愛すること、愛されること。(14)












エドワードは結構な重みと厚さがある書籍を胸の高さまで抱え込んで庭先に出る。これを虫干ししようと思っているのだ。この屋敷には膨大な量の書籍や資料がある。
その中でも国宝級の品も数多く納められていた。
その品々は厳重に管理されている。ずっと書庫に閉じ込めていては痛んでしまう。こうして頃合をみて虫干ししなければならない。
それと文献の保存の為に写生も仕事の一つだ。
少し左脚を引き摺りながらエドワードは書庫と庭を行き来する。
結局、完璧には傷は治らなかったのだ。それでもエドワードは満足な治療を受けられなかった当事の事を考えれば、今の状態はまったく苦にならなかった。そして、こんな自分にまっとうな仕事を与えてくれたロイに感謝していた。
そのロイが不在だ。
こんなに長い間、姿を見なかったのは初めてだ。蒼穹の空を見上げた雲一つない虚無の世界。そして彼もいない。秘められた想いは募るばかり。


静かに夜が支配する時間。
ロイが頻繁に彼を部屋に呼び出していた。その意味は女中頭が忌み嫌う関係“愛妾”。もちろん身体を求められた。それはロイの事を慕う彼にとって喜ばしいことだったが、過度なSEXと感度の良すぎる身体は負担になることもしばしばあった。その上屋敷内の風紀を守るために女中頭からエドワードには厳しい規則が言い渡されていた。
彼の身体は万年疲弊していたのだ。では、ロイのいない生活が続く現在。ゆっくり睡眠が取れるかと思ったが、身体も心も寂しく感じ眠れぬ夜を過ごす日々。
一人物思いに耽る夜は嫌で堪らない。まだ、身体を使って仕事をしている昼間の方が良い。何も考えなくて良いから。


「ふぅ
――っ」
書籍を運び終わったエドワードはどっと疲労の息を吐く。
太陽が照りつける野外。楽そうに見えて意外と重労働な仕事に少し汗ばむ。エドワードは疲労回復にと腰を伸ばし燦々と照る太陽の眩しさを片手で遮りながら見上げた。ふっと視線を庭の芝生に移せば、陽炎の揺らめきが立ち上がっていた。
「陽炎か…地熱から上昇した空気と密度の違う空気が混ざって
――か。まるでオレと旦那様みたいな関係だな」
自嘲気味に笑った。
もう一度、日輪を見上げる。今度は遮るのではなく、その光を手に入れるかのように腕を伸ばし掴む。
――同じ空気になれたらいいのに…」
掴んでいた手元が突如、真っ暗になった。
「あれぇ
――
だらりと気のない言葉が勝手に口から漏れた。それからエドワードの視界が真っ黒に一変した。ぐらりと世界が揺れる感覚を感じた。そう、今迄見ていた陽炎のように。
目の中をピカピカと稲妻が走って気分が悪い。
吐き気を感じる。冷たく流れる汗が背中を伝っていく不快だ。
身体はどうやら後方に倒れるようだ。ヤバイと感じながらも冷静に自分の不調を判断している自分がいた。
だが、落ちる感覚を途中で阻止された。
「おい!? エド大丈夫か!」
―――
誰かが自分の名を呼んでいる。しかし、目を開ける事ができない。もちろん声を出す事も。ぐったりと男の腕に抱かれていた。
男の正体は庭を通りかかったハボックなのだ。虫干し作業を続けている彼を見つけて声を掛けようと手を振ろうとした時だった。
慌ててエドワードの傍に駆け寄り倒れる身体を救った。
何度も名を呼んでみるが、返事は返ってこない。その代わりにぎゅっと腕を掴まれた。
周りをキョロキョロと見回すが、こんな時に限って誰もいない。
「ちっ…」
するとぼんやりと瞳が開かれた。焦点の合っていない瞳が彷徨っていた。
「エド?」
「あ、ああ
――。ハボック?」
「ああ、俺だよ。大丈夫か」
「……んっ、ちょっと眩暈がしただけ」
今日はいつもより陽射しがきつい。ハボックは彼の身体を休ませる為、壁際に凭れ掛けさせた。もちろん自分の大柄な身体が日除けだ。
エドワードは手を口元に当て、背を震わせて嘔吐を耐えていた。
「どうした!? おまえ最近体調が悪んいだろう。ちゃんとメシ食ってるか」
漸く落ち着いてきた嘔吐に一つ呼吸を大きく胸から吐く。それからゆっくりとした動作だが、ハボックに顔を向けた。
手をこめかみに当て瞳をぎゅっと瞑り、そして開ける。それを何度か繰り返す。土気色の口唇がゆっくりと動く。
「助かったよ。あのまま倒れていたら脳天直撃だ。もう大丈夫だから」
「おまえなぁ、そんな悠長なこと。少し休んどけよ。女中頭さんに言っといてやるから」
「いいよ、また色々嫌味言われるからホントもう大丈夫だから」
ハボックは彼の謙虚な態度に大きくため息を漏らした。それからぐしゃぐしゃと金色の頭をかき混ぜた。そうでもしないとハボックは今、湧き出てしまった男としての欲情をごまかすことができなかった。
苦しいだろうと少し襟元を緩め、くつろげさせた胸元。
その胸が苦しげに上下している。
慌てて抱えたので着物の裾はめくれ白い太腿がちらりと見え隠れしている。
しどけなく首を傾けた首筋。
何度かパチパチと瞬きをする金色の睫は濡れて。
はっきり言って目の毒だ。
こんな現場を他の使用人に目撃されたら何と言われるか。まして旦那様に見られたら速攻首、間違いなしだろうと、そこで肝心な事を思い出した。それでエドワードを探していたのだった。
「ああ、そうだ。旦那様、明日帰ってくるそうだ」
彼から瞳を逸らして、欲情を紛らす為に胸元からタバコを一本。火を点けず口に咥えた。
するとゴソゴソと衣擦れの音がした。旦那様という言葉にエドワードの身が反応したのだろう。少し気分が回復した身体で着物の乱れを整えていた。視線だけ斜め下に向けてエドワードの様子を伺っていた。蒼白だった顔色に少し色彩が戻ってきた。
「やっぱ旦那様が帰ってくると嬉しいか」
決して一人で眠る夜が寂しいという訳ではない。顔を合わすことが出来なくても同じ屋根の下、同じ空気を吸っていると感じるだけでエドワードの胸は和むのだ。
―――そんなんじゃないよ」
正直に嬉しいと言えないあたり複雑な立場だ。
だが、彼はひっそりと梅の花がほころぶように微笑んだ。そんな喜悦する姿をこの屋敷の使用人達に見せてはならないのに。
エドワードの感情は彼らのそれとは違っていたから。
しかし、気が緩んでしまっていたのだ。はっと我に戻るように梅の花が固く蕾んだ。
悲しいことにハボックは一連の変化を全て見てしまった。
そして思うのだ。何て、悲しい笑顔で笑うのだと。
――明日の何時頃に帰ってくるんだ。オレ達色々準備しないと」
声色に張りが戻っていた。体調が回復し出したのだろう。ハボックはほっと一安心して肩の力を抜いた。一時は……その艶かしさに戸惑ってしまったが、いつものエドワードだ。漸くハボックの邪念が治まりつつあった。
「早朝に船が港に着く予定だから昼前だろうな。う〜ん、とそうなると俺はゲッ!? 朝なんちゅう時間に起きることに」
「じゃぁ、明日はご愁傷さまだな」
彼は、ふらふらと壁を支えに立ち上がった。
あまりの覚束なさに手を貸そうとするが、うまく払われてしまった。
「おいおい、もういいのか。そうだ! ロゼの奴に言っといてやるよ。おまえ具合悪いって、それならいいだろう」
覗き込むように彼を見た。
幾分ぼんやりしていた彼がにっこりと笑い返した。
「気にしなくいいのにさ。どうせ何か中ったんだろう」
「そんなんでいいのか。調子悪いんだったら医者に診て貰えよ。それにもっとメシ食え! おまえの身体ガリガリだぜ。それじゃ旦那様も抱き心地悪くて愛想つかされるぞ」
ハボックは、ははは、と笑っていた。半分本気、半分冗談。
確かにここの使用人達は待遇が良い。だからと言って医者に診てもらう事などめったに出来ない。それはハボックもエドワードも充分理解していた。
「ちゃんと食ってるよ!」
「おっ、反抗的だな。もし旦那様に愛想つかされたら俺の所へすぐ来いよ! 仕方ないから嫁にしてやる」
「まだ、いってんのか。それぇ――」
言葉とは裏腹に心配してくれるハボックに感謝するエドワードだった。
その後も彼の体調は一向に回復しなかった。ひたすらじっと我慢する日々が続いた。


*               *              *


翌日。
澄み切った青空の下、黒塗りの車が屋敷の正門に入ってきた。庭石をタイヤが踏んでいく音がジャリジャリと聴こえる。その音に敏感に反応する屋敷の使用人達が一斉に仕事を止め玄関ホールへと向かう。
「久しぶりの眺めだ」と、ロイはそう感嘆の声を車内で上げていた。
実にロイは一ヶ月近くこの屋敷を留守にしていたのだ。車内には秘書のホークアイがハボックの隣、助手席に座っていた。
そして後部座席にはロイが悠々と座っていた。その隣にメアリーがロイの傍にべったりと座っている。その不自然な絵を迎えに行ったハボックが、げんなりとした表情をした。もちろん今回の出張に同行したホークアイなどピリピリと殺気を稲妻のように巡らしていて、とてもこの車中良い環境ではない。
ロイに至っては、男の気を引くために作り出された甘い声と彼女の媚びた性格が癇に障って仕方がない。今迄付き合った女性の中でもこのタイプは毛嫌いしていた。面倒で堪らない。
車が玄関前で止る。
ハボックが後部座席の扉を開けて、まずは女性であるメアリーをエスコートした。その後にロイがゆっくりと足を玄関ホールへと進めた。
彼には激しく燃える想いがあった。「エドワード」に会いたいと。
この長旅で心底思った。彼が必要だと。心の虚無感を埋めてくれるのは彼しかいないと、切実に思ったのだ。
気を急かしながら金色の姿を探すのだった。




続く

すっごく美味しい役だよ。
ハボック!普通、そこで押し倒すものだよ。昼のドラマではね。


桜 美由紀 2006/5/17