愛すること、愛されること。(18)












病院の通用門から二人はひっそりと入った。それは女中頭からの指示だ。
大病院に二人が堂々と正門から入るのを彼女は嫌ったのだ。
体裁が悪いと…。
変な噂が立てられたらマスタング家の恥だと、夫人は怒号していたのだ。
さすが世間体を気にするお人だ。
案内された診察室の前で二人は静かに待っていた。病院という所はなかなか落ち着かない場所である。この独特な消毒臭の匂い。真っ白な世界。真っ白な人々。
何もかもが真っ白。まるで異空間に迷い込んだ感じだ。それが余計、エドワードの気を滅入らせてしまう。
「ねぇ、エド…やっぱり大きな病院ね。私、初めてだわ」
「オレ病院とか医者とか、すっげぇ嫌いなんだよな! あの女中頭に調子良くなったからいいって言ったけどさ。労咳だったらどうするんだ、って。オレ…労咳なのかな」
エドワードはしょんぼり肩を窄めた。そんな彼を励ますようにロゼはわざと明るい声を出すのだ。
「ん〜どうかしら。でも一度診て貰った方がいいよ。折角だからね! タダ何だからね。私も健康診断して欲しいなって、ね!」
そう言って、むくれているエドワードの顔を覗き込んだ。
すると診察室からボブショートの金髪女性が顔を出した。エドワードには見覚えのある人物だ。彼女もエドワードを見て、にっこりと微笑んでくれた。
「エドワード君、中にどうぞ」


「あー、よく来たな! 待ってたよ。久しぶりだな、豆っ子」
診察室に通されたエドワードに明るい声を掛けてきたのは、この病院の院長であるマース・ヒューズ。大病院の院長とは思えない気さくな人物である。
彼はロイの親友であり、マスタング家の主治医なのだ。
エドワードが馬に踏まれて重症を負った時に、ロイがこの病院に入院させた。だから、彼らは顔見知りなのである。
ロイから頼まれたからという訳ではなく、この夫妻は親身にエドワードの身体を気遣ってくれた。人間不信気味なエドワードが心の平穏を此処で養うことができたといっても過言ではないだろう。
彼の強張った頬を緩ませて、笑わせてくれた人達だ。
「あ、こんにちは…。ムッ、豆っ子じゃない!」
エドワードは聞き捨てならない言動にちょっと反発してみた。しかし、いつもの威勢の良さはなかった。
グレイシアが椅子に座るように肩を優しく抱いて勧めると、エドワードは居心地悪そうにちょこんと丸椅子に腰を掛けた。
それを面白そうに見ているヒューズの顔が気に入らなくて、彼は上目遣いで凄んで見せた。しかし、それを案の定にやにやと笑ってかわされた。
いつもこうなんだからと、エドワードは半ば呆れたようなため息を漏らした。
「ん、話は訊いてるよ。本当に顔色悪そうだな。どうした?」
大人しい豆っ子にちょっと心配気な顔をするヒューズは無精ひげをゾリゾリと触りながら顔を突き出して彼を見つめた。
「どうもしてないけど…」
ヒューズの質問に着物をギュッと握り締めた。
医学的なことはまったくわからない。それでも自分の体調が非常に悪い事ぐらいわかっていた。それでもエドワードは肩肘を張っていた。
「ふ〜ん。まっ、それは後でと。前の怪我の具合もよく診てやるよ。ロイの奴から言われてるからな」
首に掛けている聴診器をくりくりと回しながらエドワードの俯いた顔を覗き込んだ。きゅうに目の前に現れた黒髪にエドワードは思わずビックリしてしまった。
黒髪に心を惑わされたのだ。
あの人を思い出してしまった。屋敷の旦那様、ロイの姿を
――だ。
何をそんなに慌てているのだろうと思いはしたが、ヒューズは金色の頭をぐしゃぐしゃと掻き回してやった。
そうすることで彼の不安を少しでも拭ってやろうとするのだった。


白い衝立の中でシュルシュルと衣擦れの音がする。
衝立に映る陰影から妖艶美が醸し出される。その気のない男でもそれは生唾を飲むほどだ。そんな性情を持っているエドワードにヒューズは遣り切れなさを感じる。
彼の過酷な素性はロイから知らされていた。だから、尚の事不憫でならない。
それが元で今迄どんなに辛い思いをしたか、と考えると胸が痛い。
現に、此処に初めて連れて来られた時はギスギスと刺すように神経を尖らせて、治療をするにも手を焼かされたものだった。そんな彼が少しずつ心を開いてグレイシアに笑いかけた時のことは、今でも目に焼きついている。あの時は、彼女だけでなく自分にも笑ってくれと強請ったものだ。
挙句には、あの手この手で彼を笑わそうとした事もあった。
その彼が今度は
――
ヒューズは手元に持っている診断結果を忌まわしそうに見つめた。
この結果が暴行や強姦によって得たものでない事を祈りながら、顰めっ面でじっと彼が出て来るのを待っていた。


ぎこちない手付きでどうにか着物を着付けていた。やはりこの身体を他人に見られるのは非常に抵抗があった。それが以前お世話になった事がある医師であってもだ。
胸の辺りを押さえてほっと一息つく。診察を一先ず終えて緊張の糸が緩んだようだ。
すると衝立の外から声が聴こえた。その声はいつもの軽快な口調ではなかった。
「んーーー、オイ豆っ子! 大丈夫か? 出て来れそうか…」
――うん」
こちらも元気良く返事と言う訳にはいかない。恥辱に耐えて精も根も尽き果てた状態だ。決してヒューズが如何わしい行為をするのではない。唯、今迄の経験が彼をそう変えてしまったのだ。すぐに顔を合わせる事は、今の彼には苦痛に過ぎなかった。
そこへグレイシアが心配そうな顔つきで衝立の中を覗き込んできた。ちょっとびっくりするが、彼女なら大丈夫だ。
その場の空気が柔らかくなる。
「エドワード君、大丈夫かしら。手伝いましょうか」
気づけば彼の手は、まだ帯を持ったままあたふたしていた。どうして、こう時間が掛かるのだろうと我ながら情けなくなってしまう。そんな彼を見かねて、自然な動作で彼女は帯を取り結び始めた。
「あ、あの〜。大丈夫だから…」
「あらあら、いいのよ。少し緩めに結んでおきましょうね。気分が少しは良くなるわよ」
「あ、ありがとう…」
優しい手付きに優しい過去を思い出す。もう忘れかけていた母親の記憶を。
それと弟。
誰にも話したことがない弟。ロイにもこれは話していなかった。


グレイシアに支えられるように衝立の中から出てきた。ヒューズは何やら訝しい表情のまま紙と睨みあっていた。エドワードは彼の一挙手一投足が気になって仕方がない。
先程の椅子にこれまた居心地悪く座り直すと、エドワードは視線を斜め下に降ろして重い口を開いた。
「オレ……もしかして労咳なのか」
と、ヒューズにとって意表な病名を出してきた。
彼の表情は必死そのものだ。だが、それを笑い飛ばすようにヒューズの口は軽快に大きく開かれた。
「おいおい。そんなこと気にしていたのか。大丈夫だ! 労咳なわけあるか」
はっはっはっ、と笑い声まで付け加えられた。
「でも、女中頭さんが…」
「あぁー、またあの人かい。困ったもんだ」
呆れた表情と共に顎を撫でる。
しかし“労咳”でないにしろ、事は重大だ。ヒューズは妻に困惑な視線で見上げた。もちろん彼女の表情も冴えない。
「エド、あのな。労咳じゃないけどおまえの身体かなり弱っている。そして、この検査結果から見れば
――
ヒューズは持っていた紙をピラピラと動かし、とある部分をペンで何度も突付いた。それから意を決して、エドワードに事実を告げた。
「おまえ妊娠しているよ」




続く

おめでとう!エドワード君、ご懐妊しました。
拍手、と言いたいが喜べないのがこの話なのであります。さて、どうなるのかな?
それよりそろそろストックがなくなってきた。続きを書かねばならない(>_<)

桜 美由紀 2006/6/27