愛すること、愛されること。(44)












「お義母さん、絶対兄さんはマスタング邸にいるよ!」
円卓テーブルの端を叩くように立ち上がっているアルフォンスの肩を大きな腕が掴み座らせた。この家の当主であるシグがぼそりと低い声を上げた。
「とにかく食え!」
がつがつと朝食を頬張りながら聞いていた女主人のイズミはじろりとアルフォンスを睨み上げた。そのきつい眼光にアルフォンスはたじろぎ静かに腰を下ろした。
「昨日の夜会では逢えなかったのか?」
しょんぼり肩を落とすアルフォンスにイズミは素っ気ない態度で尋ねると、アルフォンスはぐっと握り拳を膝に当てイズミと向き合った。
「うん……。いなかった。どんなに会場の中を探してもいなかった。でも、兄さんがどんな姿に変わろうとも僕は見つけられる自信がある。……けどいなかった」
漸く大量に積まれた朝食を食したイズミは背凭れに身体を預け、満腹の腹を擦った。その隣でシグも黙ってアルフォンスの話を聞いていた。
「僕を養子に出すために兄さんは自分の身体をあんな卑劣な奴らに売ったんだ。そして――僕にこんな大切な家族を与えてくれた。僕は兄さんを見つけ出して、あんな生活から解放して上げなくちゃいけない。幸せになってもらわないと……」
幼くして両親と死に別れた二人。そんな二人の生活の大半をエドワードが面倒を見ていた。それでも世間の目は冷たく厳しかった。食うものも侭ならない事態に陥り、ついにエドワードは大切な弟を生かすために自らの身体を売ったのだ。稀少なふたなりの身体は両親が生きていた頃から好奇な目に晒されていた。裸一貫に近い自分達の中で何が一番高額で売れるかエドワードは知っていた。
しかし、両親の死から立ち直れていなかった幼いアルフォンスには兄がどういう手段を使ったのか定かではなかった。
それから時が経ち、子供がいないカーティス夫妻の養子になったアルフォンスは愛に溢れた生活に恵まれた。その間も片時も兄のことを忘れたことはなかった。と、同時にその当時の事情が徐々に明るみになっていく。
アルフォンスは深く思い煩っていたのだ。
「お前の気持ちは良くわかっているよ。もっと早くに気づいていれば……二人とも引き取って遣ったのにな」
「お義母さん、ありがとう」
イズミは円卓テーブルに粗雑に肘を突き、旦那であるシグに温かな眼差しを向けた。子供のいない二人にはアルフォンスはかけがえのない家族となっていた。優しい瞳は少し困った面持ちでアルフォンスに戻した。
「アル、だけど相手が悪かったな。どうやらマスタングの手の内にいるとなると、あまり良い扱いを受けているとは思えんな」
アルフォンスは首を傾げた。
「あの男は女性関係で良い噂は聞かないからね。それに冷酷な男だ。アンタもそう思うだろう…」
シグは太い腕を組んで黙り込んでいた。そんな浮かない顔の二人にアルフォンスは一抹の不安を覚え、尚更兄の安否を気遣う気持ちは強まる。
早朝の清々しい陽射しに向かって願うことしか出来ない。
どうか――兄さんが笑っていますようにと。
現実は悲しみに暮れた饗宴が催されていた。


*          *          *


「ぅ、もう……許してぇ――」
小鳥がさえずるより小さな声色。懇願する声色は妖艶さと悲痛の極みを併せ持っていたが、さらりと声音は覆い被さる黒い物体をすり抜ける。
朝明けの清澄な光が大海原を思わせるシーツに発光し反射していた。しかし、その清潔さと異なってその真っ白な海原では淫らな行為が延々と続けられていた。
新鮮な空気を感じられることはなく、不浄に澱んでいる。
愛欲という名の元に支配される身体は快楽を感じることなく唯――揺れていた。
うつ伏せの身体に圧し掛かる男は腰骨が目立つ薄い腰を強く掴んで、揺すっていた。強弱をつけ、時には円を描くように強く最果てを目指すように突き進んでいた。
エドワードは苦痛を凌ぐために奥歯を噛み締め、地獄の責め苦を耐えていた。
官能に酔えない身体。
快楽に身を落とさない身体。
圧し掛かる男に従うだけの身体。
触れられることを拒絶する身体。
心は受け入れようと必死なのだけれども――身体は……。
エドワードは疲弊した身体を投げ出し、愛しい男の怒りを抑える為だけの抱き人形と化していた。硝子玉の瞳は虚ろに彷徨いながら雫を零していた。
ロイが零す淫欲に溺れた熱い声色。それに対してエドワードの苦痛の声音を押し殺す声音。
思いの通じ合わない性交は昨晩から続けられていた。
想いをぶつけるように粗略な交わり。ロイは苦痛に歪むエドワードの顔を自分に突き合わせた。繋がった局部は離そうとしない。身体だけでも繋げようと想いを込めているのか…。
「ぉ…ね、がい。もう許して――」
「駄目だ。まだ足りない」
再三に渡り広げられた両脚をまたしても左右に開脚され、その狭間にある秘所をロイの凶器と化した男根が侵し続けた。
体位を変えられたことで、微妙な痛みが身体を走った。
エドワードは乱れた髪を更に振り乱して抵抗した。それは昨晩から少しも変わらない。舌打ちしながらもロイは激しく腰を振り、齧り付くように幼い胸を握った。
そして――悲鳴。
しかし、そんな饗宴に水を差す音がした。
ロイがきつい眼差しで扉の方に視線を向けたが、すぐにエドワードの腫れ上がった赤い乳首に噛み付いた。
エドワードはそんな些細な音に気づくはずもなく。虚ろな瞳で穢れ続けるシーツを見つめたい。けれどもロイには扉を叩く音が耳障りで堪らない。しまいには声までも寝室に届き始めた。恐らく起床時間になっても当主が起きて来ないことを心配した使用人が扉を叩いているのだろう。
それは野暮というものだ。当主は早朝から妻と抱き合っている最中なのだ。正確に言えば妻を昨晩から犯していると、言った方が正しい。
次第に荒々しく叩かれる音に流石にロイも苦々しい顔つきを露にした。
「クッ、忌々しい!」
そう言い放つと、エドワードの乾いた口唇に粗雑なキスをした後、繋がっていた凶器を一気に抜いた。漸く、串刺しから解放された身体はビクッと跳ね上がった。
「ぅ…つっ」
乱れた金糸の頭をがさつに撫でたロイはバスローブ羽織ってベッドから降りた。その背を硝子球の金目がぼんやりと追っていた。けれども裸体を隠すために動くことも侭ならなかった。全ての感覚が失われていた。広げられていた両脚を閉じることも出来ないのだ。
恥辱も感じない。痛みも感じない。無の世界。
エドワードは虚ろに映る世界を唯眺めていた。
扉の外で何やら声が聴こえるが定かではない。
視線だけを泳がせていた。するとキラリと輝くものがエドワードの視点に飛び込んできた。それはとても眩しくて――綺麗だと思った。プリズムが交差し七色に輝いていた。
何も感じない身体がこの輝きに反応した。その光に導かれるようにエドワードは重い身体をゆっくりと起こした。
身動き一つ出来ないと思われていた身体なのに、その輝きを目指して身体は勝手に動いていた。自分にはない清浄な輝き。そして――未来を指し示すような強い輝き。どす黒い不浄な物、全てを浄化してくれそうで……。
ベッドから降りた身体は這うようにして、その場所に進んだ。そこは朝陽が寝室に置かれた姿見の鏡に反射して燦然と輝いていた。
寝室の端に飾られるように置かれていた姿見。閑寂にそれは佇みエドワードを見据えているようだ。エドワードはその前にぺたりと座り込んだ。そして、茫然と映し出される姿を魅入っていた。
映し出される自分の姿に震える手を伸ばした。
彼の澱んだ瞳からぽろぽろと雫が堕ちる。余りに無残な我が身が情けない。半立ちになって鏡と向き合う姿は見るに見かねる姿なのだ。
煌びやかに輝いていた金糸の髪は艶を失いぼさぼさに乱れ、若く肌理の細やかな陶磁器のような肌はがさがさに荒れ、ろくに食事を取っていない身体は痩せ細っていた。とても健康的な身体とは思えない。粗探しをすれば切がないが、色を失った肌に醜い模様を描くように右肩と左大腿部は深い傷跡を残していた。
そして――男でも女でもない身体。
子供のように幼い小さな乳房。二次成長途中の幼い男根。内股の最奥には女性器が存在している。一体、この身体は何物なのだ。
身体中には男が残した刻印が赤黒く点在し、肉欲に溺れた男の残滓が陰部から漏れ出し内股を伝っている。穢れきった身体にエドワードは失望する。
「こんな身体のどこが良いんだよ!」
鏡に映し出される己の身体に向けて嗄れた声帯が叫喚した。悔しさをぶつける声音は濁流のように押し寄せてきた。
「見ろよ! こんな男でもない。女でもない身体。みっともない――唯、男達の欲望に弄ばれる身体。穢れきっている。綺麗な処なんてどこにも残ってない!」
眩いプリズムを発光する鏡は己の真の姿を映し出している。
真実の姿。
有りの侭の自分。
隠すことの出来ない事実を突き立てられる。
それでも―――鏡面越しに映る黒髪の男はこの身体を愛してくれた。

扉の外から呼ばれる声に苛つき、貪欲に貪っていた身体から離れた。放心したエドワードの身体と心に些か罪悪感を持つ。けれども堰を切った欲情は抑えることが出来なかった。
バスローブを纏って寝室から出ると案の定予想通りの光景が目に入ってきた。
「ぁ、おはようございます。旦那様。ご起床のお時間でございますが、お加減でも悪いのでしょうか?」
主人の顔色を伺った使用人の態度。恐らく、彼女には寝室で何が行われていたのか気づいているようだ。裸体に白いバスローブを身に付けただけの姿は男の色気を感じて、使用人は少しばかり顔を赤らめ俯いている。
しかし、そんな素振りを見せる使用人をロイは邪険に追い払うのだった。
「社に連絡をしてくれたまえ。本日、私は出勤しない。急ぎの用件以外取次ぎはするな」
「えっ? はい…」
きょとんと顔を上げた使用人を無視してロイは不機嫌に背を向けた。
「それと私が呼ぶまで寝室には近づくな。そうアームストロング夫人に伝えておけ!」
低い声音は使用人を怖がらせ、先程まで少しばかり浮かれ気分になっていた彼女を従順に従えさせた。
「かしこまりました…」
退室した使用人を端目にロイは寝室の扉の前で一端立ち止まった。この中に入れば、またすれ違う想いに悩まされる。どうしても伝わらないこの想い。既に会話はなかった。何度も叫び続けてきた言葉は彼には届いていない。だからといって彼の身体を強引に犯すという手段をとったという訳ではない。
もう――限界だったのだ。本能的に彼の身体が欲しかった。
言葉で埋め切れない想いを身体が変わりに埋めようとしたのだ。
肉欲、情欲、色欲、愛欲。どろどろとした性的欲求が爆発してしまった。そんなことでエドワードの心を取り戻せるはずがないことは充分わかっていた。
後に残るのは罪悪感と苦悩。この扉を開けばまた煩悶するのだ。そうとわかっていてもロイはやはりドアノブを回した。
しかし、彼の瞳に飛び込んできたのは眩い光に包まれたエドワードの姿。
一糸纏わぬ裸体は神々しいほど輝いた金糸の髪が背中を覆っていた。真っ白な裸体は透き通るほど透明で、それでいて煌めいていた。
乱反射を繰り返す鏡面はエドワードの全てを映し出し輝いていた。天から舞い降りた天使のような彼の裸身は清楚で穢れを知らないようだ。
ロイは暫く時を忘れてその姿に魅入っていた。
エドワードの想いとは逆にロイは純真無垢なエドワードを穢してしまったという錯覚を覚える。けれども天使は自身を堕天使と言い張って涙を零していた。ロイには彼の悲痛な叫び声も澄んだ琥珀色の瞳から零れる雫でさえ、美しく思えるのだ。
鏡面越しに魅入っていた天使は徐にこちらを振り返って叫び声を上げた。
「こんな身体のどこが良いんだ! アンタ、可笑しいよ…。どうして――」
先程まで峻厳な顔つきでいたロイの眉は困ったように下がっていた。白光する天使の姿にすっかり毒気を抜かれてしまった。
一歩ずつ惹かれるようにロイは天使の傍に近づき跪いた。それを天使の琥珀色の瞳はしっかりと見ていた。ロイはエドワードと視線を合わせた。彼の視線の先には何もかも諦め切った虚ろな瞳はなかった。答えが欲しいと催促する瞳が此処にはあった。
今ならば自分の言葉がエドワードの悲嘆に暮れた心に通じるかも知れない。そう想ったロイはゆっくりと涙に濡れる頬に触れた。
「エドワード、君は綺麗だよ」
その言葉に偽りはなかった。
「嘘だ! 神様はこんな穢れたオレを許しちゃくれない。だから――子供だって…」
ロイは首を左右に振った。
「そんなことはない。本当に君は穢れてなどいない」
エドワードの両肩を優しく掴んで、キラキラと輝きを発する鏡面に向き合わせた。鏡面に映し出された姿に恥辱を感じたエドワードは顔を背けた。先程、一心不乱に魅入った身体を再び見たくはなかった。
「見てごらん。君の身体は光に包まれている。私は余りの美しさに言葉を失ったよ」
エドワードの背後からロイは優しく身体を包み込んだ。身体を触れられるという恐怖心は取り除かれていた。自分の身体と心を煌めく鏡面を通してやっと受け入れたのだ。エドワードは鏡面に映る自分の姿に手を伸ばし、たどたどしく話し出した。
「オレ、明るい場所に出たいと思った。こんなキラキラした場所が羨ましくて、すっごく手に入れたかった。全部を綺麗に洗い流したかった。何もかも初めからやり直したいっていつも思ってた」
ロイは純真な心を持つエドワードを両腕で力強く抱きしめ、彼の肩に顔を埋めた。
「今は光に包まれているよ。これから始めれば良い。私も君もこの瞬間からやり直せば良い――ダメかね?」
驚いたように顔を上げ、鏡越しに映る黒い瞳を見たエドワードは琥珀色の瞳を大きく開いた。
「……本当に良いのか? やり直せる? オレ達…」
「あぁ、勿論だとも。私は君を愛している。君も私を愛しているのだろう?」
こくりと頷くエドワードが愛しくて堪らない。
「では、誓いの口付けをしても良いかね」
と、ロイがにっこりと満面の笑みを彼に向けると面映い眼差しでエドワードは顔を上げた。
それから意を決してエドワードは啄ばむようにロイの口唇を奪ってすぐに俯いた。
「エドワード!?」
まさか、彼の方からキスしてくれとは思ってもいなかった。不意を衝かれたロイだったが、エドワードらしい行動に笑みが零れてくる。
エドワードは気恥ずかしさから逃れるようにロイの男らしい首に抱きついてきた。愛らしい仕草にロイの頬が緩んでしまう。
エドワードはロイの耳元に鼻に掛かった小さな声で囁いた。
「抱いて…」
身体は鉛のように重く、下肢は疼痛を訴えていた。とても起きていられる状態ではなかった。それでもエドワードは今を逃したら、自分の身体はまた性的欲求から逃げ出そうとするかも知れないと思ったのだ。そんな不安を抱えながらもロイの身体をちゃんと感じたいと思っている自分がいるのも事実だ。
そう穢れた身体を清めるためにも彼に抱かれたいと思った。
そして、初めから――やり直したい。その想いがエドワードの臆病な背中を押していた。
「エドワード……私が酷い抱き方をしたから身体が辛いだろう。無理はしなくても良いんだよ」
彼の身体を己の欲望のままに犯したことをロイはこの時ほど後悔したことはなかった。
手に届かない位置にある彼が眩しくて堪らない。
傷つき、醜い痕を残す傷跡さえ、美麗で鮮麗されているのだ。
彼の身体と心は穢れることのない純白の天使。
それを目の当たりにして、ロイは己自身が罰当たりな欲情を燃やす酷く下賎な者に思えてくる。
そして、ふと思うのだ。
こんな想いをずっとエドワードは抱えていたということにロイは改めて気づかされた。
エドワードは顔を突き合わせて言えないけれども勇気を出して自分の本心を言葉にしてみた。
「――今、抱いて欲しい。この身体を愛して欲しいからッ…」
ロイの逞しい背中に両腕を回し、彼の視界に入らないところで涙を零した。ヒクヒクと上がる嗚咽を必死に我慢して彼の背中に縋りつく。
開かずの扉が少しずつ開かれようとしているのだ。
破格の進歩にロイの方が一瞬戸惑ってしまうが、二人の熱い想いは一緒だった。
この時を待っていたのだ。こうして互いの気持ちを繋げる機会を待っていた。
怖がらせないように金糸の髪を優しく撫でながら、ロイは痩せ細って軽くなった身体を抱き上げてベッドに移動した。





続く

転機です!
ども久しぶりサイトの更新。もう忘れられているかもです。
一応、まだ続いている「愛、愛」でした。
で、次回はH編ですね。

桜 美由紀 2007/6/10