愛すること、愛されること。最終話
「社長、おめでとうございます」
~完~
秘書であるホークアイがにこやな笑顔で話しかけてきた。
エドワードの妊娠が発覚してから二ヶ月ほど経った日のことであった。
エドワードが懐妊したことは暫く内密にしておくように命令していた。資産家であり、有名な実業家でもあるロイ・マスタングは公私共に世間の注目を浴びる存在である。
それが故に敵も多い。キンブリー事件が良い例だ。ロイはマスタング邸やエドワードの周囲に厳重な警戒を強いていた。
それは勿論、秘密裏に行われていた。
なるべくエドワードには自然な状態で日々を過ごして欲しいというロイの配慮からだ。
しかし、どこから漏れたのだろう。ちらほら慶事の電報や気心の知れた友人らからの祝いの言葉を戸惑いながら受けている状態だ。
「君の耳にも届いていたか」
ふっと口元を緩めて笑う顔にも余裕が見える。
「そのように隠さずとも良いではありませんか? おめでたいことですから」
「まぁな。しかし、よからぬ者に付け狙われる恐れもあるし。第一、……あれの容態があまり良くないのだよ。暫くは様子を見ようとね」
片眉を上げたロイの表情に悲壮感はない。けれども知らなかったとはいえ、楽観的に考えていたホークアイの眉がひっそりと下がった。
「やはり――身体が妊娠に耐えられないということでしょうか?」
キンブリーに暴行を受けた挙句、子供を死産してしまったエドワードの身体はぼろぼろで今後の妊娠は不可能だと言われていた。
それまでの経緯を知るホークアイだからこそエドワードが妊娠したと聞いたときは、我が事のように嬉しかった。それなのにロイの一言ですっかり肩を落とした。
そんな彼女にロイは柔らかい笑みを浮かべた。
「いや、いやそうじゃないだよ。ヒューズの話によるとこのまま妊娠の継続は可能だそうだ。唯、悪阻が酷いのだよ。それで大事をとっているだけなのだよ」
ホークアイは疑い深い表情をした。社長の側近である彼女にもエドワードの懐妊は秘密にされていたのだから。たじろぐロイは観念せざる負えない。
「わ、悪かったよ。もっと早く君に伝えるべきだったよ。君をそんなに心配させてしまって、すまなかったよ。そうだ! 今度、エドを見舞ってやってくれ。きっと喜ぶよ!」
「よ、宜しいのですか?」
パッと花が咲くように表情を変えてくれたのでロイは安堵した。
彼女を敵に回すとどうなるか知っているからだ。それでも――今回は用心にこしたことはないと、思っての行動だった。
* * *
「おや、エドワード、どうしたのだね? 浮かない顔だね。診察の結果に何か異常でも起きたのか?」
エドワードは寝室のベッドの上で自分の腹を擦っていた。
不安そうな表情は長い金髪に隠されている。ロイは心配そうにその顔を覗き込んでいた。
今日はヒューズの診察日だった。
帰宅後、すぐにアームストロング夫人から診察の内容は詳しく聞かされていた。どこも異常はなく、順調に成長していると。
エドワードの体調も悪阻の度合いが酷い程度で異常なし。
今後、子供は望めないと思っていた矢先のエドワードの妊娠だ。多少の問題が発生しても動じない自信がロイとエドワードにはあったのだが。
それなのに肝心のエドワードは塞ぎ込んでいるのだ。
「どうした? エド…何か心配事でもあるのかね」
ハッとしたように顔を上げたエドワードは直ぐにしな垂れた。
「ぁのッ――」
か細い声を必死に出している。ロイはエドワードの丸く屈められた背を優しい手つきで撫でていた。
この優しい手に甘えても良いのだろうか。
エドワードは彼の胸にするりと潜り込んだ。煩悶した顔をロイに見られたくなかった。
それでもロイには伝えなくてはならないことがある。
シャツを握りしめる手に力を込めて。
「ご、ごめん。オレの身体がこんなだから――ッ」
「? 何を言っているんだね。君も腹の子も心配はいらないよ。それとも……誰かに何か良からぬことを言われたのか?」
両方の性を持つエドワードの身体は医学的にも非常に珍しい。そんな身体で妊娠しているのだ。好奇な目に曝されることは避けられない。
それでもロイが持つ最大限の権力によってエドワードを守っている。特にマスタング邸に出入りする者や使用人達にはきつく言い付けている。
しかし、あの夫人にはどうしても太刀打ちが出来ないのがロイの不徳とするところだが。
どうやらそういった類で彼が思い悩んでいるのではないようだ。
エドワードは額を胸に押し付けたまま、金糸の髪を乱して左右に首を振っていた。
「ん? エドは少し甘えん坊になったのかな」
からかうように言うと、子ども扱いされるのを嫌うエドワードは大声を出した。
「ち、ちがう!!」
怒ったように顔を膨らませて、急に顔を上げたエドワードにロイはにこりと笑顔を向ける。いつものエドワードに一瞬戻ったが、すぐに揺れる瞳を逸らした。
「? どうしたんだね」
しかし、これでもいつまで経っても埒が明かない。
エドワードは決心したように深く息を吸って重い口唇を開き始めた。
「お腹の子……達――」
「こども達?」
ロイは困惑して首を傾げてしまうが、エドワードはロイが反復する声に素直に頭を下げた。
「そうなんだ……。双子らしいって――ご、ごめんなさい」
すっかり落ち込んでいるエドワードは必死に我慢しているようだが、大きな琥珀色の瞳に涙を浮かべ俯いている。
それに対してロイは口を阿呆のようにパクパクさせていた。
威厳あるマスタング家の当主らしからぬ間抜け面はとても使用人達には見せられない。エドワードの前だからこそ、感情を露に出来ると言うものだ。
しかし、どうしてエドワードは激しく落胆しているのだろうか。二言目には謝罪の言葉しか出て来ないのだ。舞い上がっているロイにはその意味がわからない。
「やっぱりオレの身体がこんなだから――マスタング邸に双子だなんて…」
妊娠はおろか、女性としての機能を果たしているか定かではなかった身体。稀にみる両性体の身体をエドワードは責めるしかない。
決して彼の所為ではないというのに。これこそ生命の神秘といえるのに……。
本人にしてみれば今後の将来に関わる深刻な問題なのだ。
まだまだこの時代、双子は歓迎されるべきものではなかった。双子は古来より獣腹と言われて忌み嫌われていたからだ。
普通、人は一人で生まれてくる。それが同時に二人も生まれ出るのは獣の証拠と……。
実際はそうではないのだが。いつの間にか、屈折して世俗に伝えられていた。
双子は稀に産まれてくる。
一人の子供を出産するのでさえ母体に苦痛を与える。一人の子を産むのですら危険性を伴う。まして双子となれば母体の危険率は飛躍的に跳ね上がり、無事に出産しても産後に体調を壊し帰らぬ人となることが多かった。
前例が少ない上、普通とは違うのだ。
自然と排除され疎まれる。それが双子を忌み嫌う理由。
そのことをエドワードは酷く危惧しているのだ。それもマスタング家の後継者を宿しているのだ。多大なる重責を彼は気づかぬ間に背負っていた。
ロイにも蔑まれると思っていた。エドワードは密かに隠せるものならばと産まれるまで隠しておきたかったが……。
それは――出来なかった。
けれども――エドワードの主はそうは思っていなかった。それは彼の朗らかに崩れた表情が証明していた。
言葉より先にロイは衝動に駆られていた。
ロイはギュッと不安に戦慄くエドワードの身体を抱きすくめていた。
声にならない行動で返されて、エドワードは涙が込み上がってきた。
心の隅っこで彼ならばこの想いをわかってくれると、エドワードは想っていたから。これまでの困難を彼は一緒に乗り越えてくれた。
だからこそ一途の願いを込めて告白した。
ロイが回した両腕と彼の弾む鼓動にエドワードは頬を寄せ、身体の緊張を解いた。
「ほ、本当に――ッ、君は私が欲しいものを与えてくれる。あの子の生まれ変わりだと思ってはいけないのだろうか?」
「あの子……?」
「そうだよ。君が始めて授かった子供の生まれ変わりだよ。絶対、そうに違いない!」
エドワードにはロイの表情は見えなかった。恐らく見せてはくれなかったかもしれない。
熱く弾んだ吐息とエドワードのふわりと柔らかな胸元に彼は顔を沈ませていた。その肌着にしっとりと濡れた感触をエドワードは感じた。
エドワードの胸に去来したのは悲しい過去と……現実。
その現実を目の当たりにしたのはロイだった。
死産で産まれた冷たい亡骸を抱いたロイは当時の辛い現状を、身をもって体験していた。それはエドワードとて同じ。
だが、あの頃は全てがふわふわと熱に浮かされ死線を彷徨っていた。ふっと視野が確保されたときには、全ては終わっていたのだから。
残されたものはなかった。
彼が目にしたのはぺたりと凹んだ腹。そして――辛酸な現実。
その後、すれ違った時間を彼らは少なからずも過ごした。
けれども――亡くした子供の痛みは二人で共存していた。それ以上にロイはエドワードの代わりに色んなものを背負っていたことに彼は気づいた。
熱い涙が流れるのをエドワードは頬に感じた。
嬉し涙か。
哀しい記憶を思い出しての涙か。
それは判別出来ない。
それでも感涙を流す理由の大半にロイを慕う想いが含まれていた。
この想いをどうしたらロイに返せるのだろうか。
抱きすくめられ、宙ぶらりんになっていた両腕は自然とロイの黒髪を愛しく撫で、背中を丸めて彼を守るように全身で抱きしめ返した。
互いを思いやった抱擁はとても心地よい。まるで子供達と羊水に浸かっているようだった。
ロイが興奮気味に返してくる言葉でエドワードは和んだ世界から我に返った。
「この腕に君が産んだ子供を二人も一緒に抱かせてもらえるんだ。こんなに嬉しいことはないよ。これから忙しくなるぞ! 何でも二人分揃えなくちゃならん」
「ロイ……ッ」
エドワードは声を詰まらせて彼を見上げた。子供のように瞳を輝かせているロイと視線が並んだ。ロイの瞳は希望と期待に膨らんでいた。
「楽しいな。エド、男の子? 女の子? どっちか、聞いたのかね?」
明らかに興奮している彼の先走った考えにエドワードは虚を抜かれて笑ってしまう。
「そんなん、まだ――わかんねぇーよ! この親バカ!」
「エッ? 私は親バカではない。しっかりと教育を施してだね。将来的に――」
これ以上喋らせたら堪らんとばかりにエドワードは口を挟んだ。
「もう! まだ先のことだろう。それに……無事に産まれるか心配なんだ」
エドワードの心労は尽きないのだ。
「ヒューズは何と?」
「大丈夫だって言ってくれるけど……」
「なら、大丈夫に違いないよ」
「――ぅ、ん……。それとアームストロング夫人や屋敷の人達には内緒にして貰ってる」
項垂れた小さな頭をロイはそっと胸に抱きしめた。
「そんなこと気にしなくても良いのに」
「それでも――心配だし。現に……俺達も小さい頃、冷たい目で見られた。ホラッ、俺達年子だからさ」
まだ、母親が生きていた頃。エドワードとアルフォンスはよく双子と勘違いされ周囲の視線を浴びてきた。そんな経験がトラウマになっているようだ。
それでも努めて明るく振舞うエドワードはとても健気に見えたが、双子を妊娠していることで彼の心労は加担している。
「大丈夫だよ。心配しなくて良い。私がそんな輩から守ってみせる」
今度こそ――絶対に。彼にあんな想いはさせない。
しょんぼりと肩を下げているエドワードをきつく抱きしめた。咄嗟のことで、エドワードはどう反応して良いか、戸惑っていたが。
ゆっくりと彼に三人分の体重を掛けていく。不安がってないで、こうして受け止めてくれる人と一緒に前に進んで行ければ良い。今だからこそこんな風に考えられるようになった。ふっと息を吐いてエドワードはロイを見上げた。
自分が求めていた眩しい太陽は直ぐ傍にいた。
一変した笑顔で彼を見つめ上げると、眉根を下げた彼がとても愛しい。両性体の稀少な身体で育つ我が子を想うロイの瞳に偽りはなく。
言葉ではなく彼のちょっとした仕種の一つだけでエドワードは愛されている実感を持つ。
蔑まれることに慣れていた心と身体は際立って面には出すことはないが、それでも歓喜に溢れていた。
それをどう彼に伝えるか、それを四苦八苦しているぐらいだ。
「重くないか?」
いつの間にかベッドに乗り上げていたロイはエドワードを横抱きに抱えていた。
「いや、大丈夫だよ」
エドワードは通常よりやや大きめの腹に温かな視線を下ろした。
「もっと――大きくなるんだって。二人分だからな。だから――……一緒に支えてくれよな」
ロイはこのときのエドワードの表情を留めておきたいと想った。
愛らしかった。美しかった。羨望した。
――ありとあらゆる絶賛を彼の為に博したいと想った。手を貸してくれと、いうエドワードの気持ちにロイは胸が熱くなった。
エドワードの手に導かれて、そっと腹に添えられた手が命の鼓動を感じ取る。ロイの顔は気づかぬうちに破顔してしまう。
「勿論だよ」
にっこりと二人は瞳を合わせた。
* * *
腹の子供の成長は目まぐるしい。エドワードの小さな身体の中で責め合うように、大きくなっていた。
小柄な身体に似合わない腹部の大きさを何とか誤魔化して日々を過ごしていた。
臨月に近づくにつれて、アームストロング夫人の視線は忌々しい物でも見るような目つきになっていたが、エドワードは持ち前の明るさでカバーしていた。
ロイは夫人への対抗策として「全てが初めてだから仕方がない! エドワードのことに口を挟むな!」と、ことあるごとに言い退けていた。
しぶしぶ口を噤む姿をエドワードはこっそりと覗き見して笑っていた。
エドワードのお腹には二つの命が宿っている。それはロイとエドワードだけの秘密。
不安要素はあるのだけど、二人は双子の誕生を心待ちにしていた。
使用人達は薄々気づいているらしい。だが、誰一人嫌な顔をする者はいなかった。かえってエドワードの身体を心配し、良く気を利かせてくれていた。
二つの命を宿している身体は重くてなかなか思うように動けない。自然と彼らとの距離が近くなる。それが功を奏してエドワードはとても穏やかな妊婦生活が出来ていた。
そして――。
「旦那様、まだまだ時間が掛かりますから。どうぞお休みください」
大人気なくロイは地団駄を踏んだ。
「な、何を言っているのだね! エドがあんなに苦しんでいるのに、おちおち眠っていられるはずがない」
「ですが――」
と、使用人が視線を上げた時計は深夜二時を回っていた。
空気がぱりっと冷たく感じる時間帯であるのに屋敷内は慌しくパタパタと人が小走りで走り回っていた。
その慌ただしさから取り残されてロイは閉じられた扉の前でうろうろと歩き回っている。その扉は頻繁に開閉されるが、ロイはその中に入らせて貰えないのである。
正午過ぎにエドワードが産気づいたという連絡が会社に入った。
あの瞬間は思い出したくないぐらいロイは取り乱した。
予定日はヒューズから聞かされていた。ゆっくりとその瞬間を――二人で待っていた。
が――予想外な展開にロイはまごついていた。
予定日より約一ヶ月早い。早産である。
ロイは勿論、エドワードも驚いていた。それでも――二人の願いは一つ。無事に子供が産まれますようにと。
寝室の中は一段と騒々しくなっていた。何度も中の様子を聞きだそうと、ロイは使用人達に声を掛けるが、次第に邪魔者扱いされていた。
「おい! エドはどんな容態なんだ。産まれたのか?」
「だ、旦那様。――ちょっと失礼致します。あ、そこのあなた、お湯を早く持って来て下さい」
「はい!」
「だ……だからだな、エドは?」
「――す、すみません。旦那様、前を失礼致します」
パタパタと使用人達がロイの前を通り過ぎていく。
一人、取り残された。
ロイは扉の前で佇んでいた。こんな日が来るとは夢にも想わなかった。エドワードとの出会いが走馬灯のように巡ってくる。
彼はロイの人生を一変した。
名門と言われるマスタング家と一流企業の社長として冷酷かつ残忍な手腕を振るってきた。破綻した性格から女性遍歴は数え切れない。後継者など、どこぞの資産家の令嬢との間にもうければ良いと。後のことは使用人達に任せればと安易に物事を考えていたぐらいだ。
それが数時間、彼と顔を合わすことが出来ないだけで酷く孤独を感じる。彼との間に出来た子供達と過ごす未来をこんなに待ち遠しく想う。
彼を愛したことでまっとうな人間へと導かれている。今までの悪行の数々が洗礼されていくようだ。
彼を失いたくない。
ロイは天を見上げていた。先程までの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
ふと耳を澄ませば、小さな二十音がロイの耳に届いてきた。
戦慄く身体を奮い立たせてロイが扉に手を伸ばし、押そうとした瞬間。
「旦那様、おめでとうございます! 御生まれになりましたよ。奥様もお子様達も無事でございます」
「そ、そうか! 良かった!」
導かれるようにロイは寝室に入っていく。現実味のない足はふわふわと雲の上を歩いているようだ。けれども幻に近かったモノは現実。彼の揺れる視線の先には煌々しいエドワードと子供達の姿がある。
覚束ない足取りで駆け寄ると、エドワードが疲弊した顔で破顔していた。
「エドワード――」
「ロイッ、産まれたよ。男の子と女の子なんだよ」
寝台で気だるく横たわっている彼のすぐ隣に双子は寝かされていた。
男女の双子。産まれてみてわかった事実。実に珍しいことだが、それ以上にエドワードの慈愛に満ちた表情に魅入ってしまう。
主治医であるヒューズ夫妻とお産に付き添っていた使用人達は感慨深く、目元を押さえていた。こんな日が訪れようとは思ってもいなかった。けれどもエドワードの傍で産声を上げる双子の存在が疑いようのない真実。
ロイも彼らと同様に歓喜に戦慄いていた。
真っ赤な顔をくしゃくしゃにさせている我が子。
愛しい存在。
ロイは恐々と小さな子供達に触れた。エドワードに触れるように優しく触れた。そんなロイを見て、エドワードは疲弊しているのに自然と笑みが湧いてくる。
ロイはハッと我が行動を思い起こし、赤面した。バツの悪そうな顔になったが、それも愛嬌。汗ではいついたエドワードの髪を優しくロイは掻き上げ、額にキスをする。
最高のプレゼントをくれたお礼だと。
「ありがとう、エドワード。よく頑張ったね!」
「うん!」
「可愛らしい子供達を産んでくれてありがとう。この屋敷はこれから賑やかになるぞ!」
「そうだね」
にっこりと口角を上げて笑うエドワードの表情は鮮麗だ。
二人は飽きることなく、この世に産まれてきた赤子達に優しい眼差しを送り続ける。
二人の微笑ましい姿にはヒューズも口が挟めない。使用人達と視線を合わせて笑っていた。
穏やかな時間はあっという間に過ぎていく。
アームストロング夫人の凛とした姿勢は相変わらずだ。
出産後、エドワードは夫人と顔を合わせていない。
調子が狂う。
日々、嫌味と小言を繰り返されていたのに慣れてしまった生活。エドワードのどこかにぽっかり穴が空いているような気がしていた。
けれども双子の育児に追われて、深く追究するまでに至らない。
それでも夫人の見舞いは緊張する。
エドワードの傍付きの女中は明らかに狼狽していた。
とうとうこの日がやって来たのだ。出産後、夫人が初めてエドワードを見舞いにやって来た。常識人である夫人は彼の産後の経過を見てからの適切な行動だろう。
マスタング家の使用人達を総括しているアームストロング夫人は、エドワードの存在を未だ認めていない。
そして――エドワードが双子を身篭っていた事実は告げられていなかった。
流石にもう夫人の耳に入っているだろう。
けれども不気味なほどに夫人は沈黙していた。エドワードのことはおろか、マスタング家の後継者の話題を出すことはなかった。
マスタング家に双子が産まれた事態を夫人はどう対処するのだろうと、使用人達の間で様々な憶測が飛び交っていた。
実際、ピシッと背を伸ばしてエドワードの傍ですやすやと眠っている双子を見下ろす夫人の目つきは冷徹に見えた。
付き添っていた使用人達もこの緊迫した空気にたじろいでいる。
こうなることをエドワードは予想していた。
だからこそ身を挺してエドワードは双子を守った。夫人のことだ。すぐに片方を里子に出すと言って連れ去るに違いない。
エドワードの先走った声音は必死だった。
「ごめんなさい! でも――この子達は絶対に渡さない。オレが、オレとロイがちゃんと育てるから」
「……」
眠っている双子を奪われないように全身で庇う彼の姿には胸を打たれる。
しかし、依然として夫人の鉄仮面は崩れない。緊迫した空気は一体いつまで続くのだろうかと、思っていた時だった。
夫人は一歩足を引き、深々と頭を下げた。
「エドワード奥様、可愛らしいお子様達をご出産されましておめでとうございます。これからご一緒にマスタング家のご子息として御養育をしていきましよう」
深く低頭している夫人にエドワードは驚いた。臨界体勢で双子を守っていた身体から力がどっと抜け落ちた。拍子抜けしてぽかんと夫人を見てしまった。
と、思い出したようにある呼び名が繰り返された。『エドワード奥様』と、確かに夫人は言ったのだ。今まで一度も『奥様』と、言われたことはなかった。そして、絶対に認めないと面と向かって宣言されていたのに――。
夫人なりに決着がついたのだろう。
エドワードはゆっくりと伝わってくる感動を味わった。
夫人にマスタング家の奥方であると認められたことは最高の誉れである。夫人との衝突が日々の日課であった。エドワードがこうも蔑まれる所以を自分自身、充分わかっていた。
だからこそマスタング家の、ロイの妻として恥ずかしくないように懸命に努めてきた。それがやっと報われたのだ。エドワードの胸にじわりと熱いものが込み上げてくる。
すやすやと寝息をたてる双子に感謝する。彼らの誕生が全ての奇跡を起こしてくれた。
声を震わせてエドワードは夫人に頭を下げた。
「ありがとう。これからも宜しくお願いします」
ぽつりと溢した雫はシーツに吸い込まれていく。そして、長かったわだかまりはゆっくりと解けていった。
* * *
「かあさま! 早く早くッ。もぉ~~」
黒髪の小さな男の子がエドワードの手を引いて急かしていた。その容貌はマスタング家の当主、ロイの幼少時と瓜二つ。だが、性格は相当のヤンチャ小僧らしい。無鉄砲な遊びで作ったらしい小さな擦り傷が鼻の頭やあちこちにある。
けれども感情豊かな顔は時々母親の容貌を思わせる。子供の母親を見つめる瞳はとても誇らしく、エドワードを独占していた。
「ちょっと、待て。待てッと言ってるだろう」
エドワードは息子に手を引かれながら微笑ましく笑っている。
「エドワード」
と、一階玄関フロアーから優しげに名前を呼んだのは小さな女の子を抱えたマスタング家の当主。
「あ、とうさまだ! ぁぁ~ずるいぞ!」
男の子が言ったのはロイに抱かれている金髪の女の子に向かってだ。べったりとロイに抱きついている女の子は天使の輪が光るさらさらの金髪の持ち主。
父親の腕にちょこんと抱かれている姿は母親に似て人形のように愛らしいが、にやりと男の子に不敵な笑みを向けている。そんなところは計略家の父親に似ているようだ。
しかし、相当なパパっ子らしい。ぺったりとロイの頬に自分のぽっちゃりもち肌の頬をくっ付けているおませさんだ。
そんな二人に負けずと。
「かあさま、ぼくも抱っこ。抱っこして~」
「もう…ッ、おまえ達は仕方がないな。ロイの奴め! あの子をすぐ甘やかすんだから。先が思いやられるよ」
そうぼやきながら、両手を広げて待っている息子をエドワードは渋々抱え上げた。にっこりとご満悦な笑みを浮かべる息子にため息をついていると、聴き慣れた甲高い声がしてきた。
「奥様、エドワード奥様! あなた様がいらっしゃらないと始まりませんよ!」
アームストロング夫人の催促の声だ。
今日はマスタング家の家族写真を撮影するのだ。庭園で写真家が待機している。
玄関フロアーにエドワードがたどり着くと、夫人の小言が全開。
「お坊ちゃま、お嬢様。お洋服が皺になりますよ。抱っこは写真を撮った後で宜しいですか?」
『えぇぇぇーヤダヨ!』
双子が声を揃えて反対すると、夫人は困り顔になりエドワードに助けを求める。
「ほらッ、歩いてお庭に行くよ。ロイも甘やかしちゃダメ」
「そ、そんな~私は甘やかしてないよ」
「ぶつぶつ言わない。行くぞ」
嫌がる息子を意図も簡単に下ろし、手を引いて歩くエドワードの姿は凛とした美しさがある。
「やはり奥様じゃないと、皆さん言うことを訊いてくれませんね」
アームストロング夫人は大きな小言を漏らしていた。
先を歩くエドワードの出で立ちは小柄な花びらを散らした朱色の友禅。蒼黒色とラメを織り込んだ帯は艶やかな朱色を引き締めていた。それらを更に引き立たせるのは、後頭部の高い位置で結われた金髪。
優雅に揺れるその金髪と背姿をロイは眩しそうに手を繋いでいる娘と見ていた。
「かあさまは綺麗だね」
率直な感想がぽろりと漏れ、ロイが下を向くとにこにこ機嫌の良い娘と視線が合った。
「うん。かあさま、きれい! 大きくなったら、かあさま、みたいになるの。あたし~」
大きな瞳を輝かせている娘。
本人に自覚はないがロイはその娘にメロメロなのだ。それでも彼の中で一番は勿論エドワード。彼には特等席が用意されている。
冷酷無比な男に人を愛することを教えてくれた大切な人。
彼との出会いがなかったら我が子をこんなに愛しいと思うか、疑問視されるぐらいの男だったのだから。
今では最高の家族を手に入れている。愛する家族の幸せを守るためならば、ロイはどんな手でも使うだろう。それぐらいの覚悟を持っている。
「とうさまもエドが大好きだよ」
エドワードに憧れる愛らしい娘をロイは堪らず、抱きしめようとしていると。
「ロイィー早く! 待ってるよ~」
春の陽気を思わせる爽やかな顔つきでエドワードが手を振っている。その彼に纏わりつくように遊び回っている息子はとても無邪気だ。エドワードの金色の声が真っ青な庭園に響いていた。
* * *
マスタング邸の庭園で一番美しいと評判の場所には家族写真を撮るための準備がされている。
撮影用に用意された長椅子の中央に座るのはマスタング家の当主とその妻、エドワードである。
長い間「愛、愛」を読んで頂き有難うございました。
これにて完結です。
ホント、此処までお待たせしてしまって申し訳けありませんでした。えっ?何年書いてたっけ?
書いた本人も微妙です。
それでも続きを待ってますと、いうコメに励まされて書いた作品です。
皆さんの心のどこかに収納して頂けると嬉しいです。
読んでくださったみなさん、有難うございました。
桜 美由紀 2008/4/6