ロイ・マスタングの恋。
前編
今から約四年前。その当時、ロイ・マスタング中佐。
彼が補佐官のホークアイを伴って、リゼンブールの片田舎に国家錬金術師をスカウトしにやって来た。
運良く否、運が悪かったかもしれない。見つけた少年が後の「鋼の錬金術師」となる。
書類上の不備でこんな年端もいかない少年を「軍の戌」「人間兵器」にしてしまう。それに躊躇を感じたが、この兄弟にはこの「銀時計」が必要だろうとロイは判断した。
ロイは彼の弟である鋼鎧姿のアルフォンス・エルリックに紹介状と自分の名刺を渡した。
この子達は魔窟の巣に必ずやってくるだろう。
そうロイは朧な琥珀色の瞳に焔の点いた瞬間を見たのだ。そして、この時から彼はこの瞳に囚われることになったのだ。そんなこと夢にも思わなかった。
まさかこれが恋へ発展するとは
――
この時、ロイ達が持っていた書類には「エドワード・エルリック 31歳 雄」と書かれていた。年齢不備についてはリゼンブールの憲兵に訂正されたが、まさか……もう一箇所あるとは、これまた気付かなかった。
気付かぬまま、ロイとリザは本拠地であるイーストシティに帰って行った。
そうして彼ら兄弟はそれから一年後にイーストシティにやって来た。
司令室のデスクから外を眺めながらロイは満悦な笑みで立ち上がった。
「やはり、来たね。ホークアイ中尉、錬金術師に迎えを出したまえ!」
「大佐、本気で彼らを連れて行かれるのですか?」
「むろんだよ!」
そう命令すると颯爽と彼らの元へロイは迎えに行ったのだ。その後姿にリザはため息を吐いた。この魔窟に招待するには彼らは幼かった。それに一人は最近12歳になったばかりの少女なのだ。彼女の気が滅入るのも仕方がない。この事を上官は理解しているのだろうか。彼女は頭を捻りながら後を追って行った。
勿論、彼の見解、認識は「雄」となっていた。まだ、書類の不備に気付いていない。そんな無能大佐であった。
「よう、中佐。来たぜぇ」
悪態をつく姿は始めて見た。そして、始めて彼の声を聴いた。こんなに胸が騒ぐことは稀だ。この一年で彼は随分変わったようだ。右腕、左脚を機械鎧化して二本の脚でしっかり地に根を張って立っていた。その容貌もあの時に比べ、鮮麗されていた。少年にしてはとても可愛らしい顔つきだ。少女らしく見えなくもない。まあ、この年頃の子はまだまだ発育途中だ。それよりロイが一番、驚いたのはその長く伸ばされた金髪だ。この晴天の空にそれは艶やかにロイの視界に飛び込んできたのだ。
「君がもたもたしている間に大佐になってしまったよ。ん!? その髪は伸ばしているのかね。それとも願掛けかね…」
「ふん…。どっちでもいいだろう」
エドワードは三つ編に結った髪を手繰り寄せて、そっぽを向いた。
本当はたった一度の出会いで自分のことを覚えてくれたのが、嬉しかったのだ。それに微妙な変化に気づいてくれたことが尚、嬉しかったのだ。口調や身なりは男らしかったが、気持ちは女の子なのだ。
アルフォンスはしっかりその姉がほのかに頬を染めている表情を見てしまった。
この一年間、エドワードは機械鎧のリハビリに励んでいた。そんな辛いリハビリの中でもこの男のことを話す表情だけは、にこやかだった。そうにこやかに罵倒していた。たった一度しか会った事がない男にエドワードは甘い恋心を抱いていたのだ。アルフォンスはそれに気づいていたのだ。しかし、知らぬ振りをする。
どうせ、この恋は成就されない。姉の片思いで終わるだろう。それは姉もわかっているようだった。
アルフォンスが物思いに耽っている間に今後の手筈は決まったようだ。ロイが満面の笑みで魔窟へ案内する。
「では、セントラルへ連れて行こう!」


ロイの予想通りにエドワードは一躍有名人となった。それもそのはず、弱冠12歳という若さで国家錬金術師の資格試験を受けたのだ。
その上、大総統閣下の目前にて大立ち回りをしでかす始末。災い転じて吉となす。まあ、物の見事に資格試験を突破した。推挙したロイにとって誉れ高いものだった。
そして、徐々にロイは彼に惹かれていったのだ。彼の天才的頭脳と強靭な精神力。他にも…どれをとっても彼は群を抜いていた。特に錬金術の話題になると素晴らしい理論でロイの興味を惹いた。二人は時を忘れて、論議するほどだ。
ロイは良き仲間となるだろうと思っていた。
そんなロイも少し気がかりな事があった。
セントラルに連れて行く列車の中で、偶然にも彼の身体に触れたのだ。
「わぁ
――!? 何すんだよ…エロ大佐!!」
顔を真っ赤にして自分の身体を両腕で抱きしめていた。そんな彼にこちらの方が驚いた。
「君ねぇ、そんな言い方はないだろう。他の乗客の迷惑になると思って、君の身体をどけたのだよ…」
「ふん! あ、そう。なら別に…」
そう虚勢を張っていたが、明らかにエドワードは動揺していた。
そんな些細なことだった。が、その時ロイも不思議に思ったのだ。触れた身体の感触がどうも違った。それにあの彼の驚き方は一体何なのだ。普通、男同士僅かに身体が触れたぐらいであんなに取り乱すのだろうか。あの子は男の子なのにと思っていた。
本人も気づいていないが、ロイがこうも悩んでいること事態おかしいのだ。
その時はこれ以上自分の感情を深追いするのは、止めていたのだ。考えても仕方のないことだった。相手は少年。それも年端もいかない子供なのだ。


イーストシティの軍司令部でロイ・マスタング大佐は戦慄いていた。その隣には補佐官のホークアイ中尉が両手で己の耳を塞いでいた。
「これは、一体どういうことだぁ!!」
天地が引っ繰り返るほどの怒涛の声が司令室内に吹き荒れた。その声の発信者であるロイの手には拝命証がプルプルと握られていた。
その内容は…。
大総統キング・ブラッドレイの名に於いて汝。
エドワード・エルリック 12歳 女性。
上記の者に銘「鋼」を授ける。
と、書かれていた。何の変哲もない拝命証だ。しかし、ロイはある二文字に釘付けになってしまった。それは「女性」という二文字だ。
ロイは手で顔を覆って天井を見上げていた。そして、ぽつりと一言漏れた。
「しまった…」
そう云わざるおえなかった。少年ならまだしも少女となると全ての話が変わってしまう。これからの事を考えるとこの子の人生に可哀想なことをしたと思ってしまった。
もし、一年前リゼンブールで「国家錬金術師」になるように勧誘しなれば、あの子の右腕、左脚は機械鎧にすることはなかっただろう。あんな大の大人でも泣き叫ぶような激痛に身を委ねなくても生きる道はあった。そして、身体の傷もあれ以上、傷痕を増やさなくて良かったのではと思った。
ロイは憂苦してしまった。暫く、黙ったまま天井を見上げていた彼を見て、リザは深いため息を吐いた。
「大佐、ご存知ではなかったのですか?」
半ば呆れた物言いだった。ロイは情けない顔で彼女に視線を向けた。彼女の言い方に少なからず疑問に思ったからだ。
「君は知っていたのかね!」
まるで、知っていた彼女を責めるような勢いだ。それに対して更にリザは呆れた。
「はい。最初からわかっていましたけど…」
「はあ
――!? 何故、言わないのだよ。君は…」
「普通わかりますよ。わからない。大佐が異常です。それにアルフォンス君は一言も兄が何て言いませんでしたよ」
ロイの頭が走馬灯のように駆け巡り出した。
そうだ。確かにあの弟は一度も兄とは呼んでいなかった。彼女のことを何と呼んでいたのだろうか。それさえ、記憶が定かではない。気にも止めていなかった。それより女誑しで有名、尚且つ女性の扱いは超一流の自分がエドワードを女性だと気づかなかったのが、ショックで堪らなかった。完璧にノーマークだった。
それとは別の感情も胸の中でとぐろを巻いていた。その感情に彼はまだ気づいていない。気づくのはこれより随分先、三年後になる。
「どうしようか。ホークアイ中尉…」
惨めに撃沈したロイがデスクに顎だけ乗せて、これからの対処方法を訊いてきた。それには、流石に寛容な彼女もプチッと切れた。
「それはあなたが決めてください! しっかり責任を取って下さいね。彼女の将来が関わっているのですからね。もう、だから私は反対したんですよ!」
確かにあのリゼンブールからの帰途、彼女は何度も自分に確認していた。本当に「国家錬金術師」に誘うのかと。その度に晴れやかな笑顔で「うん、うん」と頭を下げていたアホな自分を思い出した。
ああ、今考えても仕方がない。
ロイの首は項垂れていた。それに加えて、ポカンと口を開けて彼女の説教を聴いていた。すると扉を叩く音がした。こんな時にと思いながらロイは弱々しく声を出した。
「入れ…」
入ってきたのは、噂の人物とその弟だった。ロイは自ら此処へ呼び出していた事をすっかり忘れていたのだ。それ程、この事態は彼にとって強烈なものだった。
「や、大佐! 用があるんだろう。拝命証が来たって訊いたから」
「ああ、そうだったよ…。そこに掛けなさい。それとホークアイ中尉、彼らに飲み物を…」
どうも室内に嫌な空気が澱んでいた。それを肌で感じたエドワードの眉間に皺が寄る。
「!? …何だよ。気まずかったのかよ」
「いや、そんなことはないよ」
ロイはエドワードの身体を上から下まで舐めまわすように確認した。どう見ても、彼には少年のように見えるのだ。よく言えば、ボーイッシュな少女だ。まあ、この年齢だ。色気もクソもないだろう。しかし、空笑いが出てしまう。口惜しくて堪らないのだ。
そんな彼を不思議そうな表情で見ているエドワードとアルフォンス。変な大人だなぁと見ていたに違いなかった。
「ああ、そうだ。ちょっと訊きたい事があるのだよ。何故、君の名は男性名なのかね?」
これは本当に訊きたかったのだ。これに騙されたのだから。
するとエドワードは少し顔を膨らませて話し出した。
「あのクソ親父が産まれてくる子供は男だと決め付けやがったんだよ! それで、オレが産まれてもその名残を残したいと訳わかんねぇこと抜かして。勝手に役所に提出したらしい」
隣でアルフォンスも大きな鎧頭を揺らして頷いていた。
「ホント、呆れちゃうよね。その名前の所為で性格まで男ぽくって…」
弟の発言に意を唱えたエドワードはそこで姉弟喧嘩を始めた。エドワードはこれでも女の子らしくしようと思っているらしい。それも恋心を抱く男の前で言われたのが癪に障ったのだ。コミカルな動きをする二人は面白かった。その場にいた部下達からも笑いが出ていた。
ロイは別の意味で二人を見ながら「はっはっはっ…」と笑うしかなかった。すっかりあの書類に騙されていたのだから。
空笑いが治まった頃、ロイは拝命証を手渡すために人払いをした。重要な任務だ。関係者以外の立ち入りを許されなかった。
先程までの大佐は此処にはいない。エドワードの顔つきも必定に厳しいものとなる。
「これが国家資格である銀時計。それとこれが拝命証だ。これで晴れて軍の戌だよ」
エドワードの顔が嘲るように笑った。ロイはそれに痛みを感じる。そして、此処で決意したのだ。自分が彼女を此処に誘い込んだのだ。彼女にとって酷だが、この手を使うことにした。
「へぇ……。こんな薄っぺらいのが…」
「二つ名は「鋼」だそうだ。君が背負うには重い銘だね…」
「え、これぐらいで充分さ」
ロイは真摯な瞳を彼女に向けて、残虐な言葉を告げる。エドワードに嫌われること間違いなしだ。それでも彼はそうと決心したのだ。
「君は軍の戌となった訳だが。もう一つ、重大なことを忘れている。私だよ…」
「はぁ!?」
言っている意味がわからず聞き返した。そのロイの顔つきは内容と裏腹に切なそうだった。
「私は君達の重大な秘密を握っている。これをバラされたくなければ、私の配下で大人しくすることだ! 首根を掴まれているのは君のほうだよ」
「何だと!! オレ達を脅す気か…」
エドワードが憤怒してガタリと椅子から立ち上がった。その様は今にも殴りかかる勢いだ。拳に力が込められていた。機械鎧の右腕がキリキリと音を軋ませて、憎悪の瞳で睨まれていた。
が、気づかぬ間に彼女の身体から憎悪という感情は抜け落ちていた。握り締めた拳から自然と力が抜けていた。それにロイは気付かなかった。
こうなることはわかっていた。だが、こうしてやる事で最低限の効力がエドワードに与えられる。自分の保護下に居れば、少しは守ってやれるのだ。こんな大人ばかりの世界で弱冠12歳の少女は汚い世界に首を突っ込む嵌めになる。それを阻止してやれるのはこの方法しかなかった。それに女性には厳しい軍社会だ。幼い少女は標的となる。そんな卑劣な男達の欲望から遠ざけたかった。
ロイのこんな思惑をエドワードは知らなくて良かった。だから、敢えて卑劣で残酷な言い方をしたのだ。
ロイは革張りの椅子から立ち上がり、彼女の傍に近づいた。彼女は無言で床に視線を落としていた。ロイにはその表情は見えなかったが、想像出来る。激情に駆られているのだろう。そうとわかっているのに、わざわざ見る必要はない。
だが、こうも黙られていると心配になってしまう。もしや、泣いているのかと思ってしまった。彼女の肩は小刻みに震えていたからだ。
ロイは咄嗟にエドワードの右肩に手を置いた。激昂に駆られて振り払われることになっても構わなかった。すると予想外の展開が起きたのだ。
ロイが右肩に置いた手に彼女の生身の左手が重なって、琥珀色の瞳が見上げてきた。その瞳はゆらゆらと揺れて、憂い顔である。
はっとした。デジャービュを感じてしまう。以前、感じたことがあるような…。
その琥珀色の瞳にロイは囚われてしまった。そして、彼女の生身の手は温かかった。見つめてきた表情を、黒い瞳に取り込んで茫然とした。
こうして近くで見てみると意外にも綺麗な顔立ちをしていた。成長すれば、さぞかし麗しくなるだろうとそんな兆しも持っていた。思わず、ごくりと生唾を飲み込んでしまった。彼女と15も歳が離れている成人男性が、不覚にも少女に魅了されてしまったのだ。茫然と見蕩れていると、薄い桜色の口唇がぽっかり開かれた。それさえロイの視線は追っているのだ。
「あ、ありがとう…」
「えッ…!?」
そうロイに告げると少女はするりと手を放して、執務室から出て行ってしまった。ロイの左手が空虚にゆっくりと下された。その後、彼の口から自分を嘲笑するように笑う声。
あの金色の少女はロイの粋な計らいを全て読み取ったのだ。賢い少女にロイは脱帽した。全てを云わずともそれを理解して、この魔窟にやって来たのだ。
ロイの瞳は焔が燃え盛った。少女を守ろうという意志の焔。それと別の感情が胸の奥で火種として燻り始めた。













サイト一周年記念。ロイエド(完全女体化)編。
「○○川 ○木 の恋。」から題名は拝借。でも、まったく関係なし。
ロイ・マスタングさんが恋に気づくまで…。

桜 美由紀 2006/5/3
 2006/5/31再アップ
TOP  NEXT