ロイ・マスタングの恋。
後編
それから季節は何度も色彩を変えた。あれから数年が経過していた。
ロイ・マスタング准将の保護下で彼らは旅を続けていた。無論、その間様々な軍事招集があった。その招集命令は彼らに危険が及ばないように、ロイがよく吟味したものを彼らの任務に充てていたようだ。
彼らは軍に在籍する「国家錬金術師」
だが、彼らの目的は「賢者の石」を探すこと。それを知っているロイはなるべく研究に没頭できるように考慮していたのだ。

エドワード達は、時よりイーストシティに戻って来る。ロイ達と顔を合わせて報告書を提出する。それが当たり前の生活が続いていた。
そして、帰って来た彼らを迎え入れるのが、ロイの役目である。
いつも待ち遠しそうに窓から駅の方角を眺めているロイの姿が司令室内で見受けられた。
彼の部下達もエドワード達のことを好いていた。だが、彼らの好きはロイの感情とは少し違っている。
彼の感情は日を追うごとに大きくなっていた。月日がそれを育てているようだ。
それにこの数年の間にエドワードも成長していた。口調や格好は相変わらずだが、容姿は美しく艶やかに成長していた。
そう薔薇の蕾がゆっくりと綻びて、その姿を現すようだ。
ロイはそんな少女の変化にいつも胸を騒がせていた。一人静かに果樹が熟するのを見守っているつもりなのだが、周囲の連中にそれが筒抜けのようだ。それも彼が奥底に眠らせている感情の名前も知っている。
ロイ・マスタングはエドワード・エルリックに
―――ということ。
しかし、彼はその感情に気付いていない。

ある時、エドワード達が乱闘に巻き込まれて、傷だらけで帰って来たことがあった。
そんな少女をロイは激しく叱ったものだ。特にこの時のロイは激しく憤怒して少女と口も訊かなかった。ロイはこれ以上、少女の身体に傷を増やしたくなかったのだ。自分の恋人でもないのに、やたら金色の少女が気になるのだ。
冷淡な態度を取られて少女は寂しそうに口唇を噛み締めて涙を堪えていた。ほのかな恋心を抱くエドワードには大変な仕打ちなのだ。
彼女のそんな想いは、ロイには届いていなかった。別に気付いて欲しい訳ではなかった。エドワードの胸は片思いで充分満足していた。
こうしてイーストシティに戻って来て、彼の社交辞令のような笑顔を見る。それに悪態をついて自分も笑う。そして、旅での成果や情報を彼と一緒に話し合う。それだけの関係で満足していた。
それ以上、欲を言うとアルフォンスが異議を唱えそうだ。それに、やるべき事が沢山残っているのだ。一番はアルフォンスだ。そんな合間に少しだけ大佐のことを想えるだけで良かった。そのぐらいならば、弟も許してくれるだろうと勝手に思い込んでいたのだ。
そう勝手な思い込みだ。
だが、弟は姉の恋心を知っていた。
それを許して温かく見守っていたのだ。

少女も15歳になった。女性としての色気も出てくる年齢だ。それを目当てに近づいてくる男も最近目に付くようになっていた。
ロイはそれを危惧して軍司令部内に長時間滞在させることを嫌っていたようだ。軍内には仮眠室が備わっているが、決してそこを使わせなかった。滞在する場所は必ずホテルを、ときつく二人に言っていた。
それでも、止むに止まれぬ事件は発生する。

この日は橙色の夕日が沈みかける寸前にイーストシティに辿り着いた。列車の時刻が大幅にずれ込んでしまったのだ。
「司令部に行くのもう明日にしようよ。帰りは夜中になっちゃうよ!」
「え、でも…」
エドワードが小首を傾げて不服そうな顔をしている。この次に出てくる言葉はアルフォンスには容易に想像できた。
「早く報告書提出しろって五月蝿いから、あのクソ大佐…」
そう悪態を吐くもののエドワードの顔はこの夕日の色に染まっていた。
会いたいのだろう。この地に来るのも三ヶ月ぶりなのだ。
「わかったよ。じゃあ、早く行って渡そうね…」
「ああ、わりぃーな。アル…」
二人は急ぎ足で軍司令部に行くのだった。
その頃、一人苛立っている人物がいた。ロイ・マスタング大佐である。彼らが到着する時刻は大幅に過ぎていたのだ。
うろうろと執務室のデスク周囲を歩き回っていた。
「大佐、落ち着いて下さい」
リザの声に脚を止めて険しい表情を彼女に向けた。
「何を言っているのだね。私は平常心だよ。なぁ〜に、彼らの到着が遅いからこう苛立っているのではないのだよ。君、上官に対して失礼だよ!」
何も訊いていないのに自分から全て話してしまう辺り、相当気にしているのだ。そうだろう。彼らが此処に帰ってくるのは三ヶ月ぶりなのだ。
あの少女はどう変化しているだろう。ロイでなくともそれは気になる問題だ。
今時の子は数ヶ月でグンッと大人びる。心なしか胸が騒ぐ。勿論、そう想っているのはロイも同じようだ。だが、彼の方がどうやら重症らしい。
早く自分の気持ちに気付けばいいのにとリザは以前より思っていた。それなのに、この鈍感な男は未だに、我が心に蓋を閉めたままだ。
まさか、開け方を知らないのだろうか。それも有り得ることだ。今迄、否今も散々女性達と豪遊しているのだ。本物の恋がわからないのだろう。だが、こればかりは教えられる問題ではないのだ。本能で知るのだ。
「大佐、エドワード君達は列車が遅れて、今からこちらに向かうそうです」
「何ィー!? そうだったのか。何か事件でも起こしたのかと思ったよ」
どっかりと黒革の椅子に腰を下した。しかし、今度は指が落ち着かないらしい。頬杖を突いて、デスクを指が弾くのだ。カッカッカッと……聞いている方が逆に苛立ってしまう。
それだけ、彼の心はエドワードを待ち望んでいる証拠だろう。
彼には水を注すようで申し訳ないが、リザから新たな試練が下された。
「此処でお待ち下さいと言いたい所ですが。緊急の軍法会議入りました!」
規則正しく弾いていた音がピタリと止った。ガタリと椅子から立ち上がる音。それから、無言で彼は書類の用意をし始めた。
予想外の行動に戸惑っているのはリザだ。上官は何かと難癖をつけてこの軍法会議を欠席するだろう。そう思っていたリザは愛銃の準備をしていたのだ。
それなのに上官の口から飛び出した言葉は耳を疑う内容のものだった。
「君、何をしているのだね。早く用意をしたまえ! ああ、それと鋼の、達が来たら待って貰うように必ず伝えてくれたまえ。こんな会議さっさと終わらせてしまうさ」
さっさと会議の準備をしている彼をリザは茫然と見ていた。彼女は耳の次は目を疑った。こんな上官の姿は稀だ。
彼の行動の真意を紐解けば案外簡単なものだ。エドワードに会いたいのだ。
それならば、明日に予定を変更すれば良いものを、と思ってしまう。今の彼にはそれさえ待てないのだろう。
「ホークアイ中尉、急ぎたまえ!!」
彼女を叱責する声が扉の向こうから聴こえた。優秀な副官を置いていくほどの鮮やかな行動に彼女も呆れてしまうが、その顔には含み笑いが浮かんでいた。


やはりすれ違いは発生した。
まあ、それでもこの軍司令部の中でのことだ。待っていれば、必ず会えるのだ。そう焦る必要はなかった。
「なぁ〜んだ。大佐の奴、会議中かよ。あの男がいつも小言を漏らすから急いだのに!」
そうボヤいている横でアルフォンスが小さな笑いを堪えていた。それを目聡く感じたエドワードの右腕が彼の脇腹をカツーンと小突くのであった。本心は別の所にあることをアルフォンスは知っているのだ。此処ぞとばかりに姉を冷やかして、反応を楽しんでいる。
姉の恋路を見て観察する。彼の楽しみの一つだ。まあ、成就されないとわかっているからなお楽しいのだろう。
では、もし願いが叶ったら
――!?
彼はどんな態度に出るのだろう。人間の感情は時として実に複雑なものだから。
その例として姉と、その上官のロイ・マスタング大佐は奇妙な天秤に揺られていた。
「それにしても、大将!? その格好は酷いよな…」
確かにエドワードの格好は薄汚れていた。これでは折角の綺麗な容姿も台無しだ。長くなった蜂蜜色の髪も煤くれてしまっていた。真っ白な肌も見る影もない。
煙草を吹かしながら、彼らのところにやって来たのはロイの部下ハボックだった。彼も二人の恋の行方が気になる一人である。
「じゃあ、大佐を待っている間にその汚れを落として来てはどうかしら? それにしてもどうしたの?」
余りの酷さにリザまで顔を顰めてしまう。そこへ嘲弄するようにアルフォンスが話し始めた。
「もう早く此処に来たいからって、窓の外に首出してたんですよ。そしたら、黒煙に巻き込まれちゃって…あ〜あ、おかしいったら…。そんなに会いたい人でもいたのかな?」
隣ではエドワードが顔を真っ赤にして立ち上がっていた。その屹立した風貌は、火山が噴火する寸前だ。
「アル、黙れよ!! 余計なこと喋るな!」
司令部内、笑いが溢れている。実に微笑ましい光景である。ロイの部下達の殆んどはこのエドワードの片恋を知っていた。だから、笑える話なのだ。だが、当人達はまったく周囲に気付かれているとは思っていない。だから、尚のこと面白いのだ。
それに恋していること自体、気付いていない奴がいた。純愛にはとことん弱いらしい。
笑いを堪えながらリザが、エドワードに話しかける。エドワードにはそんな表情をされるのも片腹痛いのだ。彼女の顔はぷっくり膨らんでいた。
「とにかく、シャワーを浴びてきなさい。その間に大佐の会議も終わるでしょうから…。女性用シャワー室わかるわね?」
それでも、まだご機嫌斜めの彼女にリザは片目を瞑って会話を付け足した。
「ああ、そうだわ。綺麗になった方が大佐も喜ばれるわ。大佐は女性の身嗜みには五月蝿いお方だから…」
すると花が咲いたように表情を綻ばかせた。こんな表情をされたら周囲の連中も彼女を腕に抱きしめたくなるものだ。今日は煤だらけの顔で見られたものではない。だが、此処へやってくる度に少女は可憐に成長しているのだ。
「うん、そうする。アル、おまえついて来いよ」
急に声色まで可愛らしくなった。
「はい、はい…」
エドワードの後を腰巾着のように彼は追って行く。前を歩く彼女の足取りは弾んでいた。
そんな二人の姿を見つめていた部下達はにこにこと微笑んでいる。
「ホークアイ中尉、やっぱり扱いがうまいですね。女の子の心をガッチリ掴んでますね」
「まぁね。それにしても、よほどお互い会いたかったようね」
二人の旅話の折に触れて、アルフォンスが情報を提供していくのだ。勿論、その場にエドワードがいると憤慨するので、こっそり教えてもらっていた。
「しっかし、うちの大佐は鈍感だよな。まぁ、確かに歳が離れすぎてるからな」
「あの大佐には、そのぐらいが丁度いいかもですね。今までが遊びすぎなんですよ」
部下達の首が揃って下げられた。
「たまには純愛を味わうのもいいんじゃねぇかな? それで大人のお姉ちゃん達はこっちに回して貰ってさ…!」
当人達がいないので好き勝手に言われている。それには勿論、笑い声が含まれていた。


その頃。鎧と少女は女性用シャワー室で固まっていた。
「工事中につき使用禁止!?」
「そうらしいね。どうしようか…」
普通、こんな場合は誰しも諦めるだろう。それでいいのだ。それが常識というものである。
だが、エドワードは違うのだ。
綺麗に汚れを洗い流した姿で大佐と面会したい。リザによって掛けられた魔法の呪文が彼女を支配していた。
確かに今日の身形は別の意味で酷かった。
彼女の定番である黒を基調とした服装は女性の身嗜みを気にするロイには信じ難いものだろう。それに彼女はいつもパンツしか履かない。色気の「イ」の字も見当たらない。ロイが気にしていると言われても、その格好だけは変える気はまったくないらしい。
それでも芳しいフローラルの微香を身体に纏っていたら、そんな彼でも気ぐらいは惹けるだろう。別に皮肉を言われようと構わなかった。
以前、三つ編姿を目に留めてくれた時のように、些細なことに気付いてくれるだけで良かったのだ。
「どうしてもシャワーが浴びたい!!」
「えぇ…! どういう風の吹き回しだよ。どうしようもないじゃないの。今は諦めて、ホテルに戻ってからにしたら?」
実弟の模範解答に納得がいかないエドワードは両腕を組んで悩んだ。
それから数秒経過。
突然、小悪魔のように彼女の口唇がにんやりと吊り上った。
「いいや! 男性用シャワー室という手がある」
真顔で突拍子もないことを姉は言い出したのだ。
鎧はその場で大きく転んでしまった。激しい音を立てた弟には見向きもせず、我が道を突き進む。もう彼女の足は逆方向へと進んでいた。
まさに女は度胸だ。
そこまでしてシャワーを浴びたいのだろう。アルフォンスには理解できない。
「姉さん、やめなよ! そんなことしたら大佐に怒られるよ…」
当たり前だ。
少女が男性用シャワー室を使用するなど言語道断。軍の男どもはこぞって見学に来るだろう。
「わかりっこねぇーよ。それより早くシャワー室に行くぞ!」
言い出したら梃子でも動かない姉に従うしかない。アルフォンスはガシャガシャと鎧を軋ませてその背中を追って行く。
確かに一瞬慌てたが、彼には余裕があった。
男性用シャワー室が無人であるはずがないと思ったのだ。誰かが使用していれば、如何にあの姉でも一緒にご入浴する訳はない。出来るはずがない。それぐらいの常識は持っているはずだ。
しかし、彼の思惑は物の見事に外れたのだ。
「やったぜ、アル! 誰も使ってないじゃん。よし! これで心置きなくシャワーを使えるぜ。あ、おまえシャワー室の前で見張りな」
―――!?」
アルフォンスは「男性用シャワー室」の扉の前でカチンコチンに固まった。強運の持ち主である姉にアルフォンスは脱帽したのだ。
「そうだ。アルはこれ首から掛けてろよ。そして、もし誰か入ってきても絶対に入れるなよ! わかっているよな」
どうやら、彼は看板兼見張りのようだ。
鋼鎧の首に掛けられたプレートには「只今、清掃中のため使用禁止」と書かれていた。無論、エドワードが即興で練成して作った。
「はい、わかりました。お気をつけてお入り下さい」
もう彼女を止めることはできない。彼女は満面の笑顔でシャワー室内に入って行った。その腕にはリザから借りた入浴セットがしっかり握られていた。


エドワードはシャワーのコックを捻った。ザァーザァーと水音が聴こえ出した。
このシャワー室は個別になっているが、簡易的なものだ。衝立を隔てて数個用意されている。この作りは女性用と同じである。
今は貸しきり状態。
悠然とエドワードはシャワー室を使用している。
熱い湯が頭上から降り注いだ。エドワードは三つ編に結っているゴムをピンッと外して、長い蜂蜜色の髪を垂らした。熱い雨はエドワードの疲れた身体を芯から癒していく。「気持ちいい…」という言葉が自然と口から出てくる。
湯気と熱気でシャワー室全体が白い靄に包み込まれていく。
リザから借りたシャンプーはとても良い香りがした。ふわりと女性らしい柔らかな香りだ。入念に洗い流した後は滑らかな艶と輝きを保持する為にコンディショナーでしっかり手入れをする。洗い終わった髪を頭の上でくるっと束ねて、身体全体を洗い始める。泡立つスポンジが白い艶やかな肌を滑っていく。左肩から下へいくと少し小ぶりだが綺麗な形をした胸に辿り着いた。ツンッと上へ向いた乳房には桜色の突起が屹立している。世の男が見たら摘みたくなる代物だ。
格好は男のようだが、しっかり成長していたのだ。小さな子供ではない。女性の身体をしていた。しかし、エドワードはその部分を見下ろして顔を顰めた。
「やっぱり小さいかな。でも、でかすぎて垂れるよりマシだよな…」
それから更に彼女の視線は我が身体を見下ろした。
機械鎧を接合した継ぎ接ぎだらけの身体。鎖骨の部分には醜い傷痕。機械鎧だけの傷ではない。この身体はあちこち小傷だらけなのだ。エドワードの表情が急激に曇った。
――こんな身体じゃあ、大佐は嫌だろうな…。傷だらけだし…」
彼女は自分の身体を卑下していた。
恋する少女は叶わぬ夢を描くのだ。しかし、その身体を自分が直視すると夢は泡となって消える。
恋する少女は我が呪われた身体を両腕で抱きしめた。
熱い湯はほろりと零れる彼女の涙をすぐに消し去っていく。シャワーの水量を調整する。まるで自分の儚い想いを洗い流すように最大限にコックを捻った。
でも、両腕は自分の身体を抱きしめたままだ。もし、この腕があの男の腕ならばどんなに嬉しいことだろう。洗い流そうにも流せない想いは募っていくばかりだ。


*          *          *


「なぬ!? 清掃中だと…」
アルフォンスの目の前に姉の想い人が機嫌悪そうに立っていた。
それもそのはず、彼の黒髪は泥水に汚れていた。しかし、その理由も訊けないほど彼は憤怒していた。アルフォンスは、それを彼が背中に纏うオーラで感じ取った。
「大佐? そ、そうなんですよ。清掃中…」
彼もそれ以上の理由を言えない立場である。お互いがジリジリとにじり寄ったが、立場上強いのは勿論、ロイの方だ。
「退け! 私は早くこの頭を洗い流したいのだ! それから鋼の、と接見せねばならない! こんな頭を見せる訳にはいかん。君もわかるだろう!」
アルフォンスはどうすることもできず、ついに場所を譲ってしまった。何と情けない弟だ。しかし、彼なりに少し悪戯心もあったのだ。
バタンと扉は勢いよく開かれて閉じられた。
中に居るのは二人だけだ。それも姉と姉の想い人ロイ・マスタング大佐の二人。
さあ、これからどうなるのだ。アルフォンスは扉にへばりついた。
しかし、何故この大佐は此処に来る羽目になったのであろうか。まあ、軍法会議が終わり慌てて司令室に戻る途中にひと悶着あったのだろう。
世の中うまく出来ているものだとアルフォンスは感心した。


その頃、エドワードは熱いシャワーを浴びて火照った身体を冷ましていたのだ。少し逆上せ気味のようだ。頬は上気して桜色に変わっていた。
彼女はシャワー室に備え付けられているベンチに腰掛けていた。バスタオル一枚素肌に巻きつけて、左右色違いの脚をぶらつかせていた。
湿った蜂蜜色の髪からは水滴が真珠のように輝きながら重力に従って落ちていた。
「ふぅ〜熱い…。ちょっと長く浴びすぎた…」
首を天井に向けて蛍光灯の灯りを見上げていた。完全無防備な状態である。
その時、激しく扉を開閉する音がぼんやりしていた彼女の耳に入った。ふぅっと視線を上げると目の前に見知った男が立っていた。
それも、彼女が恋する男が眼前にいるのだ。エドワードの胸は震撼した。
お互いが一瞬、硬直した。先に金縛りから解けたのはエドワードだ。
「ぅぎゃぁ
――!!」
やはりタイル張りの浴室は甲高い声が響き渡った。それと同時にパニック状態の彼女は思い切り跳ね上がるように立ち上がった。バサバサと色んな音が交じり合う。
その結果。パラリ…と身体を覆っていたバスタオルが落ちた。
生まれたままのエドワードが男の前に姿を現した。
―――
男は無表情で彼女の横をすり抜けて、目的地を目指す予定が…。途中でパタッと足を止めて回れ右をした。それから、吃驚して固まっている彼女の方へ歩んでいく。ロイは視線をだけを斜め下に下げた。そこにはバスタオルが見えた。それを徐に掴むと彼女に手渡すため腕を伸ばした。
「君、落ちたよ…」
「………」
無表情で彼はそう言った後、またくるりと方向を変えた。後方では、慌しくバスタオルで身体を覆い小さく丸くなった金色の少女が喚き出した。
「な、何でいるんだよ!! このエロ大佐! 馬鹿、スケベ、エッチ…」
様々な暴言が彼女の口から吐き出された。
本来ならば、エドワードが此処にいる事がおかしな話なのだ。決して、ロイが悪い訳ではないのだ。それでも、彼女はなけなしのプライドを総動員して虚勢を張るしかなかった。
―――
返事が返ってこない。いつもの調子で罵声が返ってくると思っていたエドワードは真っ赤な顔を顰めた。
彼女が吃驚しているならば、彼も驚愕しているのだ。それも彼女の倍以上に驚いていた。唯、表情と態度に出なかったのだ。否、出せなかったのだ。
俄然、彼の中で何かが弾けたのだ。それが何かを今、必死に模索している。
ロイの眼は極度に視野が狭くなった。まるで、双眼鏡のレンズを覗き込む感じだ。それもそのレンズはある人物だけを針穴ぐらいの大きさで映し出していた。
――君の方が失礼だよ! ここは男性用シャワー室だよ。何故君がいるのだね? それにまな板のような身体を見ても私は襲ったりしないよ。はっはっはっ…」
「この馬鹿大佐! もう出て行くからこっち見んなよ」
ロイの声は棒読みだ。書かれている台本の台詞をそのまま読んでいる感じだ。視線もどこを見ているのか怪しいものだ。
だが、お互いがお互いを意識する余り他人の動静など気にもならない。
ロイは目的通り、洗面台の前に歩いて行く。その歩く姿も釈然としない。
エドワードは恥ずかしさで、ロイを見ることはおろか動くこともままならない。唯、口だけが戦慄きながら動いていた。心臓は早鐘を打ち鳴らし続けて、その心臓の音を止めたくて必死に胸を押さえていた。
――うぎゃ、服まで濡れたじゃないか! もうアンタの所為だ! 出て行けないよぉ…」
喚いたかと思ったら最後の語尾は涙声になっていた。
彼女が立ち上がった瞬間に色んなものが物が床に落ちて濡れてしまったようだ。最悪の状況にエドワードはベンチの上で小さく膝を抱えていた。恥辱感に苛まれて、涙さえ出てくる始末。それなのに、口は構いなく意味もない暴言を飛ばしていた。
その後方ではバシャバシャと水飛沫の音がしていた。彼の模索は続いていた。
一体、何がどうなったのだろう。ロイの心がピシピシと音を立ててゆっくり崩れていく。高かった障壁が崩れていく。
何やら動悸がするのだ。この動悸は何故するのだ。それがわからない。あの瞬間、彼の頭を過ぎった。それは、彼女はやはり女性であったという事だ。わかってはいたが、自分の認識が乏しかったように思える。だから、余計に動悸がするのだろうか。
彼の模索はまだ続く…。
「ちょっと待ちたまえ。服は私が乾かしてやろう…」
洗い終わった頭をガシガシと拭いながら彼女に近づいた。彼女は小さく背中を丸めて膝を抱えていた。ふわりと甘い香りがロイの鼻腔をくすぐった。その香りはどうやら彼女から醸し出されているようだ。
忽ちロイの視野が広がった。彼の色彩までも明るくなっていく。
目の前にはエドワードが居た。
彼女の濡れた蜂蜜色の髪から雫が落ちているのがしっかりと見えた。彼女の白い肌と機械鎧が見えた。白い肌に弾かれた真珠の水滴が光っていた。金髪で見え隠れする彼女の白い項が見えた。肩が小刻みに震えているのがわかった。その小さな背中が重い咎を抱えていることを知っている。細かな傷痕も眼に焼き付いていく。その傷がいつどこで出来たものか、ロイには手に取るようにわかっていた。
何もかもが、新鮮に見え始めた。
ロイの黒い瞳はしっかりエドワードを捉えていた。
視神経は脳へ伝令を出した。その伝令により大脳はロイに一つの鍵を渡した。鍵は彼の奥底に眠っていた感情を開ける物だ。
ロイはその鍵で迷うことなく箱を開けた。
――まだ、濡れているじゃないか」
ロイは湿った金色の髪を無造作に触れた。エドワードの身体にビリッと電流が走った。もう口を開く気力もなかった。抱えた膝に額をつけて小さくなっていた。
どうせ自分の不手際から始まったことだ。彼を責めることはできない。それでも、嫌われたくなかった。その想いだけが彼女の心を占めていた。
ワシャワシャと彼の手によって金色の髪が拭かれた。黙ったまま彼女はロイの手に身を任せていた。金縛りにあっているように指の一本も動かすことができない。シャワーを浴びて火照った身体がさらに熱くなる。
「いい香りだ…」
ロイの言葉にドクンッと胸が高鳴った。
荒々しく動いていたロイの手が止った。彼女の髪を拭っていたタオルがぱらりと床に落ちていく。エドワードはそれを横目で追っていた。
すると、背後から逞しい両腕が身体全体を包み込まれてきた。彼女は悲鳴を上げることも動くこともできなかった。
その腕を振り払うこともできない。少しでも動こうとするとギュッと力を込められた。
ロイの胸と重なり合った背中で彼の鼓動を感じていた。ドクドク…と胸は激しく上下していた。エドワードの胸も彼以上に鼓動が弾んでいた。
ロイの指が震えながら彼女の横髪を掻き上げて、形の良い耳を顕にした。その耳元にロイは口唇を近づけて呟いた。その声は威厳正しいものではなかった。どこか頼りない声色だ。
ロイは声を詰まらせながら小さく彼女に伝えた。
「……き、君に…恋した!」
ロイは胸の奥底で蓋をしていた感情をやっと言葉にしたのだ。エドワードの左手はしっかりロイの腕を掴み返していた。
燻っていた火種に焔が灯った。












サイト一周年記念作品です。
ロイエド子。当サイトで始めてのエド子ものです。これを期に増やしていけるかな?

桜 美由紀 2006/5/7
 2006/5/31再アップ
TOP  BACK