雨  rain after



















その晩、エドワードは熱を出した。



降り注ぐ雨はまだ、続いていた。
その雨を窓辺で見ながらロイは、後悔の思いに駆られていた。先程の愚かな行為を…。
それも自分が大切にしているあの子に大人気ない行為を犯してしまった。
あの子を傷つけてしまった。理由は本当にたわいのない事で。

無性に腹のたつ会議の後のこと。
理解できても納得のいかない、燻り続ける思いが自分を不甲斐ないものと感じて
しまったから。
目指すものは、そこにあるのに手に届かない。この雨空と一緒に心は晴れる事がない。
その行き場のない感情が、彼を傷つけた。私の愛しいエドワードを。
決して犯してはならない事なのに、わかっていたのに。
そして、この結末である。


だけど、今ならまだ間に合う。
間に合うとわかっているのならば、正していかなければ。すれ違った思いでも必ず
わかりあえる時が来るからと。
ロイは就業時間後すぐに中央司令部を飛び出した。
そんな彼の姿に司令部の部下達は慌てるのだが。彼は、そんな事お構いなしに走った。


軍法会議から戻ってきた上司の機嫌の悪さに、絶対に本日はみんな残業だろうと思っていた。
だが、「鋼の錬金術師 エドワード・エルリック」と執務室に消えてしまった後から、何やら
様子が変わった。只1人、執務室から戻ったときにはすでに別人のようだった。
彼の表情には失望感はなく。何かを成さねばならない、という思いに堰きたてられている。
そんな上司の様子を我、関せず、と職務を遂行していたホークアイがロイに書類を
渡しにやって来る。
しかし、無表情の彼女はそっと書類と一緒に「メモ」を添えて渡す。そこにいた、みんなに
気付かれないように用件のみのメモ。
彼女の表情は、変わる事はない。
メモには。
「住所とホテル名」が書かれていた。
ホークアイの行動にロイは思わず冷静さを失ってしまう。まさか、部下の1人にまでこの状態を
気付かれたとは。あの執務室で自分とエドワードの間に、何が行われていたかは、彼女が
問うはずもなく。
ロイは、彼女からのそっけない行動に不覚であったが、感謝して。


「すまない…」


と、落ち着きを取り戻して言葉を彼女に返す。だが、彼女はその言葉に何の反応も返す事なく
黙々と自分の仕事を始めていく。できた女である。
そんな彼女に苦笑いを浮かべながら、ロイは与えられた仕事を黙々と済ませていく。
そして早く、早くと、気を焦らせる。
あの子に会わなければという思いを走らせていく。




そして、雨に濡れるのも構わずロイは走った。
あの子の元へ雨と一緒に、今泣いているエドワードの元へ。
メモに書かれているホテルに着くと、運良くアルフォンスと会うことができた。予知されていた
事なのだろうか、これは。


「大佐…?どうしたのですか」
「エドは、
―― いるか」


会った早々、余りに切羽詰った表情で問い出すロイにアルフォンスは、少々慌ててしまう。
兄と何かあったのだろうと、今の兄の状態とこの大佐の行動は関係しているのだろう、と思いは
したが、彼に対して良い感情は湧かない。
今の兄の状態を知っているから。アルフォンスは暫く考え、静かに話す。


「兄さん、今寝込んでいますよ。大佐…」


アルフォンスの言葉が重く圧し掛かる。自分が犯した事とはいえ、酷いことをしてしまったと
後悔の嵐が吹き荒れる。


「状態は…」


わかっていた。身体が熱かった。そして、雨が降っていた事で彼の心理状態が危ういことも。
何もかも、手に取るようにわかっていた。なのに、自分は…。
真剣にアルフォンスに聞き返してくるロイの熱い思いが、彼にもヒシヒシと伝わってくる。
そんな彼に、兄の事を委ねることにする。何が、この2人の間であったのか彼は聞かずに。


「熱、結構高いみたいですよ。僕は…、わからないから」


アルフォンスの言葉は重い。「僕には、わからない」この言葉には、自責の念が感じられる。
わかりたくても…、わからない。
わかっているのに、わかってやれなかった。深い言葉がロイの胸に突き刺さる。


―― すまない」


ロイが謝る言葉でまた、2人の間に何が起きたのか考えてしまうのだが。
アルフォンスは、兄さんもこの雨で相当参っているみたいだけど大佐も酷いみたいだ、と
冷静に思う。だがら、尚更この男に兄の事を逆に任せても良いだろうと思う。


「僕には、わかってやれないけど。大佐にならわかるでしょ。傷の痛みも心の痛みも、
貴方になら」
「アルフォンス、君は…」


彼の言葉に、はっとするように表情のつかめない鋼鎧の顔を見て思う。
エドワード、君の弟はよく出来た人間だね、私よりも君の事を理解しているようだ、そして
私の事も情けないな、とロイは思いアルフォンスに感謝すらしてしまう。


「雨の日は僕達、できるだけ部屋を2つ取るようにしています。すみませんが、今日
兄さんのことを看て貰えませんか」
「ありがとう。アルフォンス、気を使ってもらって、すまない…」
「いえ、僕じゃ今日は駄目みたいだから…」


少し残念そうに、ロイにエドワードのことを頼んで別室へと彼は行ってしまった。
アルフォンスは何も聞かなかった。後はこの2人の問題なのだからと。


部屋に入ると、荒い息で呼吸するエドワードがベッドにいた。
私が傷つけた大切な子が眠っている。ギュッとシーツを握り締め熱に耐える姿は酷く
痛々しかった。そっとロイは彼の枕元に近づき、そして眠っているエドワードの額に
優しく手をのせ熱を確かめる。
高いな…と、それから少し腫れている頬を撫でる。私が傷つけた、わかっていたのにと。
彼の事も、自分の事も。それなのに人間の感情をコントロールするのは難しい。
これは、雨のせい…。
身体を触れられる感覚に、びっくりして目を覚ましたエドワードは目の前にいる男にすぐに
拒否反応を示す。
怯えるのではない、心の拒絶。


「何だよ!さわんな
―― !」

おもいっきり手を払いのけられてしまった。普通、そうだろうと思いロイは、彼から少し
距離をとりながら。伝えたい言葉を彼に告げる。


「君に謝りにきた…」
今更、遅いよ!」


荒い息で言葉を紡ぐエドワードの体調は酷く悪いようだ。そう、まだ雨は降り続いているから。
雨音も激しく、この部屋に響いている。この雨が更に彼の精神をも狂わせているのだろう。


「遅くはない、と思ったから。こうしてやってきた。エド、すまなかった。君を傷つけた」
「わかってる?だったらー、最初からヤルなよ
―― !」


雨の所為だ。
エドワードの感情が噴出するように吐き出される。いつも誰にも、言わなかった心の言葉。
言えなかった心の言葉。貯めていた言葉。
その全てがこの男に向かって吐き出されてしまう。感情と共に、もう雨と一緒に流れ堕ちて
しまったはずの涙があとから、あとから流れ始める。


「オレにだって、理解できても納得のいかない事だってある!」
――― …」
「オレに進むべき道を標したアンタが、そんな顔しないでくれよー」

そう吐き出した言葉にロイはこの子もまた、同じ苦悩を抱える1人だということを再認識する。
なのに、私は…。目指すものはそこにあるのに焦るあまりに怒りを露にして、自分でも
抑えきれない感情を一番、大切に愛してる存在にあたってしまった。
なんと、無様な事をやってしまったのだろうと後悔ばかりが脳を駆け巡っていく。全ての事を
わかりあえている彼に言われ私は、不甲斐なさを感じてしまう。だが、これで自分自身にとって
解決の糸口をエドワードによって導かれる。
彼によって救われる。そして、ロイの中で雨がやむ。


「エド…」
「ひっく、くっ。ゼェ、オレだって…」


エドワードはベッドの上で膝を抱え泣いている。泣き顔を見せたくないように彼は、小さく
丸くなっている。1人、涙を流し嗚咽を繰り返すエドワードをロイはベッドに身を乗り上げ
彼を抱き寄せる。
その泣いている、いや泣かせてしまった顔をロイは胸に抱きとめる。小さな身体で震える彼を
優しく包み込んで黄金の輝く美しい髪を撫でる。
胸に大切に抱きとめた少年の口から、掠れるように言葉が零れる。


「お願い、オレを許して…」


と、この言葉に私の胸は、潰されそうになる。只でさえ傷ついている彼を自分の煮え切れない
思いで更に、傷つけてしまった。
せめて彼の気持ちを今だけでも、穏やかなものに戻したいと思ったから。
ロイは彼が、無意識に零した言葉にそっと返す。


「大丈夫、許されるよ。君は…。私が許すから」
―― う、うん…」


ロイの言葉が耳に届いたのだろうエドワードの嗚咽は激しくなる。彼の言葉で自分の罪が本当に
許されることなどない事は、十分にわかっている。
それでも、今のエドワードには許される事はなくても誰かにその言葉を言って欲しかったのかも
知れない。
それだけでも、少しは救われると思えたから。こんな雨の日には。
エドワードの腕はいつの間にかロイの背にしっかり回されていた。もう離さないでくれと
腕が語るように。
その力強さにロイは含み笑いを浮かべ、良かった間に合ったと胸を撫で下ろす。
私は過ちを繰り返す寸前だった。繰り返してはいけない過ちを。


「エド、痛かったろう。本当にすまなかった」
「痛かった!」


ロイは彼の少し腫れた頬をそっと優しく手で撫でる。まだ、ロイの胸から出ることが
出来ずにいるエドワードは、彼に身体を委ねるしかなく。
だが、泣ける場所を得ることができたエドワードは少しばかり、心に余裕ができる。
ほんの少しだが、それでも彼にとって救いだったから。自分の欲していた唯一の言葉を
渡してくれた人がいたから。


「痛かったから〜。だから、今日はここにいろよ…」


いつも虚勢をはる彼の言葉にロイは、驚いてしまう。そんな彼に穏やかに笑みを浮かべて。


「そのつもりで来たのだが。責任もって君の傍にいるよ」


ロイから優しく帰ってきた言葉に安心するようにエドワードの肩からふっと力が抜けるのが
わかる。
感情を吐き出し、そして、泣いて。
彼は、ぐったりとロイの胸に納まっている。そんな彼からくぐもった声が聞こえる。


「疲れた
――
「少し、眠りなさいエドワード。大丈夫、傍にいるから。このまま」


熱のある身体で体力、気力とも使い果たしてしまっていたから。ロイの言葉が身に沁みていく。
この雨音を感じさせないように、誰か傍にいて欲しかったから。
素直に身体の力を抜く、あの時は非道な人間だと思っていたけれども今は違うから。
本当は、わかっていたからロイの事は。こうして、自分の所へやってきたから許そうと。

ロイは名残惜しいが、エドワードの身体をそっとベッドに横たえさせる。すると、エドワードの
潤んだ黄金の瞳がロイの方に向けられる。
彼の瞳が縋るようにロイを見つる。何かを伝えたそうに訴えている。そして、彼の唇が
開き独り言のように語られる。


「わかってんだ。絶対に忘れちゃ駄目だって事ぐらい…」
「エド…?」
「だけどね、ちょっとだけでいいから。楽に、なりたい…」
「わかっているよ。休みなさい、時には飛ぶ事を忘れる事も良いと思うが。私は」
――― 、ちょっとだけ、やすま、せて…」


小さな声で、そう言ったあと疲れきったエドワードは黄金色の瞳を静かに閉じていく。
彼の寝息が規則正しくこの部屋に聞こえ出す。彼の眠り、それは彼にとって短い休憩なのだが。
ロイはエドワードの左手を優しく包み込み、熱をもつ額にそっと口付ける。


「おやすみ、エド。君が目覚める時には、もう雨はやんでいるよ」


ロイの心の雨は、既にやんでいた。だが、エドワードの雨は、まだ…。
たが、彼がその言葉を眠っているエドワードに語りかけている間に、ふと窓を見てみると。
まだ、降り続くと思っていた雨が。


雨が、やんでいた。


雨空の影から、光が差し込んでいる。
月の光が彼らを照らしている。優しい光が、彼らを包み込む。


降り注ぐ雨は、必ずやむ。
そして、明日へと続く。



















rain after end

「雨 rain」の救済編?少しは、回復したでしょうか。
暗く落ち込むばかりでは、前に進めないから。
でも、思うことを吐き出さねばならない事もあるのでは、と思って。
彼らに救いを。
雨は、必ずやむから。


桜 美由紀 2005/10/15 改新版。







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