愛すること、愛されること。(11)
やっと仕事から解放され自室に戻る事を許されたエドワード。
身体はくたくたに疲れ果てていた。とくに今日の疲労具合はいつもと違う。
少し身体が熱っぽく、そして下腹部がシクシクと痛む。慣れる事のできない痛みだ。見世物小屋に居たときに重症を負ったエドワードだ。あんな所ではろくな治療も出来ずに痛みにのた打ち回っていた。傷が癒えた今でも、その傷は度々痛みの信号を伝達する。だから、傷の痛みに耐える事は慣れていたはずなのに。
今身の内に犇めき合う、この痛みを緩和することは無理のようだ。
乾燥した埃っぽい部屋だけど、エドワードにとってここは城だった。その城に戻って気が緩んだ途端、糸が切れた凧のように固く冷たいベッドに横たわる。
ロイの寝室にある高級なベッドのように身体を柔らかく包み込んでくれるはずもない。ドスッとベッドが固く重い音を出して軋んだ。
「ふう…。痛っ」
と、空虚な部屋に苦痛の声だけがやけに辛く聴こえる。
痛みを訴える箇所を両手で押さえ込んだ。痛みに引き攣りながら顔を窓の方へ向ける。この部屋に唯一、一つある天窓へ。ここは屋敷内でも使用人部屋とは離れた場所。後で増築された部分だろう奇妙な作りの部屋だ。
ベッドから斜め上にある天窓から射し込む月光を見上げていた。その月明りにふとホークアイが温厚な声色で「女性は月に一度こうして血を流すのだ」と、教えてくれた事を思い出す。果たしてこの「ふたなりの身体」毎月、月のものがやってくるか定かではない。身体の不調と一緒に苛立ちがエドワードの心を支配していた。
辛い。
痛い。
不快。
そんな感覚から彼は忌々しく、手を伸ばして淡月を握り潰すような素振りをした。
暫く、まんじりと朧月を見ているとカツンカツンと聴き慣れた音がしてきた。嫌な汗が背中を濡らしていく。この時ばかりは、己の身体を呪った。
そして「今日は嫌だ」と、ギュッと粗末なシーツを握り締めた。それは無駄な足掻きなのだが。
例の如く、アームストロング夫人が扉の前に冷淡な表情で立っていた。長襦袢と帯を乗せた漆塗りの角盆を突き出される。
「旦那様がお呼びです」
顔色悪く夫人の前に佇んでいた。
足元から血流が下がるようだ。
ちょっと視線を上げる。が、瞳は初めてここへ夫人がやって来た時のようにオドオドして焦点があっていない。
「あ、あの……オレ、き、きょうは…」
そこまで、どうにか言葉にしたが、頭上から抑圧するような態度と言動が彼をもっと窮地に追いやる。
「何ですか、旦那様のご命令です。拒否は許されません。貴方もここでご奉公し“愛妾”という立場を承知しているはずでしょう。さあ、早く着替えて旦那様の所へお行きなさい!」
まるで嫌なものを見るような視線を向けられた。
最初から女中頭はこの関係を認めていない。“妻”にと望む当主に、それだけは譲らなかったが、仕方なく当主の意見を反映して使用人が“愛妾”として屋敷の当主に抱かれる事を許した。矛盾が彼女の中で蠢いていた。
エドワードは震える手でその角盆を受け取るしかなかった。
あくまでも“愛妾”の一人なのだから。否、は許されない。
扉を前に冷めた感情が心を乱していた。
とてつもなく自分が厭な生き物のように思えて仕方がなかった。一つ一つの動作がコマ送りのように見える。手が小刻みに震えながら扉を一回叩いた。そして、間をおいてもう一度叩く。次に教えられた通りに声を出さねばならない。
「だ、旦那様。エドワードです。失礼致します」
今日ほど扉が重く感じられた事はなかった。
部屋に入り、ここに初めて足を踏み入れた時と同じ感覚に懐かしむ。それと同時に自分の愚かさに気づく。
この関係に慣れてしまっていた自分に恥辱を覚えた。
俯いて絨毯の柄をマジマジと見ていた。「ああ、初めての日もこうして見ていた」と、冷静に働く脳がある一方、足の爪先から血の気が失っていく感があった。
だが、そう感じた時すでに身体は前へ倒れそうだった。
そこを温かく逞しい腕に抱き上げられた。
「大丈夫かい。体調が良くないのだろう」
白っぽい視界が時間を掛けて、声が聴こえる方向へ焦点を合わそうとする。漸く、その声の主が視界に現われた。ふっと身体の緊張が解れていく。どんな風に話したらいいのかわからなかった。けれども自然に言葉は出てきた。
「あ、ごめん…ちょっと眩暈がした」
ロイはぼんやりしている彼を抱き上げソファーへと座らせた。その隣にもちろん彼は座りエドワードの薄い背や肩を優しく擦る。
「ああ、こんなに冷え切って…」
そういうと自分が羽織っていた上質なガウンで彼を包み込む。人肌の温かさがじんわりと伝わってくる。されるがままになっていた彼の意識が戻り慌てる。
「だ、旦那様!? えっ、いいよ。返すよ!」
くすくすと笑いを堪える声。彼をぎゅっと抱きしめて。
「二人の時は、旦那様というのは止めてくれたまえ。エド…」
「あ、うん」
「ああ、大丈夫そうだな。ちょっと待っていなさい」
ロイはエドワードの顔色を確認して立ち上がった。温かな腕から解放されてちょっと虚しさが湧いてくる。精神と身体が弱っているのだろう。
ロイは暖炉の傍に行き、そこからポットを手に取りティーサーバーにコポコポと湯を注ぐ。湯気が上がる様がとても心を和ませてくれる。エドワードはぎこちない動きをする彼の手をぼんやりと見ていた。
気づけばパキパキと薪の割れる音。そういえば、この部屋は暖かい。
冷たい外気が隙間から入ってくる自分の城とは違う。
この屋敷の当主の部屋。
ジクジクと痛む下腹部がちょっぴり癒される感じがした。
暖かなガウンに包まれてまどろんでいると、ロイがカチャカチャと音を立てながらティーセットを持って帰ってきた。
不慣れな手付きをする彼が可笑しかった。自然とエドワードの口元が緩んでクスクスと笑いを堪えていた。
それをテーブルに置いてティーサーバーからカップに紅茶らしき物を注ぎいれる。
温かな湯気と共にとても良い香りがした。
すっーとエドワードは鼻からその香りを全身に取り込む。香りと一緒に気分も少し回復する感じがした。
「ハーブティーだよ。これは鎮痛作用とリラックス作用があるから飲んでみなさい」
素直にティーカップを受け取りフウフウと息を吹きかけて一口飲んでみる。
「うまいなっ…」
ゆっくりとカップを啜る彼を優しく見守る。その手はいつしかエドワードの下腹部を撫でていた。
温かな手は痛みを緩和する。
「エド、痛むかね」
飲み終わったカップをロイに渡す。
彼の優秀な秘書の事だ、知らされているだろうと思っていた。だから、尚更今日は顔を合わせたくなかった。もし身体を求められたら、と不安を抱いていた。
それより、こんな身体を見られたくなかった。
「うん…」
彼の身体が強張るのがわかる。何をそんなに緊張しているのだろうと思う。
「どうした」
エドワードはぎゅっと薄桃色の長襦袢の生地を握り締める。
嫌だったから。今日はどうしても、したくなかった。
この当主の部屋に夜分呼ばれる事は「SEX」を求められる。それが旦那様と“愛妾”の関係。決して忘れてはならない。
それなのに彼はこの身体を今日晒すことに抵抗を感じた。
意を決して彼に打ち明ける。
「き、今日はしたくない…」
彼が泣きそうな琥珀色の瞳で彼を見た。が、当人はまるで鳩が豆鉄砲を食らったような表情で笑い出したのだ。
「ははは! そんな無体私はしないよ。何をそんなに緊張しているのかと思えば」
「あ、でも。オレはアンタの“愛妾”だから…」
「まだそんな事を言っているのかね! 終いには怒るよ」
尚も笑い続けるロイにこちらこそ驚いた。世の男は何が何だろうと身体の欲望を満たそうとするのに。そう今迄の男達はそうだった。
痛がろうが。泣き喚こうが。体調が悪かろうが。
自分の性的欲求を発散させるためにはお構いなしだった。
ふっと蒼白な顔が笑顔を取り戻し「やっぱりアンタ変だよ」と、一人ごちた。
かたやロイは、主従関係を取り払えない自分に苛立ちを感じていた。今はこの感情を彼にぶつける訳にはいかず、彼の疲労した身体を抱き上げベッドへと連れて行った。
少し熱っぽい身体に柔らかく暖かな毛布は心地よかった。エドワードの城にある薄い掛け布団では到底味わうことが出来ない肌触り。
これは“愛妾”であるが故の特権だ。
しかし、今のエドワードの身体には有難いものだった。思わず疲弊した身体を摺り寄せてしまう。
「今日は疲れただろう。本当にいつもながら君の才能には驚かされるよ」
「う、う〜ん。確かに今日は忙しかった……」
答える言葉は呂律が回っていない。睡魔と闘っているのだろう。琥珀色の瞳は虚ろに金色の睫が下がったり上がったり。
ゆっくり休ませたかった。
屋敷内の仕事も十分忙しい彼。それに追加して最近では会社の仕事まで彼に頼んでしまっているから。
もうそろそろ眠りに吸い込まれているだろうと思っていた彼の口から。
「――ねぇ、こんな面倒な身体嫌じゃないのか。それに…」
「ん、そんな事ないよ。もしかしたら子供を身籠る事も可能かもしれない。今以上に大切にするよ」
エドワードの子宮を彼の手が希望を込めて優しく触れる。その部分に彼は決心する。
もしこの身体に自分の子を宿したら、誰が何と言おうと彼を妻にすると。
だけどエドワードの口からは悲しい言葉。
「――できるはずないよ。ごめん――」
「そういうな」
金色の頭を顎の下に抱えみ髪を撫でる。すると彼の口から小さな声が聴こえた。誰にいう訳でもない。一人だけの呟き。
「もしアンタの子供できたら絶対産みたいな」と。それからスウスウと規則正しい寝息が聴こえてきた。
たぶんロイが目覚める前に、またこの腕の中からすり抜けていくのだろう。
悲しいがこれも現実。
それでも今だけはこの金色の少年を手中に納めおく為にきつく抱きしめた。
続く
「生理ネタ」第二弾!
申し訳ございません。駄目な方スルーして下さいませ。
一応これにて…。痛む下腹を撫でてくれる男好きです!
桜 美由紀 2006/4/24