愛すること、愛されること。(23)












ロイはしっかりとした足取りで光の世界へエドワードを導くために路地裏を出た。煌びやかなネオン街を毅然とした態度で通り抜ける。こんな淫蕩な界隈だが、人一人をこうして抱えていると人目につくのだ。
好奇心から声を掛けてくる輩。露骨な視線を送ってくる輩。卑猥な影口を叩く輩。
羨望、嫉妬、好奇心、様々な意図を絡めて二人を見る視線。
これからエドワードと歩く道はそんな獣の道。そんな事ロイは充分熟知している。だからこそ正々堂々と人ごみの中を彼の身体を厭いながら前へ進んだ。


しばらく歩くと路肩に一台の高級車が止っていた。こんな界隈に高級車が止っているのは珍しい。遠目で人々は視線を送っていた。別の意味で注目を浴びそれに耐えられないのか、その車の運転手は車の傍でうろうろと歩きながら待機していた。
運転手であるハボックが本日、数十本目のタバコを足でもみ消していると、人々の注目を集めている黒髪の男が近づいてきた。その姿を見て茫然とした。
「だ、旦那様!」
思わず大声でその男を呼んでしまって、更に人々の注目を集めてしまう。
その男の腕には見覚えがある金色の少年がぐったりとしていた。彼はまず、それに驚いた。
「エド?」
「おい、そう大声を出すな」
「すみません。エドですよね。随分具合悪そうですね」
「ああ、すぐ屋敷へ戻ってくれ」
間髪入れずにその腕にエドワードを抱いたまま、ロイは車の運転手に命令を出した。ハボックは旦那様の腕の中にある人物を見て、申し訳なさそうに頭を掻きながら口を挟んだ。
「あの俺が抱えましょうか?」
勿論、その言葉に裏表はない。唯、こういう場では使用人が代わってエドワードを抱え車に運ぶべきことだ。あくまで屋敷の主人に対する忠誠心からだ。以前はそう指示されたものだった。
しかし、ロイは差し出された腕を払いのけた。
「いや、いい! このままで…私がエドワードを運ぼう」
視線を下げた先にはエドワードの顔を見つめる優しい瞳。その瞳は先程まで靄がかかっていたはずだが、今では清澄な空のようだ。
そして、一皮向けた主人の顔だ。
その瞳に抱擁を受ける金色の少年は眉間に皺を寄せていた。その容態を心配するロイの姿はもう誰にも太刀打ちできない。エドワードを想う彼はそんな雰囲気を漂わせていた。
その姿を見てハボックは彼への捨て切れなかった想いに終止符を打つ外なかった。
「わかりました。それじゃ後ろに毛布を積んでいます。どうぞ使って下さい」
「ああ、すまん。出来るだけゆっくり走らせてくれ」
「はい。了解しました」
ハボックは車の後部座席の扉を開け、乗り込む姿をしっかり確認してから車はゆっくりとネオンが眼球に自然と入るこの界隈から脱出した。
ロイの指示通りにゆっくりと車を走らせ、バックミラーで時折二人の様子を垣間見た。ぐったり腕に抱かれているエドワードの髪や頬を何度も労わるロイの姿に感服してしまう。
ふと、この情景が昔と重なる。

見世物小屋から傷ついたエドワードを連れ出した時。あの時はハボックが助手席に粗雑に乗せた。ロイは彼を引き取る為に金子は出した。
が、温かな手は出そうとはしなかった。そんな主人に腹を立てた事があったと思い出して、ふっと頬が緩んだ。そして、あの時ハンドルを持つ手が悔しさにじんわりと汗を掻き握り締めていたのを覚えている。

今は、甲斐甲斐しく面倒を見ているのだ。あの頃には、まったく想像が出来なかったことだ。
そんなことを思いながら無言で車を走らせるハボックだった。しかし、悠長な事を考えている場合ではなかった。このまま屋敷に連れ帰る事で一波乱あると予想される。その事を思いバックミラー越しに訊いてみた。
「あの旦那様、屋敷に連れ帰ると女中頭が何て言い出すやら。それを思うとエドが可哀想になるんですが。大丈夫なんすか」
ロイもミラーに映る彼の姿をキリッと強い視線で見返した。
今までにないロイの目つきに強い意志が感じられる。
「心配しなくて良い。この私がエドワードを守る。それに大切な身体なのだからね。ハボックおまえには先に話しておこう。エドワードを私の妻に迎える。これに対して誰も文句は言わせない! もちろん女中頭、執事、他含めてな」
「えぇぇ!?」
ハボックは思わず後ろを振り返った。勿論、ハンドルは握ったままだ。そんな運転手の突拍子のない行動には誰もが怯えるだろう。咄嗟にロイはエドワードを胸と両腕で庇い抱き締め直した。
「オイ! 前を見ろ、前を。危ないではないか! エドワードにもしもの事があったら、おまえどうしてくれるのだ。首だけでは済まされないぞ!」
――あぁ、すみません」
ハボックは心の動揺をどうにか落ち着かせて慌てて前方を見て、ゆっくりアクセルを踏んだ。主人の突然の告白にハボックの胸は未だにドキドキしているのだ。
まさか本当に正妻として迎えようとしていることに驚きを隠せなかった。一抹の不安を感じる。だが、今のロイには遣り遂げる意欲、意志、愛情、全てが、かね揃えられていた。その燃える魂には誰も太刀打ちできない。
だからハボックもエドワードが幸せになれるのならばこの主人に従おうとエドワードに対する想いを口に出した。
「旦那様、俺にとってエドは可愛い弟みたいな存在です。彼をどうか幸せにしてやって下さい。それに今迄苦労してきた分、こいつは幸せになる権利があると思うんですよ。こいつの笑顔が俺好きだから…」
前を向いて喋る彼の表情は見えない。だけど少し鼻に掛かった声色と彼の熱い想いは充分ロイに伝わった。
「おまえの想いはわかっている。私に二言はない!」
ハボックの目頭が熱くなった。
耳元で散々騒がれた所為で、ぼんやりロイの胸元で目を覚ましていたエドワードは彼らの会話を黙って聴いていた。
自然と涙が零れる。それを誤魔化すためロイの胸元に頬を寄せて隠れたが、彼の些細な仕草にロイは気づきそっと声を掛けた。
「エド!? 大丈夫かね…」
エドワードは黙ったまま頷いた。けれども車に揺られている所為で意識が覚醒した途端、吐き気がする。こればかりはどうしようもなかった。
胸元で呻くように低い声が上がる。
――う、気持ち悪い…」
「ん? 少し車内の空気を入れ替えよう。我慢しなくて良いから」
「うん、でも…オレ此処にいていいの」
たどたどしく声が返ってきた。涙で潤んだ琥珀色の瞳がゆっくり上げられ、その瞳にはロイの姿が映し出されている。
「ああ、心配はいらない。君は眠っていればいいから」
ロイは彼の小さな頭を撫でてやる。以前にもまして優しい手付きだ。それをエドワードは敏感に感じた。それに身を委ねるようにエドワードの瞼は下がっていった。
今は何も考えられなかった。
ただ、眠かった。


*               *               *


ガチャリと後部座席の扉が開かれた。そこからエドワードを抱えたロイが出てきた。
星の瞬きが綺麗な晩だ。澄んだ空気が身を引き締める。ロイは両腕で疲れて眠る彼をぎゅっと抱きしめ屋敷の玄関に足を進めた。その姿は尊厳で威光を放っていた。これから起こるであろ苦渋も吹き飛ばす。そんな勢いだ。
この数週間、疲れ果てた様子で深夜に帰宅する主人を律儀に待っているのは、この屋敷の女中頭と執事。
彼らは如何なる場合でもこの主人を一番に考えている。忠誠心が熱く先代の頃からこの屋敷に仕えてきた。勿論、ロイが幼少の時から彼の当主教育も携わってきたのだ。
それに彼らは一身を注いで屋敷の為、主人の為に尽くしているのだ。
「おかえりなさいませ。旦那様」
深々と頭を下げている二人の目の前にロイが姿を現した。ゆっくりと頭を上げ、主人と向き合ったその時。
二人は凍りついたのである。
ロイの腕に抱かれているエドワードの姿に猛然と目を開いた。そして間髪入れずに女中頭が甲高く声を張り上げた。
「旦那様! 先日辞めた者を屋敷に連れてくるとはどういう事でございますか!」
あまりの怒気を孕んだ声に、傍に居たファルマンが彼女を諌めた。
「アームストロング夫人、他の使用人達に気づかれます。少し落ち着いてください!」
めったに口を挟むことがない執事が主人と夫人の間に入った。そして主人にゆっくりと説明を求めるように口を開く。
「旦那様、一体どういう事でしょうか? 御説明を…」
わなわなと震える夫人の横で幾分落ち着きを払っている執事だ。ロイの背後にはエドワードの薄汚れたトランクを持っているハボックがいたが、彼は夫人のけたたましい声に片方の耳を指で塞いで顔を顰めている。しかし、その表情は何故か飄々としていた。
「話は部屋でしよう。エドワードの具合が悪い。早くベッドで休ませてやりたいのだ。夫人、彼に着替えとお湯の準備をしてくれたまえ」
夫人の憤怒する顔に目もくれず、ロイは腕の中でぐったりとしているエドワードを最優先にした。その態度に夫人の怒りも増していく。
「だ、旦那様! その者をこの屋敷に入れることは許しません」
夫人の言葉にロイは鋭い視線を向けた。空気が熱くピリピリと痛く感じた。ロイの背後に火元であるオーラがメラメラと燃え盛っていた。
「夫人、私の言うことがきけないのかね! エドワードは私の妻になる人間だ。それを邪険にするとは。私の命令がきけないのであれば、貴女がこの屋敷を出て行って貰ってかまわないのだよ!」
いつも冷ややかな口調でロイは相手を嘲笑っていたが、これほど怒気を孕んだ声を張り上げた姿は誰も見たことがなかった。
変貌した主人の逆鱗に触れ、迂闊にも夫人はたじろいでしまった。
「わ、私はこの屋敷の為。そして旦那様の為に助言しているのでございます!」
ロイの熱い視線と意志の強さにいつものように対峙することは叶わない。それでも夫人も役目を果たすべく健闘した。その夫人の想いがわからないロイではなかった。
だが、譲るわけには行かないのだ。決めたことだから。
彼を、エドワードを守る
――
「貴女の言っていることはわかっている。だが、私は決めたのだ! エドワードを妻にする。それに、彼は私の子供を身籠っている」
その場にいた者達から魂が抜かれたように時が止った。
勿論、ハボックもである。ロイの発言に思考回路がショートしたのだ。怒りに震えていた夫人も瞬時硬直した。
深い夜の沈黙のように静まり返った。
それから漸く重たい空気から抜け出すように執事であるファルマンがロイを正面から見つめた。限りなく澄んだ黒い瞳を目の当たりにした。
執事は深く大きく呼吸した。
「旦那様のご意向はよくわかりました。それが旦那様の選ばれた道なのですね」
しっかり見据えられた執事の瞳。その焦点はロイにしかと向けられていた。
その瞳に失礼がないような言葉を執事に返さなくてはならないとロイは思った。
「ああ、もちろんだ。かけがえのないパートナーだよ。君も知っているだろう。彼の素晴らしい才能、器量、そしてひたむきな優しさと強さを
――
「えぇ、存じております。では、私は何も言うことはございません。さあ、アームストロング夫人、旦那様に陳謝を」
執事は硬直している夫人に顔を向けて促した。
いつも大人しい執事がここまで言うのだ。ハボックでさえファルマンの態度に感奮した。そして改めて尊敬の念を覚えた。
「出過ぎた口を利いてしまい申し訳ございません。旦那様、お許し下さいませ」
夫人が深々とロイに頭を下げ陳謝した。さすがの夫人も屈服したのだ。
ロイの瞳に曇りはなく、そして未来へと歩んで行こうと輝いていた。それでも納得出来ない夫人が縋るような瞳で見つめていた。
「わかって頂ければ、それでかまわん」
「はい。ですが…」
「何だね!」
ロイの毅然たる態度がそれ以上の問答をさせてくれない。今迄のロイとはまったく違っていた。夫人に詰め寄られると引いてしまう彼ではない。確固たる自信が漲っていたのだ。
漸く玄関ホールでの激しい討論が終わり、ロイは私室にエドワードを運ぶために足を一歩前へ進めた。
「旦那様、私がお部屋までエドワード様を運びましょう。お疲れでしょうから」
執事が気を利かせてロイに言うが、ロイの表情は穏やかに微笑んでいた。
「いや、かまわん。私の妻を運ぶのは私の務めだ」
「そうでございますか」
ロイを先頭に後を追うように彼らがついて行く。ロイの背中はいつも以上に逞しく、そして凛々しかった。


あの薄汚く不衛生な四畳半の部屋とは大違いの当主の私室。
明度は彼の眠りを妨げない程度に灯されていた。
最近やっと薄っぺらい布団を貰って身体を休ませていたエドワード。そんな彼が今眠っている所は極上のマットレス。それと肌触りのよい寝具に身を包まれていた。
金糸の髪を波紋のようにシーツに広げて血色の良くない顔で寝苦しそうな表情を浮かべている。枕元に投げ出された片手がなお儚げに見える。
指示した通りに女中頭は着替えの長襦袢を用意してきた。ロイは誰の手も借りずに一人でエドワードの身なりを整えた。
しかし、それは痩せてしまった細い身体を目の当たりにすることでロイには拷問に近かった。
あちこち擦り切れた両手。
浮腫んでしまった両脚。
痛むであろう場所を優しく擦った。
悔しさに震えながら覚束ない手付きで帯を緩めに結んでやる。そして、ロイは恐々とエドワードの下腹に手を触れた。
此処に自分とエドワードの子供がいるのだ。
ふっとその優しい手に眠りから覚めたエドワードがふるふると金色の睫を震わせてゆっくりと重い瞼を開けた。
「ん、エドワード? すまない起こしてしまったかね」
エドワードの視線にまず飛び込んで来たのはロイの情けなく落ち込む顔。そんな顔が琥珀色の瞳に映った。それに気づいてロイの表情がふわりと笑った。
「あ、あの…オレ」
「あぁ、起きなくていいから。ゆっくり休みなさい。何か欲しい物はあるかね。食べたいものやら飲みたいものは」
ベッドに腰掛、優しくエドワードの頭を撫でながらロイは尋ねた。しかし、エドワードの口から何も返答は返ってこない。その代わりに首が所在なく振られる。見ていて痛々しい姿だ。いまだ自分の置かれている状況が把握出来ていないのだろう。
「エドワード、大丈夫だから。何も心配はいらない。君はゆっくり休みなさい」
「でも
――オレ、此処にいちゃダメッ」
「いいのだよ。ちゃんと話はしている。君を私の妻に迎える。もう誰にも反対はさせない! だから今は、お腹の子供の事だけを考えてゆっくり休みなさい」
「ホントにそれでいいのか…」
「あぁ、もちろんだよ。明日はヒューズに身体を診察して貰おう。彼なら大丈夫だろ。ちゃんと私も付いていてあげるから」
彼の眠りを妨げないようにと声を潜めてロイは話した。その低く落ち着いた声色がエドワードの心にゆっくり浸透していく。
ふと気づけは大粒の涙がぽろりと一粒流しながら彼はゆっくりロイに頷いてみせた。
それからロイの温かな手を和むようにゆっくり瞼を閉じていった。「お休みエドワード…」と、遠くで好きな男からの声が聴こえていた。そんな夢うつつの中、エドワードはロイにも聞き取れない小さな声で「
――アンタの子供産みたい…」と、もごもご口の中で呟いていた。




続く

すみません、お待たせしました。
はあはあ…オフ本から解放されたので更新を開始。←たまにピタリと筆が止まることも/笑。
やっと旦那様がアームストロング夫人をぎゃふんと言わせました。
強気に出る旦那様です。イライラしていたみなさん、如何でしょうか? しかし、それでも今後もA夫人は奮闘します/笑。

桜 美由紀 2006/8/28