月の子 エピソード ]W
「遠距離恋愛を感じてみよう T…の巻。」
「ぬぬ――静かだ。なぁ、そう思わないか。アル…」
「まぁ〜ね。それって寂しいって遠まわしで言ってるんじゃないの。それにこれで20回目だよ。その台詞!」
しっかり回数まで数えられたことに腹を立てたエドワードは、手元にあったクッションを彼に投げつけた。
それをうまく避けるアルフォンスはくすくすと笑っている。
エドワードの顔はぷっくり膨れた。
リビングのソファの上で胡坐を掻いているエドワード。この姿勢はお腹が迫出した彼にとって楽な姿勢。所謂、リラックス体勢。
しかし、彼の心中はそうではないらしい。
すりすりと擦っているお腹の父親は今、長期視察のため単身赴任中。
この自宅を出たのは三日前のことだった。
妊娠してからロイは小うるさくなった。エドワードにとってそれが疎ましく感じるときがある。
その彼が家を長期に渡って留守にする。
少しは羽を伸ばせる。そんな甘い期待をエドワードは抱いていた。
しかし、いざ家を空けられたらこの通り。
三日目にしてとうとうアルフォンスに当り散らす始末。
アルフォンスのにやりと上がった口唇が気に入らない。彼のからかう口調が嫌だ。この見張りの所為で自由に外出出来ないのも嫌だ。
もうー何もかも気に入らない。
カルシウムが欠乏している所為もあるが、とにかくエドワードはこの数日イライラしている。
こんな時はいつもロイが優しく肩を撫でてくれていたのに。あの無骨な大きな手がない。ふと気づくと寄り添う彼がいない。
ロイがいない。
ロイが傍にいない。
その虚無感がエドワードを苛んでアルフォンスに矛先を向けていた。
そんなことアルフォンスにはお見通しだ。
「兄さん? どうしたの。そんなにカリカリしているとお腹の子に悪いよ」
嫌味にも似た顔つきが兄に向けられる。
「う、うぅ――」
ロイを恋しがる自分を弟に気づかれたくない。
恋愛ごとになるとエドワードは急に貝のように口をつぐんでしまうのだ。
それは今も昔も一緒。素直になれないエドワード。
そんな彼が意地らしく、可愛く思えるアルフォンスなのだ。
だから、余計虐めたくもなる。
「ああ、そうだ。そろそろ電話が掛かってくる時間じゃないのかなぁ」
アルフォンスの語尾は調子良く上がっていた。今のエドワードにはムカつく言い方だ。しかし、彼の言う通りそろそろ時間だ。
そう思うと、エドワードの視線は自然と時計の針を見ていた。そんな兄の姿をアルフォンスはくすくすと笑って見ていた。もちろん、兄に気付かれないように声を殺して。
カチコチ、カチコチ。
エドワードはクッションを胸に抱いてある点をじっと見つめている。
そして――時計の短針がある数字を指した。
リ――ン、リ――ンッと高音が部屋に鳴り響いた。
エドワードはすぐにその発信源に走り出したい気持ちをぐっと抑える。音は止んだ代わりに聴き慣れたアルフォンスの声が耳に届く。
「うん、うん。今のところ大丈夫ですよ。えぇ、そうですね――」
耳を傍立てて会話を盗み聞いている。その顔はムッと膨らんでいる。本当はすぐに朗らかな顔で電話の主の声を聴きたいくせに。
アルフォンスが目の前にいるといつもこうだ。
そんな彼をよく知るアルフォンスは横目で兄の様子を見て笑っていた。
それから「兄さん、准将だよ! 電話」と、彼に受話器を渡すのだ。もちろん、にっこりと不敵な笑顔を添えて。
弟からの明らかな嘲笑にエドワードは目くじらを立て奪い返すように受話器を取る。
本当は彼の手に触れるように優しく触れたいのに……そう出来ない。
人間のエゴは頑強だ。
「何だよ! 毎日、毎日。掛けてこなくていいって言ってんだろう。心配ないって。すんごい毎日楽しいから…」
本当は毎日、イライラして待っている。
そして、この時間になると電話が置かれているリビングでリーンと音が鳴るのを待っているのに。
『――明日は病院に行く日だったね。一緒について行けなくてすまないね』
自分の葛藤とはまったく別世界にいる人からの言葉で酷く意固地になる。
「そんなん一人で行けるから。心配いらないよ」
素っ気ない声を低音に混ぜて。
本当は一緒について来て欲しいのにね。
『駄目だよ! ちゃんとアルフォンスと一緒に行くのだよ。それと医者の言うこと訊いて――』
彼の声が全て魔法の呪文のように聴こえて、疑うことなく首を下げる自分がいる。
「もうウザイよ。わかってるからさ。切るよ! 電話…」
本当はもっと話していたい。もっとロイの声を聴いていたい。
奴の声音は動き回る子供を大人しくする魔法の呪文。
そして――自分の杞憂な心をも穏やかにしてくれる。そんな効力を発揮してくれる。
『つれないね。もっと君の声を聴いていたいのに。「子供」の具合はどうかね…』
「赤ちゃんは元気だよ!」
赤ちゃんは元気だけど、オレは正直寂しいらしい。
心は本心を語ってしまう。
『はぁ、エドワード! 嘘はダメだよ。何をそんなに意地を張っているのだね。やっぱり視察に行くべきではなかったよ。私は君が心配で…』
「ううん。嘘なんかついてないよ。それは仕事だから仕方ないだろう。もう切るから…。オレ寝るよ。お休み…」
全部嘘だよ。
本当に早く帰ってきてオレを抱きしめて欲しい。ぎゅっと力一杯。
そう思いながらも彼の左手は受話器から離れた。
チンッと電話が切られた音が寂しく響く。
どうしてこんなに素直じゃないんだろうと思う。一緒のときはこんなじゃないのに。
少しは上手に甘えることが出来ると思う。
エドワードはいつもロイからの電話の後はセンチな気分になった。
ちょっと彼がいない所為で自分の心が複雑に寄れ曲がってしまった。我ながらこの天邪鬼な性格に嫌気がさしてくる。
本当は――なのに。
今日は定期健診の日。
本当はロイが一緒について来てくれる予定だった。急な視察の所為でアルフォンスが代わりに付き添っている。診察も終わって帰ろうと病院の玄関口に二人は立っていた。
アルフォンスは兄の体調を気遣うように声を掛ける。
「良かったね。兄さん! 赤ちゃんは元気みたいで。僕、安心したよ。ああ、でも検査とかで疲れたよね。車、呼ぼうか?」
ぼんやり立っている彼を覗き込むようにして訊く。
けれどエドワードの心は此処にはなかった。
どこへ行くにしろ彼は何かを探している。そう此処にはいない男の気配を探している。
「――今日は歩いて帰る! うん、そうする」
「えぇ、兄さん。身体疲れちゃうよ。ダメだよ」
「嫌だ!! まだ、大丈夫だ。それにジー様も無理しなければ良いって。今日は調子が良い!」
「はあ!? う、うん。じゃあ、歩いて帰ってもいいけど。ちゃんと帰ったらお昼寝してよね。何かあったら僕、准将に顔向けできないよ」
我侭が出始めた兄は手に負えない。アルフォンスは仕方なく許すことにした。兄にとって自由を奪われることほど辛いことはない。それを知っているから。アルフォンスも医者に十分注意を受けている。まだ、大丈夫そうだと判断した。
ゆっくり、ゆっくり歩く。
エドワードが帰りたい道で帰宅することにする。
ふと足が向かった場所はロイと病院の帰りに立ち寄ったカフェテリア。そこで悪阻で苦しむ自分が少しでも食べれる物を探してくれた。
でも、今日は誘ってくれる彼がいない。あのテラスでよくサンドウィッチを食べていた。寂しげにエドワードの瞳はあの日の光景を探していた。
それから堰を切ったように彼との思い出の場所を次から次へと探している自分に気づく。
どこを探してもいない。
どこにもいない。
そして、この身体の周りに彼の気配がない。
階段がある場所ではさり気なく腰に手を回してくれた彼の温かい腕。休憩をするためにベンチを探してくれたロイの姿。そして、仕事で忙しい合間を拭って自分とお腹の子供の為に寄り添ってくれるロイ。
エドワードの心が虚無に沈む。
帰路を黙って歩く兄にアルフォンスは不安を感じる。時よりこうして声を掛けて様子を伺う。
「兄さん、急に黙り込んでどうしたの? やっぱり車で帰ろうか」
そう尋ねる度に虚勢を張るように大声で返事が返ってきた。
「いい! どうもしてない! ああ、五月蝿い奴がいないんで静かでいいんだよ」
「はぁ、素直じゃないね。兄さん、いい加減にしたら」
「何だよ。本当にどうもしない! さあ、さっさと帰るぞ」
そういうエドワードの口唇は真一文字に引っ張られていた。
恋しいのだ。どうしても恋しい。遠くに離れるほど想いは恋しくなる。
でも、弟の前ではそんなこと言っていられない。
エドワードは強がるように道に転がっている小石を蹴り上げながらロイの匂いが残る家へと急ぎ足で帰った。
加筆修正致しまして再アップ♪
ホント、これを書いたのは一年前の出来事。時は経って我が家に「本物の妊婦」がいます。それでちょっと萌え。
オフ本より少しリアル/笑 に加筆してアップしようかなと、思って「act 1」にしてみた。
えっ、大して変わらないって/汗。
桜 美由紀 2007/8/19
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