月の子 エピソード ]W
「遠距離恋愛を感じてみよう U…の巻。」
「じゃあ、お休み。本当に大丈夫?」
「もう構うなよ」
寝室のベッドにペタリと座っているエドワードにアルフォンスは何度も声を掛けている。
薄光が寝室に射している。
アルフォンスには兄の細かな表情までは読み取れない。
それでも何となくエドワードの不機嫌な膨れっ面は想像できて、呆れたように両肩が上がった。
案の定、エドワードはロイの枕を胸に抱いていた。この寝室のことはアルフォンスでさえ細かなことは知らない。
今、自分が大切に抱きしめている枕が誰の物か何て気付きはしない。
エドワードは枕に顎を乗せてほのかに香る彼の匂いに身を任せていた。やはりアルフォンスが想像していたようにぷっくりと頬を膨らませて。
「遠慮しなくていいのに。ねぇ、一緒に寝てあげるよ」
揶揄した声音に敏感なエドワードはすぐに口唇を尖らせていた。
「おまえと寝たら赤ちゃんが踏まれる!」
そうロイは自分と赤ちゃんを優しく包み込んで眠ってくれるのに。
寝相が悪い自分が布団から飛び出さないようにしっかり掴まえてくれる。
暗闇から返ってくる尖った声に冗談めかしてアルフォンスが応える。
「ええ、そんなことしないよ」
「ふわぁ…。もう眠いから邪魔すんなよ」
これ見よがしにエドワードは欠伸をする。
本当は眠くないのに。
こうでもしないとアルフォンスが引き下がらない。
わしゃわしゃと眠そうに長い金髪を掻き回す。そんな時でも片時も枕は離さなかった。
「そう? 邪魔したら悪いよね。じゃあ、お休み。何かあったら起こしてね」
強がりなエドワードに観念してアルフォンスの眉尻は微笑ましく下げていた。
「ああ、お休み。また、明日…」
アルフォンスは何度も振り返りながら扉を閉めた。
扉の音を最後にこの寝室には音が消えた。虚無感がエドワードの心を支配する。
それに負けまいとベッドの中に潜り込んだ。しかし、その場所は冷たい。暖かい場所を探して手を伸ばすけれども見当たらない。
このキングサイズのベッドが果てしなく広い海原のように感じられた。
「ロイ、いないねぇ」
エドワードは心細くなって「赤ちゃん」に語りかけた。そんな時に限っていつもは騒々しい腹はシーンと寝静まっていた。
ふと心配になり腹に手を当ててみるとそこにはちゃんと息吹が感じられる。
「よかった…。びっくりしたじゃねぇか。おまえ、寝てたんだ。そうだよな。ちょっと昼間運動したからな」
ゆっくり労わるようにエドワードはお腹を擦る。
だけど、今日は自分の手だけだ。いつもはもっと大きくて温かい手がお腹全体を優しく包んでくれていたのに。
今日は自分の手だけ。
ロイの手がない――。
ますます寂寥に駆られる。
エドワードは彼の気配を探すために毛布から顔を出した。視界に月光がぼんやりと煌めいた。鮮明に映し出されないのは何故だろうと思った。
それは瞳一杯に涙のフレームが掛かっていたからだ。今にも溢れそうな涙を拭おうと左手を目元にやった。
冷たい雫が手の甲を濡らす。それを確認すると堰を切ったようにぽろぽろと雫が零れ出した。それと同時に泣き声も漏れ出した。
「ヒック…うぅぅ――ロイ。は、早く帰ってきて。ふっぅん、オレ寂しい」
声を殺すように悲しく泣く声はロイの名を何度も繰り返していた。ここにいない男が困った顔で慰める様子が想像される。「ヒク、ヒク…」と小さく囀るエドワードを何度も彼の名前を呼ぶロイの姿が目に浮かぶ。
しかし――今は居ない。
エドワードは枕を冷たく濡らして毎晩眠っていた。
リ――ンリ――ンッと電話の鳴る音。
きょろきょろと辺りを確認するエドワード。いつもの時間に掛かってくる例の電話だ。ソファーでそわそわしていた。とくに今日は落ち着かない様子。
それもそのはずアルフォンスがこの場にいないのだ。
めったにない機会だ。
エドワードの心臓はパクパク鼓動していた。その心臓を手で押さえながら彼は受話器を取った。その受話器を握るまでに何度も背後を確認した。はやる気持ちを抑えるのに、一生懸命だった。
「――もしもし」
いつもはっきり喋る彼が今日に限って別人のようにしとやかだ。
『おや? エドワードかい』
ロイの言葉が疑問符から始まったのは仕方がない。
初めに電話を取るのはアルフォンスなのだから。そんなことに一々腹を立ててもと、思いながらエドワードは実感するのだ。
ああ、ロイの声だと――。
ぱっと表情が明るくなる。アルフォンスがいないとこんなに彼は変わるのだ。
「うん。オレだよ」
『今日はご機嫌だね。何か良い事でもあったのかい』
「ううん。何もねぇけど…。あ、ちょっと待ってろ! 電話切るんじゃないぞ! そのままにしてろよ」
『え、ああ――』
それからロイが持っている受話器から激しい騒音が聴こえた。耳元から離さなければこちらの耳が痛んでしまうほどだ。
ドッチャンガッチャン!
流石にロイも片耳を押さえながら慌てた。
『え、エド、どうしたのかね? 大丈夫かね…』
空白の時間が色んな妄想を駆り立てる。
やっとエドワードの声が返ってきた。
「うん。もういいよ! あ…あのな、電話を移動した。寝室に持ってきた…」
ふとロイは家の間取りを思い出した。それから冷や汗がたらりと額から流れた。
『はあ? 何て無茶をやるのだね。身体は大丈夫かね? 子供は?』
エドワードの破天荒な行動にロイは度肝を抜かれた。
「大丈夫だよ。そんなに「赤ちゃん」が心配なのかよ。――オレよりも…」
最後の語尾が少し控え目に聴こえる。
エドワードは素直に不貞腐れたのだ。自分より「赤ちゃん」の気遣いばかりされているようで嫌だった。
今は――今だけはロイを独占したかったのに……。
『? そんなことはないよ。君が一番に心配だよ。だけど何故そんなことをやるのだね。リビングで話しても構わないだろう』
ロイは電話の向こう側で苦笑していた。
「あ、アルがいるから嫌なんだッ! ロイと話したかったんだよ」
振り絞るように声を跳ね上げたエドワードの顔は真っ赤な林檎のようだった。
ロイの口元が幸福そうに緩んだ。
『ああ、そうだね。だからだね。ずっと機嫌が悪かったのは…』
「うん」
素直に頷くエドワードの口唇はぐっと噛み締められていた。本当の気持ちを今なら言えるから。
『どうしたのだね。やっぱり私がいなくて寂しいのだろう』
「うん」
『おや、いやに素直だね。私も君に会えないのが辛いよ。早く君の笑顔が見たいよ』
「うん。――早く帰ってきて。ロイ、お願いだから…」
電話の向こうから鼻に掛かった声が聴こえる。
泣いているのだ。泣かせてしまった。そんなに恋しかったのだ。
あれだけ意地を張り続けていたのが、嘘のように堰を切った恋しさが溢れ出してきた。
くすんくすんと鼻を啜る声がロイの耳に届いてきた。
電話は毎日掛かってきた。
だから声を聴くことは出来た。
けれどもロイの顔を見る事は叶わなかった。
日常生活で顔を突き合わせていると対して気にもならなかったが、彼の不在は寂しくて堪らない。
『エドワード、泣かないで。お腹の子供に障るよ…』
「――赤ちゃんのことよりオレの事を考えてよ!」
『はい、はい。ほら、顔を上げてエドワード』
「うぅ――、うるさい!」
『大丈夫だよ。明日、帰ってくるから』
「え、本当に!」
予想外の帰宅日にエドワードは驚いた。
軍からの命令でロイは長期視察を余儀なくされていた。
約一ヶ月の辞令が下されていたはずだ。それでもロイの記録的な働きによって予定は短縮されたのだ。
『ああ、本当だとも。明日、帰ってくるから大人しく待っていてくれるね』
「うん」
そして「また、明日ね」と言って電話は切られた。
その頃にはエドワードの涙はすっかり乾いていた。
明日が待ち遠しい。
す、すみません<(_ _)>
今頃、更新かい。act.14 の続き?ですね。
もうかなり前の作品なのでぇぇ、前後をお読みになった方が良いかもです。
本編act.18ぐらいの話です。しかし! 前書いたのを読み返すのは、恥ずかしいぃぃぃ。
桜 美由紀 2008/5/10
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