愛すること、愛されること。(27)
「エドワード様、おかげんが良いようでしたら、旦那様のお出迎えを――。それぐらいの気配りを持って頂かないと」
エドワードは少しずつではあるが、疲弊していた体調を回復させた。しかし、今度は悪阻に悩まされる日々を送っている。
その彼は当主の私室にエドワードの為に購入されたカウチで身体を横たえていた。
何事にも遠慮するエドワードを差し置いて、ロイが身重の妻の身体を思い購入したカウチ。
寝台としても使用できるぐらいのクッション製。骨組みに使われている木材は最高級の素材だ。布地も鮮やかな刺繍を施された豪華なカウチである。日がな一日、彼がそこで過ごせるようにとロイが配慮しているのだ。
この部屋で一番日当たりが良く、近くには美しく磨き上げた窓があり外の景色がすぐにでも見える場所にそのカウチは置かれていた。悪阻が酷く臥せっているエドワードの為を思って、ロイが色んな手を尽くしてくれるのだ。
傍に備え付けてあるテーブルには読み掛けの本が点在していた。エドワードは気分を紛らわそうと好きな読書をしていたが、やはり思うようにいかず、カウチの縁に両腕をついて重い頭を乗せ、臥せっていた。そんなところにアームストロング夫人が冷たく声を掛けてきたのだ。気だるく頭を擡げて、エドワードは夫人の言葉を聴いていた。
されど、夫人のいう言葉に間違いはなかった。エドワードは自分の素行や忌まわしい過去の所為でロイに肩身の狭い思いをさせたくないと、だるい身体を起こした。
「――すみません。行くよ…」
急に立ち上がると目眩を起こすのでゆっくりと立ち上がったが、それが気に食わないのか、それともエドワード自身を気に入らない為か、夫人は先を急かすのだ。
エドワードは身重の身体を少しは労わって欲しいと思いつつも、夫人の支持に従った。これもロイの為を、と思えばこそ――と。
屋敷の旦那様はこの貧疎な身体に大切な宝物を宿してくれたのだから…。
夫人に小言を言われ、急かされながらもエドワードは何の兆しも見せていない下腹部辺りを優しく撫でていた。自然と零れている微笑をアームストロング夫人が冷たい視線で黙ってみていた。
毎度のことながら背筋を伸ばして歩く彼女の後ろをエドワードは少し俯き加減に胸元を押さえて歩いた。足早な夫人の後をやっとのことで、追い歩いていく姿はどちらがこの屋敷の女主人かわからない。
それにエドワードのそんな姿は、夜中に“愛妾”として屋敷の主人の部屋を訪れる姿とあまり変わりはなかった。エドワードの胸中には変えられない過去が健在していたからだ。
自分は薄汚れた性奴隷であった過去を引き摺っているのだ。そう易々と気持ちを切り替えるには、今の自分の立場は重責を担っていた。
広い玄関ホールには使用人と執事であるファルマンが既に待機していた。エドワードがその場に到着するや否や、玄関ホールの壮麗な柱時計が大きな音を鳴らした。
徐に彼が見上げれば、時計の長針は十一時を過ぎていた。
「あ、っ…もうこんな時間だったんだ」
エドワードがふと口を開きその言葉を出した途端、夫人の咳払いによって彼の声は掻き消された。エドワードは夫人の顔色を見て、身を小さくしてしまう。
あんなに元気良く振舞っていたエドワードの態度は大人しく、周囲を驚かせた。これも不安定な身体に屋敷の後継者を宿して不安になっている所為だろうとその場にいた使用人達は哀れな目を彼に向けていた。
仕事が忙しいのか、それとも――。
ロイは時たまこうして帰りが遅くなる。以前ほど頻繁にではないが、エドワードを妻に迎えてからもこの癖は治らなかった。
だからと言って誰も責める者はいなかった。アームストロング夫人などは率先して、見目麗しい淑女達が集まるパーティーに出席すること勧める始末。勿論、エドワードを参加させようという気は全くない。それはエドワードも然り。
この時間になると当番の使用人数名と執事、女中頭で主人の帰宅を待つのだ。コチコチと柱時計が分を刻んでいると、扉が前ぶれもなく開かれた。
それを確認して、そこに並ぶ人間は一斉に頭を下げた。エドワードもつられる様に頭を下げた。彼はこんな深夜の出迎えは始めてなのだ。
「お帰りなさいませ。旦那様」
ちらりとエドワードは顔を上げると、ロイの姿が視界に映った。彼の姿を見るだけで、心が落ち着くのだ。緊張していた顔つきが、にこりと微笑みに変わる。
普段通りに厳ついた表情で有無を言わさず、ロイは鞄を執事に預け帽子を取ると見慣れない姿に驚いた。
「エドワード!? こんな時間まで起きていたのかね」
慌てて、ロイは彼の傍に歩み寄った。まさかこんな時間に彼の出迎えがあるとは思ってもいなかったのだ。ロイの驚いた顔は少しバツの悪そうな表情に変わった。
「あ、うん…」
と、エドワードがはにかんで顔を上げ、言葉を返そうとしている所に口を挟んできたのは、あの人だ。
「私がお連れ致しました。少しは旦那様のお身の回りを世話して頂かねばと思いまして。体調がお悪いからと言って、のらりくらりと過ごされては旦那様の名目に傷がつきます!」
冷たく吐き捨てられて、エドワードは肩を窄めた。夫人の言葉に何一つ反論できない。彼女は間違ったことを言ってはいないのだ。
しかし、彼の身体は初めての妊娠。その上、ふたなりという稀有な身体。彼の不安は唯ならない。その辺りを少しはわかって欲しいと思うのだが、エドワードが口に出せるはずもなかった。特にこの凛と背を伸ばしている女史には。
「夫人、エドワードは身重なのだよ。少しは多目に見てくれたまえ! こんな夜半に連れ出すとは腹の子供にもしものことがあってはいけない。君に責任が取れるのかね!」
「エドワード様がお出になられると言われましたので…」
つんと鼻を上に突き上げてアームストロング夫人はそ知らぬ顔をした。そんな夫人の態度にロイは盛大なため息を吐いた。それから、気を取り直してエドワードに振り向いた。
エドワードは視線を床に落し、静かに声を出してきた。
「お帰りなさいませ。旦那様…」
彼の視線は所在なく下を見たり、上を見上げたりと落ち着きがない。その素振りが初々しく見えてふっとロイは顔の筋肉を緩ませた。
「エドワード、ただいま。休んでなくて良いのかね」
愛らしい妻の頬に手を伸ばすと、エドワードは明らかにビクつき後ずさりした。ロイの表情も瞬間的に怪訝なものに変わり彼の顔を覗き込んだ。
男とは欲望のままに生きる生き物。そして、その所業をいとも簡単に忘れるのだ。
ロイにとってたまたま今日がそんな日であった。
* * *
心の拠り所であるロイが帰ってきたことにエドワードは嬉しさを感じていた。
が、しかし――。
頬に触れてきた大きな手。その手に直接触れられることはすごく好きだったのに――。
そのシャツの袖口から、甘い香りがエドワードの鼻をかすめたのだ。
突如、不快に感じた。何やらエドワードの中でドロドロとした感情が渦巻いたのだ。感情の名前を知っているが、エドワードはそれを素直に口にすることは出来なかった。
「エドワード、大丈夫かね?」
心配そうに顔を覗き込まれるが、ロイの顔色を伺いながら口を開き気味に彼の顔を見上げたり足元を見たりとたじろいでいた。そんな彼に気遣いながらロイは彼の肩を抱きながらゆっくりと歩き出した。
しかし、彼からほのかに香る甘い匂いがエドワードの気分を更に急降下させていく。ドキドキと動悸がして、ふわふわと足が地に着かない。纏わりつくこの甘く媚態した香りで気持ちが悪い。まるで、艶かしく真っ赤な爪をした女の手がロイの身体を這っている様だ。
この胸に言い知れぬ不快な気持ちが徐々に蓄積されているのがわかる。爆発したくても、出来ない。その代わりにせり上がってくる嘔吐感に堪らず、着物の袂で口元を押さえた。肩や背を小刻みに震わせるエドワードに気が気でない表情を露にしてロイが声を掛ける。彼らの後方を緊張した面持ちでついて来る使用人達もエドワードの様子にコソコソと小声で話し出した。
「エド!?」
「…ご、ゴメン。気分が悪くて…この香り――」
「香り?」
ロイの心配そうな瞳が涙目になったエドワードの瞳に浮かんだが、それっきり――彼は意識を途絶えさせた。
気分が悪くて堪らない。
この胸元でざわめく感情が堪らない。
旦那様が傍にいるのに、この虚無感が堪らなく嫌だった。
遠くなる意識下で温かな腕が身体を支えているのが、何となくわかった。が、それ以上にこの纏わりつく香りが嫌で押し戻そうと腕を突っぱねる自分がいた。
反比例した感情が自分の中に存在していた。
使用人達が慌てて、駆けつけ声を上げるのをエドワードは遠くなる意識中で聴いていた。
この胸の空虚を埋めて欲しい。
誰に――愛する人に…。
エドワードがぼんやり重い瞼を開けると、ロイが心配そうに見下ろしてくる瞳とかち合った。ふわりとエドワードの表情が柔らかくなる。それから思い立ったように声を出した。
「旦那様? あ、ゴメン。あんなところで目眩起こすなんて…。オレ、もうちょっとしっかりしなくちゃ…」
「悪阻が酷いようだね。私の出迎えより君の身体を労わりなさい」
「あ…う、ん」
身体を起こそうと力を入れるが、鉛のように重くてため息が漏れた。そんなエドワードをロイは眉尻を下げ、ポンポンと掛布を軽く叩いた。
寝室に運ばれたエドワードは豪華なベッドの寝具に身体を包まれていた。橙色の揺らめきが部屋を優しく包み込み、その明度は眠りを誘うように調節されていた。ベッド端でロイが手を伸ばそうか、どうしようかと躊躇いながらもサラサラと流れる金色の小さな頭に指を差し込んだ。
「無理はしなくて良いのだよ。それより何か私に言いたい事があるのでは…」
少し気まずそうに顔を顰めるロイにエドワードは背中を向けた。不思議と今は、彼からはあの不快な甘い香りはしなかった。その代わりに入浴後の爽やかな石鹸の香り。エドワードが好きなロイの匂いがしていた。
これで少しは、気分が良くなったようだが、胸に蓄積された想いは燻っていた。だから、ロイの顔を真っ直ぐ見れずに背中を向けたのだ。
この想いは口に出してはいけないと想っていた。
されど、どうやってこの蟠りを消去したら良いのだろうか、エドワードは瞑目し口を閉ざしたが、ロイは熱い息を吹き掛ける様に接近して訊いて来るのだ。
「何か…? どうしたのだね? 言いたいことがあるのだろう。言ってみなさい」
優しく何度も訊いてくるロイの声色にエドワードの心が揺れるが、ふわりと柔らかい枕に顔を埋めて首を振った。
「――どうもしてねーよ。ホント悪阻が酷くて、気分がめいっているだけ…」
ギュッと瞑った瞼が震え、シーツを握り締めていた手が血色を失って白くなっていたが、頑なに真意を隠した。
その真意が彼にもわからないのだ――。
唯、不快、不愉快という想いが彼の胸の全般を占めていた。
一体、何に対して。誰に対してと自問自答すると答えを雲隠れさせるのだ。
「エドワード、口にしてくれないとわからないこともあるのだよ。私に何か落ち度があるのだろう」
ロイがやっと手に入れた華なのだ。この華はめったなことでは手に入らない。その上、取り扱いも繊細なのだ。それでもこの華を手入れたかった。
それだけ愛しかった。
我が心の全てを知る彼の存在は貴重なのだ。
機嫌を取るように何度も訊いてくるロイを邪険にする訳もいかなくなってきた。そうこれは自分の不可解な感情が起こした発作に近かったからだ。だから、短編的にエドワードは理由を述べた。しかし、それしか彼にもわからなかったのだから。
「……匂いが嫌だった――から…」
か細い声色でエドワードは答えた。それが今、唯一出来る術。
「匂い?」
エドワードの言葉にロイは、はっとした。思い当たる節がありすぎるのだ。エドワードの今迄の表情が走馬灯のように駆け巡ってくる。結果的にロイは肩を窄めて彼に頭を下げた。
「すまない…」
小声で発する謝罪の声を聴くとエドワードがびっくりしたように背けていた身体をぐるりとロイに向けてきた。
「え!? アンタが謝ることないよ。オレが…その――」
その続きの単語が出て来ないのだ。
そんな名の感情を持ってはいけないのだと思っていたからだ。一瞬、合わさった瞳がエドワードの意志によって逸らされたが、彼のそんな素振りの一つがロイには可愛らしくて堪らない。それに彼が言葉にすることができない単語とその意味を知っているからだ。
それはロイにとって歓喜に湧くものだ。エドワードがそう想ってくれるのだ。数多の女性がロイにその想いをぶつけてきても、それは邪魔でしかなかった。その感情を強く出す者はロイの前からすぐに消えていった。
見苦しく、扱いに困る代物なのだ。嫌悪感さえ抱いたものだ。
しかし、エドワードがその感情を抱くことにロイは欣幸を感じていた。特に今迄、エドワードは色んな想いを心に閉じ込めてきたのだから――。
悪戯心が湧いてくる。己の不手際を棚に上げて独占欲を味わう。男という生き物はそういうモノだ。
「エドワード、嫉妬しているのかね?」
にこりと頬肉を上げてロイは彼の頬に触れると、ビクッと触れた頬が強張った。それからエドワードは強引に首を振り続けた。
「そんな……違うよ。違う…」
何度も重複していう辺り動揺しているようだ。怯えたように見つめてくる彼の瞳が堪らなく嬉しい。ロイの目尻は垂れ下がっていた。ベッドの中で身体を丸める彼をロイは優しく抱き起こして、彼の額にチュッと音を立て口付けた。
「――旦那様?」
優しい抱擁にエドワードの両腕は自然と彼の背に回っていた。縋りつき、その大きな胸に頬を寄せた。今はあの不快な香りはしない代わりに普段のロイの匂いが香ってきた。
「……匂い? しない」
ぽつりと声が胸元から聴こえてきた。
「シャワーを浴びてきたからね。これなら大丈夫だろう、エドワード?」
こくりとエドワードは頭を下げて、深く呼吸をした。それからぽつりぽつりと彼の中で煮詰まっていたことが話し出された。
「あ、あの…。やっぱり、旦那様が……んっーと」
相槌を打ちながら、ロイは彼の言葉を待った。
「ん? 何だね。遠慮せず言ってくれ!」
両腕を突っ張ってエドワードはロイの胸から抜け出し、その両手は掛布をギュッと握り締めた。彼の視線は上目遣いでロイを見たり、下に下ろされたりと忙しい。
「――アンタが他の人と…その、あの…Hしたりするの。ヤダッ! 我侭言える立場じゃないけどやっぱりヤダと思う。ホント、ゴメン…。それだけだよ」
ゼェゼェと最後は息を吐きながら、やっとのことでエドワードは自身の中で燻っているモノを言った。だからといって、これを相手に強制することが出来ないことは充分承知していた。
肩を上下させ荒く息を吐く彼の肩にロイは手を乗せて、彼の俯いた顔を上げさせた。
「それを嫉妬というのだよ。エドワードは私に嫉妬しているのだよ」
「嫉妬? そんなぁー違うよ…」
エドワードの眼はこれ以上開かないほど見開いた。彼の中では嫉妬という感情は禁句のようだ。抱いてはならない感情だと思っているのだ。認めようとしない彼にロイは微笑を浮かべて見つめていた。
だが、本人は必死なのだ。エドワードは萎縮したように表情を曇らせて、こんなことを言い出したのだ。
「あ、あの…今、オレが妊娠して身体の調子が良くないから…しちゃダメだから?」
膨らむ妄想をかき集めた。嫉妬という言葉を認めたくないのだ。
彼がこの屋敷に戻ってきてから、一度もロイから身体を求められていない。妊娠初期の上、流産の可能性があると診断され、性交をヒューズに止められていたのだ…。
心が通い合った今、身体も繋がりたいと自然に思うだろう。エドワードも少なからず思っていたが、自分の身体が思うようにいう事をきいてくれなかったのが事実だ。
今迄、愛妾として褥に転がっていた卑しい身分。その役目を果たさねばという曲がった考えを持っていたのも事実。
それに男の性的心理も熟知していた。性を吐き出さねば男は色々と支障があるのだ。
「旦那様が――他所に行っちゃうのならオレさ……頑張ってその〜別の方法で。ほら、そういうのオレ慣れているから。――口でしたりして…」
おやおやどうしたのだろう。
嬉しいことを言ってくれるエドワードにロイの眉は下がりっぱなしだ。エドワードは頬を赤らめて四苦八苦している。それなのに男という生き物は初心な彼の姿を悦んでいるのだ。だが、これ以上彼を悩まさせるのは酷というもの。
「エドワード、私が悪いのだよ…」
自分は決して怒って等いない。嫉妬している彼に嫌悪感はまったくない。逆に愛らしくて堪らないのだ。身分を越えて一緒になったが、エドワードは気持ちを押し殺す癖があってなかなか素直に感情を出してくれない。
それに――今回は全面的に自分に非があるのだ。
「エッ!? そんなぁ、男は誰でも――その浮気とかするから。でも、やっぱり…して欲しくなくて。もうー、嫌だな! こんなこと言っちゃってオレ、何言ってんだろう。それに……こんなこと言える立場じゃないのにさ。オレの方こそ以前は――」
ロイを見上げて微笑んだつもりだが、エドワードの瞳からぽろりと涙が一粒零れた。気づかぬ間に零れたので彼は驚いた。
「あれ? あれッ…何だろう? 何で涙が出てるんだろう。別に悲しくないのに」
ゴシゴシと溢れる涙を擦ったが、後から後から涙は頬を伝っていた。そんな彼を見て、ロイはもう一度優しく抱きしめ直した。エドワードにこれほどの心痛を与えていたとは露知らず、愚かな自分に情けなくなり固く瞑目した。
「すまん、ちょっとした出来心だ。他の女性とは身体だけの付き合いだ。前からそうだ…。君という最愛の人を見つけたにも関らず、私は何て愚かなんだ」
ロイは彼の純粋な涙にまごついた。それほど彼が涙を流す姿は純粋無垢なのだ。自分の軽薄な行動は酷く愚かしい。それ故に聖女のように涙を流す彼が堪らなく愛しい。
ロイの素行の悪さは以前から知っていた。エドワードが“愛妾”になっても彼は変わらなかった。唯、回数は激変していた。
「もうこれからは君だけしか抱かないよ。どんなことがあっても…許してくれ。これが最後だよ」
溢れた涙で漸く、エドワードは自分の感情の意味を知った。独占欲、嫉妬……女々しいと言われる感情だ。
それを知っても男は許してくれると言うのだ。それに、ご丁寧に我が身を己自身で裁こうと喋らなくて良いことまで口に出しているのだ。滑稽だ。
「――うん。信じてるよ」
次に顔を上げたときには、エドワードはくしゃりと笑顔で困り果てた顔をする男を見ていた。
信じられるから、こうして微笑んでいられるのだ。どんなことがあっても…。
「あぁ、こんなに君が私のことを想ってくれて嬉しいよ。君を泣かせてばかりだ…」
「もう泣かねーよ。何だか、ちょっとすっきりした」
少し目元を貼らした顔だが、にっこりと笑顔に変わっていた。その表情を見て、ロイも安堵の息を漏らした。
悪戯が見つかったような表情のロイがエドワードには可笑しくて堪らない。こんな容貌を見られるのも自分の特権なのだろうと、クスッと笑うエドワードにロイはバツ悪く赤くした顔を少し横に逸らした。
「さあ、もう休みなさい。そうそう、私が留守の間ちゃんと食事は採っているのかね?」
彼が泣き笑いしているのを良い事にロイは少し拗ねながら、エドワードの横に身を横たえ、亭主関白的に言ってきた。余程、自分の軽率な素行を悔いているのだろう。気の知れた者以外には冷酷な態度を取る彼も今はまるで拗ねた子供のようだ。
ゴシゴシと涙の痕を擦るエドワードの手を掴んで「ダメだよ」と目で訴えて優しく、その部分に口唇を這わした。くすぐったそうに、片目をエドワードは瞑っていた。
「んぅーあんまり食欲ないけど…。それよりあの食堂が広すぎて――」
マスタング家の屋敷は広い。
その中でもリビングは仕事での接待の為に広く豪華に作られている。夜会を豪華絢爛に開かれるようにと調度品も貴重な品物が置かれている。その品の良さを来客した者が世辞ではなく褒めちぎっていくのは極当たり前。それに広さは政財界の中で一、二を競うぐらいだろう。
そんな屋敷だから勿論、当主らが日常で使用している食堂も豪華なものだ。
ロイの胸に潜り込むようにエドワードは身を寄せて、心細い日常をぽつりと漏らしたのだ。だが、こればかりはどうしようない。ロイは子猫のように擦り寄ってきた身体を広い胸と逞しい腕で包み込んで話し始めた。これはこれからの未来を含まれていた。
「仕方がないよ。それは我慢してくれ。しかしな、エドワードはもうすぐ家族が増える。そうしたら、食卓も広くは感じまい」
使用人達が身を竦ませて食事をしているエドワードに、気の利いた言葉を掛けてくるが、そんな言葉よりも、ロイの胸でこの言葉――家族が増えると言われたのが、どんな世辞よりも嬉しかった。家族と離散しているエドワードにとって魔法の言葉だ。
「うん…」
その言葉を深く噛み締めて胸の中で頷いた。
「あぁ、そうだ! エドワード、明日私は休みだ。一緒にランチを外の庭園でしよう」
「え? そんなこと出来るのか?」
驚いたように目を丸くしてくるエドワードの頭を撫でながら、ロイは自慢げに話し出した。
「当たり前だよ! 私が指示することに口出しする者は許さない。それが、あのアームストロング夫人であろうともね」
「じゃあ、やっぱりあの人何か、言ってくるんだ…」
上昇気味だった笑顔が若干下降したが、ロイと一緒にいられる明日を思うと心は何時にないほど躍りだした。この広大な屋敷に色々と曰くのあるエドワードは居場所がないのだ。
それでも不思議と屋敷の旦那様が一緒だと安心していられるのだ。
「大丈夫!! 何か言っても私がちゃんと君を守るから…。あぁ、それに悪阻が治まって、安定期に入ったら社の方にも君を連れて行こう」
「エッ!? それは……やめてくれよ」
弱気な声が返ってきたが、ロイは気にせず話を先に進めた。自慢の妻を皆に見せたかったというのは勿論こと。こうして、少しずつエドワードをこの生活に馴染ませようと思っていた。それは、彼が負担にならない程度にと。
「心配はいらない。君に対して粗略な物言いをする者は私が処罰を下す! 君の素晴らしい能力の前には誰も太刀打ちできまい」
ロイはビジネスパートナーとして彼を誉れに思っていたのだ。学歴、家柄で物を言うのではない。あくまで実践力が必要とされるのだ。そのことを社員にも良く知って欲しいと常々思っていた。
ロイの夢は膨大に膨らんでいく。この愛しい伴侶を両腕にしているのだ。恐いモノはない。それに、彼に対しての世間の中傷など蹴散らす自信があった。それが出来るほどエドワードは実に優秀な人格の持ち主であり、それだけの才力を持ち得ていた。
そして――これもあの薄汚い路地裏で互いの秘めた愛を叫び合ったからこそ、固い絆が結ばれたのだ。
次から次へと未来の話が熱くエドワードに語られた。
ふと、視線を下げれば自分の胸元でスウスウと安らかな寝息が聴こえていた。
延々と語られる熱弁に呆れたのか、エドワードは夢の中にいた。穏やかで、あどけない表情で眠っているエドワードに満足してロイも眠りの中に入っていく。
二人で同じ夢が見ることが出来れば良いと思って――。
続く
旦那様の浮気編。
自分の卑しい過去の為に、感情を押し殺す癖があるエドワード編?
この後、二話ほどは甘い二人を書きました。
そうじゃないと…谷へ落せないからね。
淋しいと言いつつ、サイトを更新してみた。続きも(29)まで進行中。
(30)から谷底に落ちる予定! つぅーか、誰か感想はないのかね?メチャヤル気を失せている桜。
桜 美由紀 2006/10/6