不変の真理  Unchanging Truths  第九幕


外は蒼い稲妻が発光していた。激しい横槍の雨は窓ガラスを叩いている。
とても穏やかという状態ではない。
時々、近くに落ちた落雷の所為でアパートの一室を照らす電灯は点滅していた。そんな薄暗い状態で先に熱いシャワーを浴びたアルフォンスはほのかな明かりを頼りに、腹ばいになって本を読んでいた。
扉が閉まる音に彼は耳だけを傾けた。
「雨、酷いね。今日はさっさと寝てしまった方が良いみたいだね――」
勿論、その視線は貴重な明かりを糧に読んでいる活字に向けられている。
「――」
反応は乏しかった。
それに気を止めることもなくアルフォンスは続けた。
「停電が酷くて本も読めないよ…」
残念そうに読みかけの本を閉じた音が簡素な寝室に大きく聴こえる。
皮肉混じりに笑いながら頬杖をついた顔を漸く扉側に向けると、想像していなかった情景にアルフォンスは出くわした。
扉を背に立ち尽くしているエドワードの姿。
蒼い光が幽鬼のようにエドワードを包んでいた。
ざわりとアルフォンスの中で抑制していた感情が湧き立つ。ごくりと生唾を飲み込むことが体感気温を一℃上げる。
「―――……」
外は月明かりと稲妻が一緒に共存していたが、アルフォンスの耳には遠くて雷鳴が轟いていた。稲妻に映されて薄気味悪く艶やかにエドワードの瞳は赤く光っている。
「兄さん?」
ゆらりと立ち尽くすエドワードの肢体、赤く光る瞳は妖艶に他者を招き入れる。長い歳月を駆けて互いを知り尽くして兄弟。だが、そのあらたな一面を頭角したエドワードの指が己のシャツの前ボタンに手を掛けていた。
空虚に少し傾けた顔と、濡れそぼった金髪は人を淫乱に魅せる。
止まった時間が動き出すように、漸く一歩エドワードは前に進み出した。アルフォンスは誘われるように身体を起こした。
ベッドに身を起こしたアルフォンスとその前に妖艶に立つエドワードは対峙した。
ごくりと喉仏を上下させてアルフォンスは嚥下した。
只ならぬ空気が寝室を包み込んでいた。
シャツの前を凄艶に肌蹴たエドワードは虚ろに口唇を開いた。
「――アルフォンス、お前に俺の心と身体をやるよ」
アルフォンスの身体が前のめりになる。
「エッ?」
「一ヶ月だけッ――俺の時間を全部やるッ…」
途切れ途切れの声音。けれども決意を秘めた声は切なく寝室内に響いていた。
世迷言ではないエドワードの言葉にアルフォンスは胸を鷲掴みにされた。
その言葉の意味をどう受け取ったら良いのか判断のしようがなかったが、鼓動が弾んでいるのは間違いない。
あれだけ待っていたのだ。待ち焦がれていた。
何度となく兄を抱きたい。触れたいと。
自分の愛情と欲情にまみれた想いをぶつけて受け止めてほしいと。
想っていた。
叶わないとあきらめかけ、愚かな自分に罰を与えようとしていたぐらいだ。
それなのに硝子のような瞳でアルフォンスを見下げる人は、自らの心と身体を捧げようとしているのだ。
深い水面に沈んで絶望の淵にいるエドワードの瞳をアルフォンスは見上げるしか出来なかった。脊髄を走る痺れは貪欲に下半身を隆起させようとしていた。しかし、精神と直結している身体は身動き一つ出来ない状態なのだ。
心とは裏腹にこめかみを冷たい汗が流れる。
蒼い稲妻がエドワードの姿を一層蒼白く浮かび上がらせる。その身体がゆらりと動いた。アルフォンスはその動きを目で追うことしか出来なかった。
エドワードの右膝がベッドに乗りあがる。ベッドが軋み音を上げて鳴いた。ふわりとシャンプーの香しい匂いがアルフォンスの鼻を掠める。
「エッ、ちょっと……」
エドワードはアルフォンスの首に両腕を回してベッドへと倒れこんだ。
突然のことにアルフォンスは戸惑いを隠せない。それでも彼の身体に触れることは出来ないことだけは熟知していた。その両腕は空虚に彷徨っていた。
本当にこの続きをするなら僕は二度と離さない。
兄さんを放せなくなる。それは許されないの?
アルフォンスの中で独占欲と人情が葛藤する。
「アルフォンス、一ヶ月だけ……ッ。俺はお前の兄貴を辞める」
くぐもった声はアルフォンスの耳にしっかりと聞こえた。エドワードの決意にアルフォンスは口唇を強く噛みしめた。
「――――…ッ」
瞑目した瞳の奥から雫が溢れてくる。
互いに引かれた線を越える。その禁忌に満ちた世界に足を踏み入れる覚悟はとうに出来ていた。
やっと彷徨った手の使い道が出来た。グッとアルフォンスは目元を拭った。
触れ合った心臓の鼓動がリズムを刻んでいる。
激しく――熱かった。
「本当に良いの。触っても良いの?」
アルフォンスが身体を反転すると、必然的にエドワードを組み敷く形になる。
仰向けになったエドワードの容貌が至近距離に映し出された。
「兄さん、触れて良いの?」
顔を突き合わせて言うと、エドワードは薄っすらと微笑んだ。返事の変わりにとアルフォンスの背に両腕を回してきた。
薄皮一枚の嬉しさがアルフォンスに込みあがってきた。
「ッ、ぅ――兄さん」
長い金髪が広がるシーツを彼は握りしめた。エドワードの顔横で突っ伏して嗚咽を上げた。

例え期限を設けられている事とは言え――それでも良かった。
例え心が僕に向いてなかったとしても――それでも良かった。
兄さんに触れることが出来るなら。熱を感じることが出来るならば……。

「兄さんッ――」
熱を込めて耳朶をそっと吸い上げてみた。
「あ、はぁ……」
短い声を上げて圧し掛かるアルフォンスの下で身体が跳ね上がった。アルフォンスの長く形の良い指が華奢な喉元を緩く掴むと、少しばかり息を詰まらせてエドワードは仰け反った。ねっとりと熱い舌で首筋を舐め上げると、呼気が熱っぽく乱れていた。
「兄さん――」
何度も兄の存在を確認したくて名前を呼んだ。『兄さん』ではないと、アルフォンスの想いは成就しないのだ。他人を抱いても意味を成さない。
辛うじて身体を覆っているシャツに震える指でゆっくりとエドワードの腕を引き抜いていく。
抵抗はない。けれどもエドワードの身体は悲しいほどに強張っていた。
稲妻が電球の代わり。蒼白く浮かぶ上半身にアルフォンスは心を奪われる。長く伸ばされた金髪は扇情的に肢体を所々隠していた。エドワードの表情も勿論、奥ゆかしく金髪の影になっていた。唯、濡れた薄い口唇だけは鮮明にアルフォンスの眼前に映し出されていた。
それが――また堪らない。
その口唇が艶かしく、蠢く。
アルフォンスの口唇によって右肩の傷跡がしっかりと残っている皮膚を舐めとられた。薄い皮膚で形成されている部分はとても敏感なのだ。
「ぁ ぁ あ、んッ…」
しどけなくエドワードはアルフォンスの短い金髪に指を挿し込んだ。
だからといって辞めようはずもなく。アルフォンスの長い指は弾む胸に手を当てる。
エドワードの総てと、自分を形成した場所。
激しく弾んでいた。その部分で突起している乳首を口唇で含むと、慌しく身体は跳ね上がって一際心拍数は乱れた。
「逃げないんだね…」
うっとりと陶酔した声音をエドワードの耳元で吐いた。
アルフォンスの手は下半身を弄り始めた。互いの下半身は密着していた。心臓の鼓動のようにドクドクとうねりを上げていた。
するりと手は器用にエドワードの両脚からズボンをゆっくりと引き抜いた。一体、こんな技どこで覚えたのやら。以前は強姦同様の粗暴ぶりで、相手を気遣う余裕などなかった。
人は望まれる行為には、此処まで優しくなれる。
そして――早く一つに戻りたくて堪らない。そんな想いがアルフォンスを突き動かしていた。
「兄さんッ…」
生地一枚で隔たれていた場所を開放すれば、互いの雄は張り詰めていた。重なり合い隆起した男根をアルフォンスの手の平は優しく掴んで揉み解していく。
「ゃ、ぁッ――」
悲鳴に近い声音が上がった。
恥辱に耐える容貌を隠してエドワードの片腕は顔を覆った。
それでもゆっくりと不規則に擦り上げると、二人の濡れた吐息が静まり返った部屋中に上がる。どちらが流したともわからない熱い滴りがアルフォンスの手の平で受け取られる。右の膝裏を持ち上げられ、優しく腿を淫猥に撫でられた。誘われるように尻の窪みを探るアルフォンスの指の動きに、エドワードは背筋を震わせ耐え切れず声を上げた。
「ぃ、痛ッ ぁ ぁぅ…」
痛みの他に甘いうねりを感じて泣きたくなる。
何故――。
何を嘆く必要があるのか。
心も身体も凍らせたはずなのに……。
羞恥心を一度感じてしまうと、屈強に取り繕っていた硝子の心はバラバラに破壊されていく。それをアルフォンスに気づかれないようにと、奥歯を噛みしめて両腕で顔を覆っていた。
それなのに――気づかれてしまう。
柔な精神力に身体を戦慄かせてしまう。
「兄さん、ごめん。痛かった?」
ねっとりと熱い吐息を弾ませてアルフォンスは顔を上げた。恍惚に悶えるエドワードの表情を瞳に焼き付けたかった。頑なに顔を隠し続ける両腕を解くと。
アルフォンスは崖っぷちに背を向けている感覚に陥った。
「兄さん? エッ、なんで泣いてるの?」
しとどに濡れているシーツ。
嵐の前触れを思わせるように寝室は静寂に包まれていた。
だが、突如として雷閃が寝室を照らし、エドワードの容貌を明らかにした。アルフォンスから顔を背け、大粒の涙をぽろぽろと溢していた。
一体、いつの時期から泣いていたのだろう。赤く腫らした目蓋が容易に教えてくれた。
「僕が兄さんの好きなあの人じゃないから?」
反論のしようがなかった。
「ど、どしてぇー。そんなに嫌だったら、最初からしなかったら良いじゃないか!」
熱かった身体は急激に熱を失っていく。それでも本能的に身体は求めようとしている。
矛盾する心と身体。
エドワードはのろりと気だるい身体を起こし、不安定な身体を両腕でシーツを掴んで支えた。幼い子供のように未練がましく泪を溢している。それなのに彼の瞳には挑発的にアルフォンスを睨んでいた。その扇情的な肢体を隠すことを忘れて。
「――ッ…アル、お前の兄貴は此処にはいない。お前の目の前にいるのは情に溺れてしまった馬鹿野郎だよ」
「泣くぐらいならするなよ。いい加減にしてくれよ。近づいたと、想ったらすぐに放れていく。そんなッ――ひどすぎるよ」
アルフォンスの慟哭はいつも聴こえていた。それに応えてやれなかった。
本当は――その想いが……怖かった。
アルフォンスは小さな幼子のように背中を丸め、シーツに染みを作っていた。
小さな小さな弟。
こんな彼ならばいつも抱きしめてやれるのに。
エドワードは幼子を優しく包み込んだ。
「本当は身体も心も凍らせてしまえればと、想ったのに。なのにぃ――怖いんだよ」
エドワードの心を覗いてしまった。
突然どうしてエドワードが実弟に身体を許そうとしたのか、わからなかった。けれども慟哭にも似たエドワードの叫びが心の奥に秘めたものをほんの少し暴露させた。
アルフォンスは泣き崩れる実兄を抱きしめ返した。
やっぱり止まらない。止められない。
心を閉ざした『兄さん』には意味がない。
他人を抱いてもそれは単なる性欲処理の人形同然。
『兄さん』じゃないと、ダメなんだ。
僕を創ってくれた人じゃないと、心の穴は埋められない。
「ごめん。ごめんね。兄さん、苦しませて、ごめんッ」
唇が触れる距離でアルフォンスは囁いた。
それから哀れに泪を流し続けるエドワードの金髪に指を挿し込み、濡れた顔を上げさせると、硬く結んだ口唇を荒々しく奪った。
かぶり付くように唇を襲った。強引に舌を挿し込み、激しく蹂躙した。敏感になり過ぎた口腔は新鮮な空気を求めるように悶えた。
二つの身体は交互に重なり合いながらベッドで乱れていた。
「ぁ、ッ…はぁ、兄さん、もう引き返せない――」
「ぁ はぁッ、んぅ――」
返事を待とうとは想わなかった。待っても意味がない。既に列車は発進していた。
窪みへと指を挿し込み、ぬめりを借りて拡げた粘膜は熱かった。詰まった悲鳴が上がるが、容赦なく、脈打つ男根を扱いた。
仰け反る首筋に噛み付くような接吻を残していく。
前夜との違いは強姦ではなく和姦。それでも――やっていることは鬼畜同然の行為。
わかっていてもアルフォンスを受け止めるには、こうするしかなかった。
「息、吐いて。エド…」
快感と痴態に意識を彼方に飛ばしている兄に名前で呼んだ。
自分達の行為を正当化したい訳ではない。それでも兄に少しだけでも救済を与えたかった。
呟きと共に、震える内腿へと硬く隆起した性器を触れさせた瞬間。
虚ろなエドワードの唇が形を作った。声を上げることはない。
それでもその唇が何を伝えたかったのかアルフォンスには容易にわかった。『――ご、ごめんな。大佐』と、口唇は動いた。
抱え上げられた右の膝は胸につくほど、深く折られた。アルフォンスの熱っぽい吐息が耳元で吐かれる。ずくりと強い衝撃がエドワードを正気に戻す。
泪を止める術は知らない。流し続ける雫はシーツに吸い込まれ、染みを残してく。
身体も心も凍らせれば、やり過ごせる。そんな安易なものではなかった。
自分は己が泪を止めることも出来ないのだから……。
何が正しい、何て既にわからない。
こんな情事許されるわけがないと、何度も自分を罰した。けれどもその度に悪魔の囁きが聴こえる。
誰に許しを請う必要があるのかと。
そして俺は絶句していた。
アルフォンスがにっこりと笑って囁く表情に頷くしかなった。
「……ァ、ヤッ……」
「エド、僕に全部くれるんでしょ」
耳朶を甘く、噛まれて身悶える。
ぐっと力がこもった指がエドワードの秘部を抉じ開けていく。濡れたアルフォンスの先端が蹂躙に食い込んだ。
「……ぁっ 痛ッ…」
恐ろしい圧迫感を伴って熱い塊は奥へ奥へと進んでいた。
身を裂かれる苦しみから逃れようと、ずり上がるエドワードを必死にアルフォンスは抱きしめた。
「力、抜いて…にぃ、エドォ…。お願いだから逃げないで…」
逃げられるはずはなかった。
身体は熱い塊によって串刺しにされていた。直腸を捩られ、引き裂かれる感覚に呼吸が止まるほどの悲鳴が押し上がっていた。
全身の血液が沸騰する感覚に襲われる。
沸点まで到達したら別の遺伝子を螺旋状に配列して――血液も別物に生まれ変われると良い。
そうしたら――こんなに苦しくないのに……。
アルフォンスが力強く腰を突き上げられるたびに失墜感を味わう。
そして――張り裂けそうな声を上げて泣いた。そんな身体をアルフォンスはしっかりと胸に抱き留めていた。
身悶えるエドワードの湿った首筋に口唇を埋めた。アルフォンスも長い煩悶と快楽に終止符を打つべく、狭い直腸を激しく擦り上げる。アルフォンスを咥え込んだ粘膜がきゅっと萎縮するのがわかった。互いの腹で擦れあったエドワードの男根は白濁の涙を流していた。
僅かでもエドワードの身体が快楽を感じてくれるのが正直アルフォンスは嬉しかった。
そう想うだけで、足の爪先から脳髄まで耐え難い痺れを感じさせてくれる。強い締め付けに逆らうことなく、身体を痙攣させて吐精した。
エドワードは熱い飛沫を身体の奥に感じながらビクビクッと身体を震わせ、そして心は血の涙を流していた。
ゆっくりと崩れるようにエドワードが意識を失いかけていると、月光がエドワードの瞳に差し込んで来た。
あの男の軍服色と同色で――月は蒼かった。









桜 美由紀 2008 6/7