不変の真理 〜Unchanging Truths〜 序章
兄さんの笑顔は僕のためだけにあると思っていた。
それは僕がこの世に生を受けて来た時から、始まっていると――。
ずっと変わらないと思っていた。
僕にとって兄さんは「兄さん」だった。
それは永遠に変わらない
不変の真理。
だけどある時から気づいてしまった。
――火傷するほど熱い火蜥蜴の紋章を刻んだ焔の男の存在。
大佐が涼しげな顔で兄さんを「鋼の、」と呼ぶ声に深淵な意味があること。
僕の「兄さん」と呼ぶ声に反応する兄さんの笑顔。大佐が呼ぶ「鋼の、」という声に振り返る兄さんの微笑には千里の違いがあった。
本当は気づきたくなかった。
そして――気づいてしまった。
この時ほど、己の感の良さを恨んだことはなかったが、同時に別の感情が湧き上がって来て……。
鋼鉄の鎧に魂を移し、長い放浪の旅を続けていた僕らは幾多の困難を乗り越えてきた。
その歳月で僕の“不変の真理”はじわじわと鋼鉄が錆びていくように腐っていった。
それは……あの男に対抗心を燃やすように急速に増していた。
「兄さん」に触れたくて堪らなかったんだ。
その想いは婉曲していく。
そして――やっと僕らの願いは成就したその頃には……。
僕にとって「兄さん」が別物に変わりつつあった。
それが大佐の呼ぶ「鋼の、」に近づいたかは知らない。
知ろうともしなかった。
知りたくもなかった。
激しい雨が窓硝子を叩く。
外は吹き荒んだ雨風で闇のように暗い。
部屋には明かりは灯されていない。外は煩いほどの天候なのに、室内は静寂が支配していた。
その静寂の中に響く音があった。
「う、ッ――」
「ふっ…つ、う…」
硝子玉のような金色の瞳を闇の中で開き、ぼんやりと一点を見つめていた。
生気のない顔。
その美麗な顔には似つかわしくない頬の痣。
口端は切れ、赤い鮮血を流している。けれども拭おうともせず、呆然とベッドに沈んでいる。
乱れた金髪の長い髪はほつれた状態で扇情的にシーツに色彩を描いていた。
横倒しに沈んでいる半裸の身体を僅かに覆う白いシャツが目に付く。
時々、遠くで落雷が落ち、その稲妻が閃光して室内を明るくした。青光りしたシーツの白さとシャツの白さが明るみになるが、それとは異質な赤い色彩がアルフォンスの顔を苦く歪ませる。
「くっ――」
白い生地にも劣らないエドワードのきめ細かい白い肌。
右腕、左脚を真理から取り戻したが、その傷跡は痛々しいほどに残っている。
苦い顔つきで暗い闇夜を手探りで探るように瞳を凝らすと、投げ出された両脚に辿りついた。
緩やかに円を描く臀部の狭間から汚れた残滓の痕跡と赤い血痕。
それが誰の所為で汚され、傷ついたものか知っているアルフォンスはベッドの端で両膝を抱いて、顔を膝頭に擦り当てていた。
その背は小刻みに震え、伏せた口唇からは嗚咽が漏れていた。
押し殺した呻き声と、懺悔にも似た嗚咽が聞こえるのに寝室はやけに静寂で…。
直ぐ傍で横たわる人に視線をやる勇気はなかった。
自分が加害者なのに――罪の意識は希薄していた。
突発的。偶発的。非生産的。非合法的。倫理に反している他……。
検察官がいたらそういう単語を多く活用される。
そして、被害者を強姦し、辱めた青年は幼稚で悪質な犯罪であると罵られるだろう。
陪審員にはそんな印象しか残らない。
けれども――僕らの本質はそんな端的な言葉で片付けられるものではない。
それを理解してくれとも言わない。加害者自身が足掻いているのだ。
戻せない時間は刻々と進んでいた。
けれども二人の時は此処で止まっていた。
そして――この日、兄さんは僕の兄さんではなくなった。
桜 美由紀 2008 3/22