約束は秘密のうちに結ばれた。
The promise was concluded in secret.
■□■第二章□■□
「ちぇ、エンヴィーの奴気づきやがっタ」
強欲に身を堕とした男がこの一部始終を見ていた。
だが、その心には二つの人格が息づいていた。その中の「リン」という人格が今は主導権を握っているようだ。それだけリンの想いは強かったのだ。
彼、エドワードを手に入れるために「強欲」に身を堕としたはずの男。
エドワードと年端も変わらない青年。だが、彼は一国の行く末を抱えていた。隣国、シン。その王族の人間であるリン。彼はシン国の皇帝となるべくアメストリス国に「賢者の石」を調べるために。
否――強奪するために渡来していたのだ。
そんな中で――彼は出会った。エドワード・エルリックに。
彼の姿は煌々と眩しかった。
行き倒れていたリンの瞳に映った時から、この想いは始まった。
どうしても手に入れたかった。欲しかった。自分の物にしたかった。
彼が背負っているヤオ族五十万人の命運。そして、シン国皇帝になる野望。それ以上にリンはこの煌々と輝く彼が欲しくなった。
太陽、月、この輝きに黄金色は象徴されていた。
その二つの輝きにも劣ることなく、エドワードはまばゆいほど煌めいていた。
アメストリス国 国家錬金術師 エドワード・エルリック。
リンはエドワードの全てが欲しかった。だから「強欲」を自ら望んだ。恐らく、それほどの想いがなければ、焔の男から奪い取る事は不可能だとわかっていたからだ。
欲しいと想っていた彼には想い人がいた。
本人は気づいていないようだったが、エドワードは焔の男に恋心を抱いていた。それだけならばリンも奪えると思っていた。
だが、不運は続いた。
焔の男もエドワードのことを密かに想っていることが、第三者であるリンにはわかった。正直、その時苦虫を噛むような表情になった。
敵わないと本能が言っていた。
だから、尚更強大な力が欲しかったのだ。
シン国に連れ帰り后に迎えようと思っていた。子を成す事が可能かもしれない身体であることが地下での戦いの折、「親父殿」の見立てで判明したのだ。
それ以前に、彼の身体に二つの気が流れていることを不思議に思い訊いたことがあった。その時、彼は顔を赤らめてそっぽを向かれた。今となっては訊かれたくない内容だったのだとわかった。外見的には男性で通している身体が【ふたなり】であるということに強い嫌悪感を抱いて生きてきたのだろう。
その彼が今、見知らぬ男達の手によって穢されようとしているのだ。
それも我が兄弟であるエンヴィーの差し金によって――。
強欲の名を持つ人格とリンの人格が一つの肉体で争っていた。
その頃、ロイ・マスタングは中央司令部内をうろついていた。きょろきょろとある姿を探していたのだ。この軍司令部に似つかわしくない。まだ幼さを残す金色の少年の姿。掃き溜めに現れた鶴のような彼の存在を探していた。
ロイもこの魔窟の中で飼い戌として飼われていた。自分が信頼する部下の一人、ホークアイ中尉を大総統付き補佐という立場にやられ、ロイにとってそれは体の良い人質扱いだ。
それにこのアメストリス国を牛耳る軍上層部が全て黒に染まっていた。
それでもロイは己の野望の為に軍服を脱ぐことも、銀時計を捨てることも出来なかった。まだ、己自身飼い戌になったとしても、負け犬にはなっていないと確信していたのだ。
それに己の身を挺して守らなければならない人間がいた。
荒んだイシュヴァール殲滅戦から帰還後、戦いでの功労を称えられて出世街道を歩んでいた。だが、あの残虐な戦いの記憶は一寸たりとも忘れたことはなかった。
だから目標が否、野望が芽生えたのだろう。
アメストリス国 大総統となる野望。
誰にも屈することなくこの国を想いのままに動かす権力を持つ象徴的存在だ。その権力を得て男は何を成そうとするのだろう。小さき命を守ること。自分の視界に入る僅かな数の人達を助ける。
唯、それだけだ。そんな彼に安息の地などなかった。
人を蹴落としてでも這い上がって、野望を目指していたロイ。そんな彼の目の前に忽然と金色の少年は現れたのだ。金色の少年は彼の全てを根底から覆うほどの圧倒的存在となった。ロイにとって目の前に輝かしく瞬く太陽と月が現れたのだ。
イシュヴァール殲滅線で黒煙と死臭の中で、生存してきた記憶を背負い続ける彼に眩しい後光が射したのだ。
この光を失いたくない。
この太陽を手元に置けるのならば、野望を捨てても良い。
それ位、エドワード・エルリックという人間を愛してしまった。
しかし、ひっそりとその想いは温め続けられていた。まだ、言い出せないのだ。それに恋愛ごとに疎い彼には、こんなロイの独りよがりな想いは一方通行するだろうと思っていた。
だから、影ながら彼を守ってきた。その事を直接口には出来ない。強がりな彼が嫌がる事を充分理解していた。そして、今はこの軍社会に連れ込んだばかりに余計な重荷を背負わせてしまっている。だが、遅かれ早かれ、このアメストリス国中に降り掛かる災いに彼らは自ら足を踏み入れることになっただろう。それでも幾分楽しい幼年期を過ごす時間を与えられたかも知れないと後悔していた。
この軍社会は彼らには酷く居づらい場所なのだ。隙あらば、幼い彼の身体は欲に飢えた軍人達の好色の餌食となるのだ。狙われる確立は女性軍人より上なのだ。
特に彼の身体は魅惑的なのだ。風貌は少年らしいが、時折その容姿は淑女を思わせる。それは彼の性情の所為だろうとロイは思っていた。後見人を務めるロイはエドワードがひた隠しにしている身体のことも熟知していた。
本日、ロイは妙な胸騒ぎを感じていた。だから、こうして彼の姿を求めて探しているのだ。決して殺されることがない我らだが、殺さぬ程度にホムンクルス達は時折姿を現して、戯弄していくのだ。殊更エドワードは彼らに狙われやすい。
「クソ! 今日に限って何故いないのだ! 一体、何なのだ。この胸騒ぎは…」
ロイは信頼できる部下が減った分、自らの足で彼を探すしかなかった。
「君達、今日鋼の、が司令部に来る予定だったのだが、見かけなかったか?」
ロイの司令室を訪れる約束をしていた予定の時間はとっくに過ぎていた。廊下をバタつきながら、すれ違った下官達に声を掛けるが皆、知らないと首を振るばかりだ。彼の姿はこの軍部では一際目立つ存在だ。それにあの容姿は人目をひく、誰か目撃していれば印象に必ず残るものだ。
だが、誰に訊いても彼を見かけていないと首を振るのだ。ロイの杞憂に終われば良いのだが、彼の胸は良からぬ不安に掻き乱されていた。
まばゆい光が瞼の中まで射し込んできた。あちこち身体が痛い。四肢を動かそうとするけれども一向に動こうとしない。辛うじて左手首が動く程度だ。無理に動かそうとすると力強く圧迫された。鳩尾がズキズキと痛み、機械鎧の右腕の接続部が熱を持ったように酷く痛む。恐らく、エンヴィーに掴まれて接続部が炎症を起こしているのだろう。そんなことを思いながらまだ、覚醒しきってない頭がぼんやりと様子を伺っていた。その頭に声らしきものが、ボソボソと聴こえ始めた。
「ほぉー!! 実に素晴らしい! 大陰唇、小陰唇、膣口…なんら普通の女性と変わらん!」
「そうですな。男根もちゃんと存在している。これほどの両性具有は珍しい。子宮は、卵巣は? どうなっているのだ! 受胎可能なのか是非調べたいものだ」
鼻息を荒くした声が聴こえていた。
「……んっ、ぅ」
カチャカチャと冷たい金属音が聴こえる。それから、妙に身体の下のほうが涼しいというより心許ない。落ち着かない両脚をぼんやりとした意識の中、閉じようとした瞬間。ザラザラとした人の手を大腿部に感じた。それもエドワードの内股をガッチリと掴んで左右に広げているのだ。エドワードの意志とはまったく反対の方向である。
刹那、エドワードの意識は急激に浮上した。今、自分の身に何が起きているのか直感したのだ。頭上に輝くライトの光が乱反射して視界が悪いけれども、有らん限りの力を振り絞って、エドワードはもがき始めた。
彼を縛り付けている真っ白で冷たい診察台がガタガタと揺れた。
「ゃぁああーー!! さ、触るな、放せよぉ…」
涙混じりの声で悲鳴を上げれば、研究者達はもっと喜び始めた。一体、何が楽しいのだと言い返してやりたいが、声にならない。悶えてもエドワードの身体は何一つ自由にならなかった。
両脚は左右に大きく広げられて、片足ずつ、別の台に縛られていた。エドワードの下半身は肌を隠すものが何一つなかった。赤裸々な身体を奴らの目に晒されているのだ。
上半身はシャツのボタンを千切られ、彼の白い素肌が惜し気もなく衆目を集めていた。これまた両腕も頑丈なチューブで縛られていた。
エドワードは診察台に貼り付け状態にされている。それも彼がもっとも毛嫌いする箇所を研究対象にされているのだ。好奇な目が彼の精神を追い詰めていた。
「こらこら、暴れてはいかんよ。誰か、その五月蝿い口を塞いでくれたまえ。そそる声だが、後でじっくり可愛がってやろう。その前に診察の方が先だ」
エドワードの耳元に生温かい息が掛けられた。
「ねぇ〜、良かったね。たっぷり可愛がってもらえそうだね。そうそう……今頃、焔の大佐はどこにいるんだろうね」
エドワードの瞳は一際大きく開いた。それから、今迄見せたことのないような表情に変わった。まるで小さな子供が父親に怒られて泣きそうな表情だ。
心のどこかに築いていた防壁が崩れていく。
あの人にだけは、こんな姿を見せたくなかった。見られたくなかった。彼と対等の位置にいたいと想っていたから、彼の横に並びたいと想っていたから。
「や、ぁだぁ!! アイツにだけは――」
「くっくっく…。良い声で泣くよね。めちゃ、気持ちいいよ!」
首筋を手の甲でぬるりと嬲り、その後を追うように長い舌でちろちろと舐められていた。ぞっとする感覚にエドワードは発狂しそうだ。その表情と声色を至福の喜びのようにハボックに変身したエンヴィーが口角を満足に上げて笑っていた。
「そろそろ、その口を閉じようかな。親父達が五月蝿がって診察出来ないってさ」
戦慄き濡れた口唇にエンヴィーは己の口唇をねっとりと重ねた。くちゅくちゅと彼は味わうように口唇を舐めて、充分怯えた彼の表情を堪能してエンヴィーは漸くエドワードを解放した。
「ぅ、ハァ、ハァ…もう、ヤダッ」
空気が上手く吸えないで、呻くようにエドワードは涙目でハボックに扮したエンヴィーを睨み上げた。奪われた口唇を拭いたくても、その手が自由にならなかった。
満面の笑みでエンヴィーはこの口唇を誰にも味合わせないように蓋をした。手元にあった白い布でエドワードに猿轡を施したのだ。
これでこの場にいる者達がエドワードの口唇に口づけをすることは出来ない。エンヴィーは笑った。これほど愉快なことはなかった。
「ふぅ…っ――」
エドワードは固く瞳を瞑って、抗えない身体をそれでも必死に動かしてこの場から逃れようとした。琥珀色の瞳を開ければ、将軍、研究者達の好奇な眼差しと合致した。彼らは医療用のゴム手袋を装着して、エドワードの秘所を探究しようとウズウズと指先を動かしていた。
「さあ、これで五月蝿い口も閉じた。局部を内診しようではないか」
銀色に輝く金属製のクスコが手に持たれていた。その医療器具を彼らはカチャカチャと音を鳴らしてエドワードの秘所に挿入しようと手薬煉引いて待ち受けていた。逃れられない事態にエドワードは身を竦めていた。だが、そんな中彼に悪魔の囁きが聴こえてきた。
そう、何を頑張っても一緒だ。
もう諦めてしまえと…。
所詮手の平に転がされた駒同然の存在だ。殺されることはない。唯、己の尊厳を傷つけられるだけだ。己だけが耐えれば全てが終わる。
何も話さなければ全てが丸く治まると――。
ぎゅっとエドワードは瞑目した。固く握った左手は自分の爪で自分の皮膚を傷つけていた。
「ほぉー、観念したかね。良い覚悟だよ。さあ、挿入したまえ。実に興味深い研究体だよ」
エドワードの眼前に眼鏡を掛けた男が顔を近づけてきた。その眼鏡のレンズが頭上から注ぐライトで反射して表情は伺えないが、小気味悪い顔をしていたのは間違いないだろう。
「――んぅっ…!? ぅぅあ ぁ…」
猿轡を噛まされても、呻き声は上がった。それほどエドワードにとって未知の感覚なのだ。刺し込まれた冷たい感覚にまず、ビクッと身体が仰け反った。それから異物が濡れてもいない秘所に強引に穿孔した。何処が終着点なのかエドワードにはわからなかった。
知り得ない我が身体なのだ。
ぬるりと冷たいものが内臓を圧迫させながら、先へと突き刺さった。その異物にエドワードは疼痛を感じた。息をグッと止めた。本能的にそうなるのだ。それから、器具をカチャカチャと回す音がした。エドワードは苦痛に顔を歪ませながら、首を少し起こして、彼らの手付きを怯えながら見ていた。声は発せられなくても、その微弱な動きが彼には拒絶の心を表す行動だった。
グッと彼の未知の身体を開く感覚にエドワードは起こしていた首を横に倒した。内臓を開くという感触というものを味わった。苦痛に顔が歪んだ。それを肯定させない為に激しく首を左右に振った。
快楽も悦楽もなかった。唯、彼は内臓を抉じ開けられるという感覚に身を固くした。
「ほぉー、これはすごい! 年頃の女性に比べて幾分発育が遅いがちゃんと子宮が発育している。それに実に美しい色をしている」
「これは素晴らしい。受胎も可能なのではないだろうか?」
「月経の有無は? 否、それより男性としての機能も調べてみたい」
「しかし、処女を見るのは久方ぶりだ! 見たまえ! この熟れんばかりにヒク付いているこの膣口是非慰めてやりたいものだ」
その言葉を聞くや否や、親父達はこぞって器具を奪い合い、エドワードの大切に守ってきた秘所を診察し始めた。誰にも明かしたことがなかった秘所は未曾有の地。それを濡らしもせずに、無理やり冷たい器具で抉じ開けるのだ。彼には激痛が伴っていた。診察と偽ってその器具を抜いたり挿したり注入を繰り返す者もいた。精神的に感じることはなくても身体は勝手に反応することもある。だが、その感覚を快楽と感じることは出来なかった。彼の身体は無知で幼すぎたのだ。卑猥な水音がピチャピチャと聴こえる。そして、彼に無体な言葉を浴びせていく。それこそ、エドワードに与えられるものは屈辱の何者でもなかった。
下腹を押さえ、子宮の位置や機能を確かめる彼らの手はエドワードにとって化け物の触手にしか思えない。器具を取り外したかと思えば、彼の桜色に腫れた場所に躊躇いなくゴム手袋をした指が遠慮なく挿入されて中を好き勝手に弄っていくのだ。
エドワードは大声を出せずとも、くぐもった小さな声を絶えず漏らしていた。
唯、唯――この悪夢が終わるのを黙って耐えるしかなかった。
今――この時が最悪の時だと信じて。これ以上の災いはないと思って耐えていたが……。
これで終わりではなかった。
「なるほど…、なかなか興味深いものであった。そろそろ、実技と行こうか!」
エドワードは朦朧とした意識の中、その声に素早く反応した。
それだけは――、その先だけは――許して欲しかった。
誰かの為に貞操を守っているという訳ではない。貞操観念について彼はまだ理解出来てなかったが、彼の心にほのかに息づくものがそれというのに、気付いていないだけかもしれない。
エドワードの声は嗚咽に変わっていた。
声にならない声が、想いが――何度もあの男の名を呼んでいた。「大佐…」と。
助けを呼んでも彼が来るわけでもない。もし来られても、エドワードは虚勢を張るだけだろう。それでも、何故か今は彼の名を呼びたかった。
「ぅ、うぅ…、あ、んっ」
「あぁ、よしよし我々が可愛がってあげるから安心しなさい」
エドワードの漏らす声全てが、親父達には欲情して物乞いする女の声に変換されるようだ。親父達は悦んで、鼻の下を伸ばし己の下半身を扱き、軍服のズボンにきつく縮まっていた男根を悠々と引っ張り出した。下品にジッパーを下す音が聴こえ、そこから下劣に巨大化した男根が現れた。
エドワードの身体が猛烈に貼り付けの診察台で暴れ出したが、無駄に体力を削ぎ落とすだけだった。親父達の魔の手が卑猥にエドワードの小陰唇に触れて、男根が入りやすいように左右に開かれた。桜色の可愛らしい花の蕾が名も知らない男の手によって千切られる瞬間だ。
欲望に従順にテラテラと赤黒く光沢を放ち、そそり立った男根がエドワードの蜜壷に当てられた。
逃避に近い意識の中でエドワードはその有様を見ていた。瞳を離すことが許されなかったのだ。ハボックに扮したエンヴィーによって、髪を鷲づかみにされ上を向かされていた。自分の身体が穢される瞬間をよく見ろと言わんばかりの仕打ちだ。
小さな蜜壷が強大な男根を無理やり飲み込んでいく映像をコマ送りのように、エドワードの瞳に映っていった。どうすることもできずに唯、映像はエドワードの脳髄から大脳に映されて、それから認識された――彼の精神が発狂する寸前だった。
「……ヒィぃ――!!」
呻き声が漏れる。無理やりに突き刺された身体はピクピクと痙攣を起こして身悶えていた。愛撫されることも濡れることもなかった膣口は最大限に開かされ、所々裂傷を作っていた。
今迄、犯されることがなかった処女膜が破られ、突き刺さった隙間から鮮血が漏れ出した。エドワードの激痛を伴った悲鳴が迸った。
司令部内をくまなく探していたロイの元に見知った青年が現れた。青年は壁に背を預けて、ロイを睨むように見上げていた。その瞳は蛇のように執拗な輝きを放っていた。青年の手にはウロボロスの紋章が刻まれていた。それが何を意味するのか、ロイはわかっていたが、狼狽することなくジッとその男の黒き瞳を睥睨した。
お互い顔見知りだった。エドワードを介して知り合って仲間となり、恋敵となる男だった。
だが、今は敵対する組織に分かれている。分かれる以前は一緒に策を練った仲だった。それも彼が――シン王朝の皇子が「強欲」に身を堕す前の話だ。
それでもエドワードの話によると、この「強欲」の中には二つの人格が存在していると。その人格の一つと手を組めば、強大な力を得ることができるだろうということ。
今、ロイの目の前に現れている男は果たしてどちらの人格の持ち主なのだろうか。
ロイは固唾を呑んで、彼の出方を待った。
それに眼前の男の気には迷いが生じているようだ。この場で戦闘になることはないだろう。
では――何故?
ロイの前にいるのだ。
周りの空気がキリッと膠着状態になっていた。そんな中、ロイは軍服のポケットから錬成陣付きの手袋を取り出した。それで、戦闘の意志を伝える為に。
グリードと名づけられた青年は切れ長の黒い瞳、長髪の黒髪を後方で結った容姿だ。ぱっと見た目で異国人であるとわかる。
青年の黒い瞳とロイの瞳は寸分違えることなく睨みあったままだった。何時この緊迫した局面から打開されるかわからない。
だが、突如として男が口を開いた。だが、その瞳からは殺気は消えてなかった。否、殺気というより嫉妬といった方が良いだろう。「強欲」という名を冠した彼に似つかわしくない単語だ。
「ちょっと、付いて来イ」
語尾に訛りがあった。それもシン国特有の訛りである。怪訝に思いながらもロイは踵を返す男の背中を無言で追った。勿論、右手には炎とサラマンダーの錬成陣を施した手袋を装着したままだ。ロイはいつでも戦闘態勢に入れるように神経を研ぎ澄ませていた。イシュヴァール殲滅戦を戦い抜いてきた男の戦闘能力は並大抵のものではない。
それを知っていても尚、前方の男は彼に背を見せていた。
ギシギシと診察台が揺れていた。
両脚を縛られた台から機械鎧の左足と生身の右足が律動に合わせて所在なげにブラブラと揺れていた。卑猥な荒々しい鼻息と吐息が忙しなく聴こえていた。
「ん、っ、ハァ…膣の絞まりはやはり処女という事で格別だ…。ふ、んんっ…」
だらしなくズボンを下した腰が激しく振られていた。パンパンと肉と肉が重なり合う音が淫らな水音と一緒に響いていた。
甘く独特な香りに混ざって、鉄臭い血液の匂いが漂っていた。その匂いが媚薬となって手薬煉引いて待ち侘びる男達の男根を大きくさせていた。
エドワードは正面から犯してくる男から顔を背けていた。ぼんやりと上下に揺れる肢体と一緒に真っ白な研究室の片隅に視線を向けていた。その視線さえも律動に合わせてゆらゆらと揺れている。もうその瞳には涙はなかった。焦点が合っていない琥珀色の瞳は何もかも投げやりに見えた。
もう諦めた。何もかも嫌気が差したような覇気のない瞳。
「お、やぁー!? 大人しくなっちゃったね。楽しめないかな? おチビさんの為にこの遊興を考えたんだぜ。んっ、大将…」
ハボックに変身したエンヴィーが茫然とした表情をしているエドワードに、にやりと顔を近づけてきた。しかし、エドワードの虚ろな瞳にエンヴィーは舌打ちして顔を歪ませた。彼の思惑から外れたエドワードの表情に面白みを欠いたようだ。
「ふんっ…つまんねぇ」
そういうとその場を放れて壁に背を預けて、親父達の慰み者となっているエドワードを熟視していたが、その顔には笑みはなかった。
七つの大罪の中で「嫉妬」という名を冠した者は醜く犯されるエドワードの姿を見て、ご満悦に笑っていたのも始めのうちだけで、時間が経つに伴い興醒めしていた。もっと何か刺激が欲しかった。
しかし、こんな時の為に布石を敷いていた。エンヴィーは眼前の出来事より一歩先の未来を思い浮かべていた。
一段と男の腰が激しく叩きつけられた。激しく軋む診察台の音でその激しさがわかる。大きく割り広げられていた両脚の膝裏を掴み、エドワードの秘所地に腰を密着させて男根を最奥まで挿入させて止った。
「ぅん、はぁ――!!」
満足げに息を吐いた男の顔が間の抜けたアホ面に変わった。エドワードの大輪の華を千切った男は、蹂躙した秘所で果て陶酔していた。その証拠に膣口と男根の隙間から溢れかえった精液が迸っていた。ゆっくり男がそこから男根を抜くとエドワードの身体がビクッと裏返った。
「ぅっ…ん、っ…」
押し殺した声が微かに漏れる。その声と一緒にコポリと膣口から白濁した液体が漏れ出した。勿論それには朱色に輝く血液も含まれていた。破瓜の血だ。
エドワードは慣れない感覚に身を震わせたが、その様は酷く妖艶で親父達の色欲を更に掻き立たせた。精液を放った男の指が震える膣口から零れるものを再度押し戻すように触れてきた。クチョクチョと何度も舐る指の感覚にエドワードの萎えていた男根がゆっくりと目覚め始めていたが、誰もそれに触れようとしない。興味があるのはエドワードの女性としての機能のみ。
「君、中で出したのかね。妊娠でもしたらどうするのかね」
にやりと笑いながら、次は私だと言わんばかりにジッパーを下し始めた男が言った。他の連中の前も生地の上からはっきりと欲情を表す男根がくっきりと姿を現していた。
「いやいや、まだ妊娠はすまい! だが、まれに受胎するとなると非常に面白いものだ!」
「そうだな。胎児の成長過程を観察出来るというものだ」
「次は私が戴こう。んっ、どうしたのかね? 怯えているのかね。だが、そんな表情も実に初々しくて良いな」
エドワードは耳を疑った。自分の身体を研究の対象としてみる奴等に虫唾が走った。こんな奴等の子供が腹に宿ったら一分一秒、留めておくことができないと感じた。恐らく、そんな非現実的なことは起きないだろうと思っていた。この身体は受胎可能な身体ではないと思っていたからだ。エドワードは素人目にそう判断していた。
本人でさえもこの身体は未知数な上、性的なものにまったく興味がなかったエドワードだ。年頃の少年の傍には肉体を持たないアルフォンスがいるのだ。興味を示す前に罪悪感に苛まれていた。
だが、それが甘かったのだ。
「ほぉー先程より挿入しやすくなったようだ。それに、なかなかの名器だ。これは楽しめそうだな」
ゆるゆると挿入した男根を律動し始めて、次の男はうんちくを垂れながらエドワードの身体を嬲っていた。先程、咥えていた形と違うことでエドワードは疼痛を感じた。彼の苦痛に歪む表情よりも彼らは欲求を満たすほうが優先なのだ。そして、じっくり味わって己の精をエドワードの子宮に吐き出し、抜いていく。それが終わるとまた、別の男が鼻を膨らませて破裂寸前の男根を赤く腫れ上がった小陰唇に無理やり捻じ込む。そして、強引に秘所に潜り込んで蹂躪した襞を味わうのだ。
こうなるとエドワードは唯の肉塊でしかなかった。泣き喚く気力も声を上げて訴える言葉も尽き果て、それを面白くないと言い出した男達の手から猿轡が外されたが、微かに呻き声が漏れるだけだった。
「君も中出しかね。これでは誰の子供が出来るかわからんじゃないか」
「わっ、ははは…! 大丈夫、君のは薄いから確率は低いよ」
「しかし、出しすぎてぬるぬるだよ。君ねぇ、遠慮を知らないのかね。はっ、ははは…」
そんな卑猥な会話が頭上でされていても、エドワードは壊れた人形のように身体を揺らしていた。
もう、どうでも良かった。こんな身体――どうでも良かった。眼を閉じて、従順に脚を開いていれば時期終わるだろうと――。
エドワードは顔を背けて、ゆっくり瞼を閉じた。これで何も視ずに済む。身体の感覚などとうの昔からなかった。彼に快楽は一度も訪れることはなかった。男達が自分の欲望をぶつけるだけなのだ。彼の性感など関係がなかった。
真っ暗になったが、そこで何かが映った。映像が映るはずもないのに、何故か彼の姿が眼に浮かぶのだ。いつも偉そうにエドワードに微笑んでいる彼の姿。時には、変なジョークを交えてお茶に誘う彼の姿。うざいと思いつつも彼に惹かれる自分がいた。
どうして――。その姿が瞼に映るたびに、涙が溢れ出す。こんな涙を見せたら親父達を更に増長させてしまう。これ以上、身体を奴等の自由にされるのはもう勘弁して欲しい。
ならば、この煩悶する身体と熱く溢れ出す涙を止めれば良いとわかっていても、出来ない。唯一出来ることは暗闇の中、現れる彼の姿を消せばよいのだ。瞼を開けば良いと、エドワードはゆっくりと涙で濡れて重くなった瞼を抉じ開けた。人工的に作られた光が閃光した。眩しすぎる光を瞳孔が調節する。そして、エドワードを現実の世界へと戻すのだ。
そこには逢いたくて、逢いたくなかった男がいた。
ロイは第二研究室と書かれたプレートの扉の前に立っていた。リンに導かれた場所はこの中央司令部でも胡散臭い研究をしていると専らの噂がある場所だ。ドス黒い靄が研究室の扉の隙間から漏れ出して見えるようだ。内部で行なわれている不穏な密事が空気で伝わってくる。
ロイの額からつぅーと冷たい汗が流れ出していた。エドワードの身辺で予期せぬ事態が起こっているとき、こうして彼と精神を結んだようにロイは感じるのだ。それは彼がロイの管轄外から離れた遠い場所であってもそうなのだ。エドワードの意志は無視して、ロイは彼と出会ってからの数年間片時もエドワードを思わない日々はなかった。
リンは壁に寄り掛かり、扉を睨みつけて顎をしゃくった。
この研究室で何が行なわれているか、知っているのだろう。彼の表情は峻厳なものだった。そんなリンの顔を見るロイも同じく険しい表情をしていた。それにロイの中の疑念は未だ解決されていない。今、此処にいる男の感情はどちらの人格が主導権を握っているのだろうと。逸れ次第で充分、形勢が変化するのだ。
「此処だ。わりぃーけど中にはアンタが入んな。俺は此処までだ…」
そうあっさり言う彼の表情は言葉とは裏腹で今にも勇んでこの部屋に突入する勢いだ。それを鎮めようと戦慄く両腕をグッと組んでいるようだ。人に従い生きるならば、笑って死を選ぶと豪語する意識体の塊であるグリードの人格がリンの行動を邪魔していた。
ロイには強欲に身体をくれてやったリンの精神がもう一つの人格と争い荒ぶっている様が見えずとも、ピリピリと伝わってきた。
事態の大きさを感じた。一刻の猶予もない。
生汗がロイの背中を流れ、武者震いを起こさせる。最悪の悪夢が彼の中で蘇ろうとしていた。
イシュヴァールでの戦闘を思い出す。あんな想いは二度とごめんだ。目の前で、助けられるはずの命が奪われるのを見るだけの存在にだけはなりたくなかった。未然に救いたかった。
それにこの男が強欲に身体を明け渡してでも、手に入れようとした者、守ろうとした者がこの件に関わっているとロイは直感していた。そうでなければ、「お父様」から創造されたホムンクルスの彼、グリードは動かないはずだ。
焦慮を抑えきれないロイは勢いに任せて厳重に鍵の掛かっている扉に向かって、ロイは渾身の力を込めて体当たりした。
バンッと鈍い音を鳴らして扉は開き、厳戒態勢でロイは研究室に侵入した。武闘派錬金術師であるロイの表情には何一つ余裕はなかった。精細な動きに欠けている自分の行動に叱咤したくなる。ロイは壁側に身を潜め、薄暗く消毒液の匂いが充満している室内を警戒しながら前に進んだ。
願うことは唯一つ、無事でいてくれ。鋼の、――。
大きな物音がしたが、淫行を愉しんでいる彼らはまったく気づいていない。誰もが雄としての本能を剥き出しにして、淫欲に溺れていた。当初の目的など忘却の彼方である。
が、しかし一人だけその音に敏感に気づき、にやりと気味悪く笑う男がいた。金色の短髪に大柄な身体、煙草を不味そうに咥えている男は始めのうちはこの遊蕩を愉しみ、己が指を濡らして薔薇色に色づいた襞やら粘膜を嬲っていた。しかし、今では飽いてしまったのだろうか。目の前で淫遊する親父達を後目に大きく口を開け、欠伸をしていた。退屈そうだった表情がにわかに活気づいた。
どうやら、これから起こりうる事柄に心を躍らせているようだ。彼は待っていたのだ。この時が来るのを心ひそかに――。
男達の性欲処理の為に処女地を荒らされているエドワードの辛苦の表情を嬉しそうに男は見つめた。
「さあ、お出でになったよ。おチビさん、これからが本当のお楽しみだよ」
くつくつと独りごちながら今回の首謀者であるエンヴィーは口角を上げて笑った。
ロイが慎重に室内を探索していると異様な喘ぎ声が聴こえる一室に辿り着いた。その声は、SEXの猛最中で男が絶頂の雄叫びを出しているものに相違なかった。
誰も侵入者に気づいていないようだ。饗宴に酔い痴れているのだ。軍人としてあるまじき行為である。ロイは猛烈な苛立ちと憤りを感じながら遠慮なく、室内に入った。
するとロイの瞳が大きく瞠目した。冷たいタイル貼りの殺風景な処置室にライトが爛々と当たっていた。その場所の中央に男達が下半身を剥き出しで立っていた。非常に無様で情けない格好だ。そんなふしだらな男達が囲んでいる隙間から見えた人物にロイは目を覆った。
最悪だ――!?
両脚を大きく割り広げられ、片足ずつ閉じられないように縛られていた。両手も貼り付けられていた。男が蹂躙に腰を使っている為、その身体は診察台と一緒に揺さぶられていた。銀色の機械鎧の左脚がキコキコと音を立てていた。
その脚に見覚えがあった。よくその脚で蹴られたものだ。
蜂蜜色で美しい髪が乱れて、顔にしどけなく掛かっていた。
その髪に見覚えがあった。太陽のように眩しい金髪をよく引っ張ったものだ。
こちらを向いて大きく開いた琥珀色の瞳から真珠の粒がパラパラと落ちているのが、はっきりと見えた。
その琥珀色の瞳に見つめられた瞬間から、この恋路は始まった。
ロイは咄嗟に大声で彼の名を叫んだ。
「鋼の、――」
その声が彼の耳に届くや否や、彼の虚ろな瞳がロイを瞠視した。それから、大きく口唇が開かれて、見る見るうちに表情が狂乱した。
「――ひぃぃ…オレを見るなぁーー!!」
悲愴に満ちた金切り声が響き渡った。
その声は室外で待機していた男の耳にも届くほどだった。室内に立ち入る事を頑なに身体が拒んでいたが、突如支配する人格が入れ替わった。それ程、この声は救難信号を鳴らしているのだ。リンは慟哭が聴こえる方に走り出した。
ロイが静かに見守り、大切に愛でてきた華が残虐に踏み躙られたのだ。彼の怒りは怒髪天を衝いた。ロイの唸り声は室内を震撼させた。
「貴様らぁー、許さん!!」
「な、何だね!? 君は…」
流石に部外者がこの場に来られて、彼らも慌て出した。如何に軍人としての階級が高く、訴えられることがあっても棄却する権力を持ち合わせていても、今の格好は体裁が悪すぎる。そそくさと己が前を隠す者もいた。
激昂していたロイの表情が怜悧なものに変わった。ロイは彼らを睥睨し無言でズカズカと近づいた。それから、いとも簡単にエドワードの身体に肉棒を挿している男の首根を掴み激情に任せて引き剥がした。
「うっ、クッ…」
エドワードの身体から久しぶりに異物が取り除かれたが、ロイの眼前に凄惨な彼の局部が露になる。思わず目を背けたくなる光景である。エドワードは羞恥心に耐えかねて、痛ましげな表情をロイから背けた。
ロイは手を彼に差し伸べようとしたが、寸でのところで止めた。小刻みに身体を震わせ、涙を我慢する彼に慰めの言葉など掛けてやることは出来なかった。それを言ってしまえば、彼の鋼の心が硝子に変わり砕けてしまうのだ。
どんなに抱きしめてやりたいと想っても、今はその時ではない。ロイはグッと抑えて自分がすべき行動に走った。
床に腰を打ち付けて、倒れている男は将軍の階級である。それにも関わらずロイは将軍の胸倉を掴み、渾身の力を込めて殴り倒した。
「ひぃーーや、やめてくれぇ!」
許しを請う声を無視して、ロイは無言で何度も殴りつけた。彼らの前に垣根が出来た。誰も止めることができず、残りの研究者達は狼狽し、この場から逃げ出そうとしていた。そんな軟弱な男達にもロイの怒りの鉄槌は伸びた。
漸くリンが血相を変えて駆けつけてきた頃には、その場は阿鼻叫喚と化していた。発火布を装着したロイの指がパチッと火花を散らして、男達を死なない程度に炎が襲っていたのだ。黙っている彼の表情が更に残酷に見える。
「ぐわぁーー!! 助けてくれぇ…」
ロイは峻烈な感情に我を忘れていた。奴等はロイが大切に育てていた華をへし折ったのだ。彼の怒りは半端なものではない。
「死体が残らないように消炭にしてくれようか!」
無情な言葉に更なる恐怖を植え付けられた。そして、このイシュヴァールの英雄は本気で言っているのだと、無知な彼らは狂気したロイの瞳を見て確信した。
それほど、この後見人はエドワードのことを大切にしているのだ。それを知っていたならば、始めから手を出そうなどと考えなかった。彼らは生き延びるために醜い弁明をし始めた。
「ま、待ってくれ。これは……あの男が我々に嗾けてきたのだ」
「そうだ! あの男だ」
壁際で腹を抱えて笑っている男を震えながら彼らは指さした。首謀者が別にいると知って、ロイの怒りは頂点に達する。
新たな事実にロイはその男を見るために振り返った。阿修羅の如きロイの表情が複雑に変わって、右手の指を鳴らそうか鳴らすまいか一瞬、躊躇った。
そうだろう。目の前にいる男は自分の優秀な部下。だけど、その部下は現在リハビリに精を出しているはずだ。こうして、眼前で立っている姿は絶対に在りえないのだ。
だが、彼の一瞬の迷いを打ち消すように突如現れたリンの右拳がハボック似の男の顔面にめり込んだ。
「貴様、そんなに面白いのカ!」
シン国訛りの声がロイを安堵させたが、油断はならない。それでも彼の怒りの鉄拳はエドワードの為のものだと、ロイは確信した。エドワードを想うロイだからわかることだ。
「痛いじゃないか! グリード…あぁ、顔が歪んだ…」
殴られた頬を手の甲で拭いながら、エンヴィーの表情が徐々に怒気し始める。これも計算のうちなのだろうか。それとも顔を殴られるということは想定外だったのか。
「クソッ、エドの奴をこんな目に合わせやがっテ。まだ、自由に身体をコントロール出来ない所為で出遅れタ…」
ぼそりと殴った彼に、聴こえない程度にリンは呟いた。リンが振り向いた先にはエドワードがぼんやりと三人の攻防戦を見ていた。その身体は未だ診察台に繋がれた哀れな姿のままだ。リンが激情に任せて、大きく見開いていた瞳が哀愁を匂わせていた。決して同情という名で哀れんで見ているのではない。己の不甲斐なさを悔やんでのことだ。それは此処にいるロイも同じ想いであった。ふいにロイに視線を移せば、彼もリンと同じ色の瞳をしているのだ。彼らはすぐさま、駆け寄りたいという想いをグッと堪えていた。目の前に敵対するものが構えているのだ。
エンヴィーは四つの視線に睨まれていたが、動じることなく茶化すように言った。これを言いたいが為にこの策略を練ったと言わんばかりの内容だ。
「ちょっと、暇だったからね。遊んであげたのさ! あぁー楽しかったよ。焔の大佐…」
口元を拭いながら、ロイに話しかけるエンヴィーの姿は本来の黒い長髪の青年の容姿に戻っていた。変身が目の前でとかれる姿に流石のロイも驚きを隠せない。けれども、その挑発的な言葉にロイの怒りは怒髪天を突いた。
「貴様、絶対に許さん! 跪くが良い何度でも燃やしてやる」
酸素濃度を最大にして、その男のみを地獄の業火で燃やしてやると右手を上げ火種である発火布を鳴らそうとした瞬間、リンの手がロイを静止した。静止する肉体とは別に狂気に満ちた表情が浮かんでいた。魂を分けた兄弟を傷つけることに拒否するグリードの意志とエドワードのことを想い激怒する意志の二つがぶつかり合っていた。
「オイ、こんな事して人柱確定の人材が傷ついたらどうするんだ!」
冷静な判断を下す彼の言葉に訛りはなかった。ロイは出方を伺うしかない。敵が二人に増えると厄介だ。此処はグッと我慢するしかない。今にも右指を弾きそうな衝動を堪えた。そんな事、気にも掛けずにエンヴィーは淡々と応えた。
「そんな、これぐらい大した事ないだろう」
「死ななくても、精神がいかれちまったら使い物になんねーだろう。コイツは人柱確定の人間なんだからよ!」
もっともな言い分だ。エンヴィーは正論を唱えられ、困り顔になって頭を掻いていた。
「もう良いだろう。そのぐらいにして、手を引け! こいつも人柱候補の一人だぞ。それとも俺が相手してやろか。女を泣かす奴は気にくわねーんだよ」
その台詞でロイは悟った。どうやら、リンとグリードの間で利害が一致したようだ。そして、エンヴィーも兄弟同士無駄な争いはしたくない。それに彼の遊興は充分満たされたのだ。これ以上の介入は「お父様」の計画にも支障をきたすものである。
「わかったよ。大人しく退散するよ」
ロイをこれ以上挑発すると三つ巴の戦いが始まる事を知ったエンヴィーは素直に退散した。しかし、彼の姿がこの場から離れるまで、ロイは漲る殺気を彼に向けて隙在らばいつでも燃やしてやるぞと虎視眈々と狙っていた。
漸く、首謀者がいなくなった室内では親父達が怯えまくっていた。その目を見るだけで、ロイは苛立った。エンヴィーに一矢を報いることが叶わなかったロイの怒りの矛先は彼らへと向けられた。どうせ、彼らを煮ようが焼こうがロイの進退にはまったく問題はないのだ。それにこうなる事をエンヴィーは予測して人選したに違いない。ロイは怒気を孕んだ声で隣に立つ男に言った。
「後の始末を頼むぞ!」
「女を泣かせる男は嫌いでね。好きにしな。それにこいつもそれを願っているみたいでな」
グリードは胸に親指を突き立てた。それを聞いたロイは怜悧な表情で火傷に唸る男達に最後の鉄槌を与えた。彼らから悲鳴も出ない一瞬の爆音で全てが終わった。隣に立つ男も黙って、彼の所業を見ていた。本当はリンも手を下したかったに違いないが、なかなかコントロールが出来ない身体なのだ。
何もかも片付いたところで、やっとロイがエドワードを拘束から解放した。彼の身体は疲弊困憊して抗う力もないようだ。ロイの胸にエドワードは崩れるように抱かれた。
本当は自ら抱きつきたい想いをエドワードは必死に我慢していた。奴らに犯されている間、終始ロイの姿が浮かび、助けを求めている自分がいたのだ。この感情をどうしたら良いのかわからない。息をするのも困難な緊迫した状況にいたエドワードだが、未だにその緊張を解くことは出来なかった。
「鋼の、大丈夫か?」
「―――」
ロイとリンが心配そうに覗き込んできた。ロイの顔には別段驚きはしなかったが、やはりリンの姿にエドワードは息を呑んだ。ロイの腕の中で再び恐怖が思い出され、身体をビクつかせた。仕方のないことだ。彼はホムンクルスなのだ。先程まで、エドワードの身体を好き勝手にしたエンヴィーの仲間なのだ。その身体の中にはリンの魂が存在していると頭でわかっていても、精神も衰弱している今のエドワードには彼に対して心を開くことは出来なかった。
エドワードの一連の仕草を見て、手を伸ばしかけていたリンの手は空虚を彷徨った。それに注視してみれば、エドワードの蒼痣が浮かんだ左腕はしっかりロイの背中に回され、金色に輝いていた小さな頭は彼の胸に吸い付くように寄せられていた。
リンは敵わないと想った。この男には敵わないと――。
エドワードをモノにする為に、己の身に強欲を受け入れたが、それでも彼の心はまだ、こちらに向かない。では、潔く身を引けばと思うがそれも無理な願いなのだ。
リンは自分が身に着けていた黒いコートを脱ぎ、ロイに手渡した。直接、エドワードの傷ついた身体に掛けてやりたかったが、怯える彼をこれ以上見たくなかった。
「これヲ…。助けるの遅くなってすまなかっタ。でも、エド…俺は俺だかラ」
ロイはリンの表情をエドワードの代わりに見上げた。哀愁漂う彼の顔が眼前にあった。腕の中で、身じろぐ気配に気づいた。リンの声を聴いて、顔を上げることは出来ないが頷く彼がいた。そして、掠れて力ない声だが、しっかりと彼に応えていた「わかっている」と。
それを聴き遂げたリンはゆっくりと腰を上げ、異様な匂いが混ざり合う研究室を出た。
それから残された二人は――
むぅーーー無反応なのを良いことに好き勝手やってます。
誰かコメントくれよ! まぁーしにくい内容だけどね…。やっぱり甘いものがお好きなんでしょうね。
桜 美由紀 2007/8/25