不変の真理 ~Unchanging Truths~ 第十幕
嵐は過ぎ去った。
すっきりと澄み切った夜空に薄く光沢を放つ月光が顔を出していた。
蒼白い光に照り出されたエドワードの肢体。長い金髪を扇のように広げて眠っていた。その頬には泪の痕がしっかりと残っていた。
そんな切なそうな横顔を眺めながらアルフォンスはまんじりと時間を過ごしていた。
このまま、夜が明けなければ良い。
恐らく――朝、目覚めればこの人は居なくなるだろう。
跡形もなく居なくなるだろう。
だから眠るのが怖かった。
魂が宿るだけの鉄鎧姿の時とは正反対だ。
あの時は眠りたくても眠れない。夜が怖かった。
でも――今は眠りたくない。朝が怖い。
僕の身体が鎧のままだったら、こんな想いに駆られなくても良かったのだろうか。
でも――それでは兄さんの身体に触れることは叶わなかっただろう。
――今更だ。
総ては――後悔しても遅い。
唯一つ云えるのは、時間は限られている。その残された時間、僕の一生の中で一番幸福な時にしたい。一生涯の人生を賭けて兄を愛したい。
でも――それでこの想いは終わるんだろうか。否、永遠に終わらないと、わかっている。
だけどもうこうするしかない。
壊れそうな兄の為、そして……我が身のためにもこれが最善の手段なんだと、言い聞かせて。
小鳥の囀りが忌々しい。
アルフォンスは瞼の奥に光を感じ、恨めしそうに腕をかざした。あれだけ――眠るのを恐れていたのに。
不運は重なるものだ。極度の緊張に耐え切れなかった身体は睡眠を欲しがった。この時ほど生身の身体を恨めしく思ったことはなかった。
アルフォンスは意識を失っていた。と、言うより眠ってしまった。眠りが醒めると同時に嫌な汗が首筋辺りにべったり張り付いていた。
徐々に回復してくる手足の感覚に戸惑いながら、あるはずのない箇所に神経を集中させた。
さらりと絹糸のような金髪は存在しないはずと。
けれども動きが鈍った指に絡み付いてくる物はなんだろう。
己の肌の温かさだけと思っていた場所には、ぬくもりがあって――。
驚いた。
恐々と重い瞼を押し開けてみると、金色に輝く人がいた。
「に、にぃさん?」
寝起きの嗄れた声が高く上がった。己の声音に驚き、慌てて窄める。
想い人はアルフォンスの脇下で金色の髪を惜しげもなく広げ、その髪とは相反して小さく身体を丸めて眠っている。
触れ合った箇所に急激に熱を感じ、仰け反るように身体を離してしまった。
だが、少しずつ自分の置かれた状況がわかってきた。ごくりとアルフォンスの喉仏が嚥下した。
そして――決意を胸に秘めて。
これまで以上に愛情を込めて兄であった人を抱きしめた。
真綿に包み込むように優しく。そして、狂おしく大切に――。
自分の為に世の理を曲げてしまった彼。寝顔とは似つかわしくないほど心は乱れているだろう。
「んぅ…ッ――」
小さな小さな呻き声にも似た声がアルフォンスの抱き留められた胸に向かって吐かれた。
ドキッと心臓が跳ね上がった。
何と言って顔を合わせたら良いのだろう。
走り出したのはアルフォンスなのにいつもこうしてエドワードに出し抜かれてしまう。
その結果いつも傷つくのはエドワードの心。
だから――今度は……僕の番だ。
決意を秘めて。
『僕の兄さんはいなくなった――』
* * *
エドワードの目覚めを促すように行動を起こしたのはアルフォンス自身だった。
惜しげもなく瑞々しい裸体をさらした彼は肩肘を突いて、光に透けているエドワードの金髪を梳いてみた。
その面構えは凛々しく情事後の女がうっとりとしてしまう。
「エド」
呟くように耳元で囁けば、身体を縮み上げる。まるで小動物みたいである。
その仕草に彼は喉を鳴らして笑った。
「ほらッ、起きなよ」
朝陽を浴びて白光した薄い肩に触れて、そのまま肌触りを味わうように手の甲は背中を滑った。滑らかな肌は吸い付くようにアルフォンスの手に感触を伝える。
疲弊していた身体はやっと眠りから覚める。
重たい金色の睫毛を押し上げて、眩しそうに片目を瞑っていた。それでも漸く開いた瞳は濡れた金色。見下ろしている双眸と同色。
双眸を開いた瞬間、エドワードは世を儚むように顔色を変えた。
それは一瞬のことで直ぐに彼は自嘲気味に微笑んだ。
「ぉ、はよ…ッ、アルフォンス」
普段は『アル』と、軽快に呼んでいた。その彼が総称でアルフォンスの名を呼んだ。他人扱いをされていて、アルフォンスは少し顔を歪めた。
仕方がない――エドワードの心には錠がかかったのだから。
「うん、すっごく良く眠っていたね」
僅かな躊躇を彼に悟られないように、金色に輝く髪を梳き上げてそれに口付ける。するとエドワードは強く双眸を瞑った。
それでもアルフォンス続けた。
上目遣いにエドワードを見つめると、今度は羞恥心を露にした表情とぶつかる。
「可愛いね」
アルフォンスは萎縮してしまった彼の身体を無邪気に抱きしめて、耳元にねっとりと囁いた。
「ねぇ~、一緒にお風呂入ろうか」
押さえ込まれていた胸から這い出したエドワードは勢いよく顔を上げた。
「チョッ、おまえ!? 何ッ、言ってんだよ。こんな朝っぱらから」
踠きながらアルフォンスから逃げ出そうとした。そんな彼を弄ぶようにアルフォンスは微笑んで、昨夜沢山の想いを解き放った箇所を長い指で弄り始めた。
何度も擦られた箇所は熱っぽく濡れていた。すんなりと、指を飲み込んで内壁が吸い付いてくる。
「 ぁ ぁ ぁッ…やめろッて」
脊髄を昇る快感に身をくねらせる。睫毛には薄っすらと泪の雫で濡れて。
心も身体も弄るような態度をとるアルフォンスを拒むことは出来ない。それがわかっているのに身体と心は良心の狭間で入り乱れる。
「――ごめんね。時間がないんだよ。大切にしたいんだよ…」
その一瞬だけアルフォンスは弟に戻っていた。
じわりと、熱いものが胸の中で弾けて急速に凍結していく。
覚悟は出来ているか。
よくあの男が二人に言っていた。その度に二人で絆を深めてこの身体を手に入れた。
そして――この顛末。
抱き留められた胸の中でエドワードは苦笑した。
身体だけが熱を孕んで、アルフォンスの手練に身体が淫らに反応する。
それでもどこか心は冷たく冷めていた。世の理を破った罰を受けるのだと、天からのお告げを言い渡されたような。
こくりとエドワードが静かに頷くと緩和した彼の身体をアルフォンスはシーツごと包み込んで雄々しく浴室へと連れ込んだ。
東の空から顔を出した朝陽に嘲られる。
抱えられたエドワードは視線だけを日輪に向けた。ぽろりと感情が読み取れない顔から溢れた雫は心の泪だった。
けれども――こうして一日が始まった。
寝室の壁に貼っているカレンダーに×という印が今日から刻まれた。
桜 美由紀 2008 6/22