以て信じられない事が目の前で起きている。彼女は金色の頭を目印に後を追っていくのに一生懸命だ。少しばかり彼女はカルチャーショックに陥っていた。
黴っぽく湿った感覚とその匂い。薄暗い書庫に電球が灯された。そこは数多くの書籍で埋め尽くされていた。その膨大な書籍達は備え付けの書棚に綺麗に整頓されている。手の込んだ管理をしているのだろう。対したものだ。
何度かこの場所を訪れた事があるホークアイだが、ここはいつも圧巻する場所の一つだ。
彼女には、どこに何の本が納められているかわかるはずもない。
「リザさん!? メモ貸して」
琥珀色の瞳が覗き込んでくる。その場の雰囲気に飲まれて彼女は半ば茫然としていた。
「え、えぇ
――いつ来ても、ここは凄いわね」
「まぁね。オレは沢山の本に囲まれて嬉しいけどね」
心底ここを気に入っている彼の表情は明るく、部屋の明度をそれで調節しているようだ。
「場所はわかるの?」
「うん。結構ここの本読んだしね」
「はぁ!?」
どうも天才児が目の前にいるらしい。彼女はそう思う事にした。さすが、我が社長が連れてきた人間だ、と感嘆の息を吐く。
「あら…。エドワード君、お腹痛いの?」
目的の本を探す間、彼は時折下腹を擦っていた。気になって彼の顔を見てみたら顔色も悪い。午前中に確かお腹の調子が悪いと言っていた事を思い出した。
「あ、うん。ちょっと心配いらないよ」
「そう…」
天才児がそういうのだから、と彼女はそれ以上の追及をやめた。
次々にメモの書籍、資料が集められていく。彼の素晴らしい知識と記憶力には舌を巻く。どうして教育も受けていない彼が、と思い訊いてみると。
答えは暇だったからだそうだ。時間がある時はずっと本を読んで過ごしていたからと言うのだ。
ケロッと彼は表情も変えずにそう言った。そんなはずないだろうと彼女の眉間に皺が幾重も刻まれる。
本当に訊いた自分が虚しくなった。
やっぱり天才児だ。
だが、たまに社長の話をしてやると目元を桜色に染めはにかんだ顔をしていた。まるで初恋の人を想う少女みたいな初々しい表情。ロイの想いはちゃんと彼に届いていると感じた。
「あ、これで最後だよ」
「はぁ…ありがとう、助かったわ」
心底助かったという声色だ。
エドワードは最後の本を彼女の腕に乗せた。
―――!?」
と、その時エドワードは何やらぬるりと感じた。男との性交後、秘所から残滓が漏れ出す時の感覚。とにかく嫌な感触だ。
彼の動きがぎこちなく止った。ホークアイは奇妙に思って俯いた彼をそっと覗いて見た。
いつのまに蒼白な顔色になっていた。
そして、頻りに自分の足元を見つめている琥珀色の瞳は先程までの自信に満ちた物ではない。恐怖に怯えオドオドと視線を左右に揺らしていた。
ホークアイが視線を下ろしていくと、やはり下腹を押さえ抱えていた。それから更に下に視線をやる。
少しぎょっとしたが、心を沈めて薄い身体をそっと抱きしめた。ゆっくり小刻みに震えている背を撫でてやる。
「大丈夫よ。心配ないわ」
母親のように優しくエドワードに話しかける。彼女に助けを求めるように琥珀色の瞳はじんわりと涙を溜めて見つめ返した。
彼の足元には血の水溜りが点々と出来ていたのだ。
「エドワード君、初めてなの…」
何も言わず、こくりと頭を下げる。気づかないうちに握っていた彼女のスーツの生地に皺が寄った。
この天才児もこればかりは、どうしようもないらしい。自分の身体の変化に戸惑っているのだ。
「ふたなり」の身体だから“初潮”があるなど夢のような話。それともこれが普通なのだろうか。皆目検討もつかない。
「大丈夫よ。ちゃんと処置の仕方、教えてあげるわ」
首が小さく下げられる。
つい最近まで小生意気なガキだと思っていた少年が大人の女性に変化しようとしている。喜ばしいことだ。
「身体が女性に変化しているのよ。もしかしたら「赤ちゃん」も産めちゃうかもね」
冗談まじりにホークアイは言う。
「えっ
――
彼にとってそれは冗談に聴こえない言葉だ。
本当に望んでいる事だった。
誰の子供でも言い訳ではなかった。
“旦那様”の子供を産みたい。
しかし、それは世間一般に望んではいけない事かもしれない。
だけど……、と。

ぽつりとエドワードは本心を漏らしてしまった。
「そしたら旦那様、あんなに苦しまなくていいのに。少しは…」
口元を塞いで、今吐き出した言葉を飲み込もうとした。時は既に遅かった。
気づけば、彼女の柔らかく温かな胸に包まれていた。耳に彼女の泰然とした声が伝わる「ええ…、そうね」と。
ホークアイは金色の髪を梳いてやった。
彼に子供でも出来れば、あの男は誰にも憚らずエドワードを妻に迎えるだろう。
しかし、その願いは虚しい夢物語。


*               *               *


社長室とプレートに名前を彫られた部屋の前。
几帳面なノックが聴こえる。叩かれる音で誰なのか判断できる。
「失礼致します。ホークアイです」
そうだろう。
この叩き方は彼女しかいないと、書類から目を外してロイは前を見据えた。
「待っていたよ。思ったより早かったね」
「はぁ
――思ったよりですか。そんな言い方はないと思いますが」
彼女の後ろでハボックが大荷物を持って入ってきた。こんなに沢山の資料、書籍女性一人で運ぶのは無理だ。
「ふーう、この資料の山はここでいいすか? ああ、すげぇ量だ。こりゃ…」
ドサッと音がする。この音で量の多さが窺い知れるものだ。
「これは偉業です。誰もが出来るものではありません! 現に社長の進行状況はどうなんですか…」
社に帰って来た彼女だが、まだ狐につままれた状態だ。社長に対する態度は行く前と比較して180℃変わった。彼女は何やら一皮剥けたような感じがする。
「いやぁーまだ終わらんね」
社長室を包み込むぐらいの大きなため息と小馬鹿にしたような態度。勿論その態度をとったのは秘書であるホークアイだ。
二人の遣り取りを鬼気迫る思いで見ているのは、ハボックだ。彼はいつこの社長室を逃げるか算段している。
「まだ?! まだ?! と、言われましたね。ここに完了した物があるのに…」
社長のデスクにパシッと投げ出すように、完璧に翻訳された書類を出した。ロイはそれを手に取りパラパと確認する。満悦した表情が彼から咲き零れる。
仕事に対して非情で冷淡な男が、使用人が翻訳した書類に心躍らせる表情をしていた。信じられない情景である。
それだけ彼に対して期待と信頼を持っているのだろう。それと愛情もだ。
そんな彼を見てホークアイは漸く乱れていた心を沈静させた。
「素晴らしいですね、彼。驚きました」
その問いに誇らしげな表情がロイに又一つ追加された。他人にエドワードを褒められることが、我が事の様に嬉しいのだ。
「ああ、本当に彼には驚かされることばかりだ。素晴らしい教養の持ち主なのだよ」
「ですが、一体どこで覚えたのでしょう。彼に訊いたのですが、本を読んでと…」
彼女の言葉に少しロイの顔が曇る。
何か気に障ったことでも言ってしまったのだろうか、と危惧した。
「君にはそう応えたのかね、彼は」
「ええ…」
遠くを見るようにロイの意識は此処にはなかった。何やら昔を思い出しているようなロイ。それも余り良い記憶ではないようだ。
低く重い声が独り言のように呟かれた。
――客に外国人も多数含まれていたそうだ。だから不可避にそうなったと。あれは悲嘆な色をなかなか他人に見せないからね」
「そうだったのですか。それでは素晴らしい才能をもっと伸ばす為にも我が社に勤務させたらどうでしょう」
沈み込んでしまった会話に明かりを灯すように彼女は新たな提案をしたのだが、ロイに苦笑いされてしまった。
「私もそう思ったのだがね。拒否されてしまったよ。だから私の私的秘書として活躍してもらう事にしたのだよ」
「はぁ
――それは残念ですね。惜しい人材なのですが」
どっと肩の力が抜けた感じだ。これに対しては残念な事この上ないのだ。
それと同時に肝心な事を思い出した彼女は後方に待機していたハボックを急に邪魔者扱いにした。一体この豹変振りは何事なのだろうと、思いながらも彼女の指示に従いハボックは社長室を出るのはめになった。これにはロイも驚きを隠せない。
「一体どうしたのだね」
「はぁ、大事なお話があるのです。エドワード君の身体の事なのですが…」
彼女が人払いをした後、伝えられた内容にロイは驚いた。彼の心に希望という架け橋がちらついた瞬間であった。
「より一層彼を大切にする」と、彼の弛んだ顔と口唇が喜悦した。




続く

「生理ネタ」第一弾!
申し訳ございません。駄目な方スルーして下さいませ。
そして、第二弾があるんですよね/汗。


桜 美由紀 2006/4/16