月の子






  〜 Moon Child 〜
 act.18



















中央司令部。
凛とした声色が緊張感を伝える。針金が入っているように姿勢正しく辞令を読み上げるのはホークアイ大尉。


「准将、恒例の視察です。場所は西方司令部です。それも長期になります」
―――


長い沈黙の後ロイはホークアイを黙殺した。
それから数秒後、マスタング准将の司令室に一陣の熱風が吹き荒れた。雪が毎日ではないが、降る日もあり一年を通して一番寒さが厳しい時期である。
本日の天気は曇り空でさっきまで雪がちらちら降っていた。
そんな季節なのに。熱風が…。司令部の部下達も「ご愁傷様です。准将」としか言い様がなかった。火種はもちろんロイ・マスタング准将。その右手に発火布。きな臭い匂いが充満している。
こんな時期に「長期視察だ。何て!?」ロイの頭はパンク寸前だった。
それもそのはず、彼が愛するエドワードは現在身重で八ヶ月目に入っている。特に彼の場合は通常妊娠、通常出産という訳ではなかった。出産までに漕ぎ着けるには、色々難儀を強いられていた。
それがやっと八ヶ月。大切に大切に育んでいる命である。
最近は週に一回定期健診に行っている。しかし、七ヶ月を過ぎた辺りぐらいから、胎児の成長は申し分ないのだが、やはり危惧していた母体の生体機能が徐々に低下している、と医師に診断されたのである。
だから、片時も離れたくないロイ・マスタング准将であった。


「私は行かんぞ!」
「駄目です!」
「君も遠慮ないね。絶対に行かない! 第一、あれの状態が…」
「その件は、私もよ〜くわかっておりますので、今回は色々手を回して見ましたが、全て却下されました。だから、行って頂きます。期間は約一ヶ月です」
「なんだと! 一ヶ月も駄目だ。絶対、駄目だ!」
「聞きわけて頂けない、と思いましたので差し出がましいようですが。エドワード君にこの旨を連絡させて頂いております。彼から了解を頂きました。早く視察に行って仕事を短縮して帰ってくるのが最善かと思います」
「ホークアイ大尉、君ねぇ…そこまで…」


ロイの秀眉はさっきまで怒りに吊り上っていたが、今では見る影もなくハの字に垂れ下がっていた。その上、エドワードの名を出されてしまい怒号していた声もすっかりしぼんでしまった。


「仕方がありません」
「あれは、何て言っていたかね」
「家でうるさく付きまとわれるから清々する。だから視察に行けだそうです」
「はぁ
――また、何故…エドはそんな事…」


盛大なため息と共に本日一日、仕事が手につかないロイ・マスタング准尉の出来上がりである。
司令部では2人の押し問答に聞き耳を立てている輩がくくく、と声を殺して笑っていた。だが、上官のあまりの落胆振りに疑念を抱く。ロイが席を外したのを見計らってホークアイへとすかさず、質問に行くのだった。


「何でまた、准将はあんなにしょげているんですかね?」
「まだ産まれるには随分早いし一ヶ月たってもまだ余裕じゃないでしょうか?」


ハボックは指を折りながら、月日を計算している。
ワラワラと仲間達が沈着冷静なホークアイに疑問を投げかけてくる。
彼らの熱意に彼女の表情も困り顔に変わっていた。彼らがそう思うのは仕方のない事だ。エドワードの妊娠、出産の経緯を詳しくは説明していなかったからだ。
この機会にと思い、彼女は大きく深呼吸して話し始めた。


「彼の身体はこの妊娠を継続するに至って余り容態が良くないのよ。そして、無事に出産できる確率が非常に少なくて。母体が危険に晒される場合があるそうよ。だから、准将は気がかりで仕方ないのよ」
「そんな
――始めから判ってたんですか? そんな大切なこと」


真っ先にハボックの慌てる声飛び出した。他の部下達の心にもそれは重く突き付けられる。
そんな賭けみたいな選択をあの2人は選んでいたのかと。
ハボック達に言い様のない気持ちが心の中を支配していく。衝撃的な事実に次の言葉が出てこない。室内は閑寂となる。それを打破するようにホークアイが声を上げる。


「2人とも、承知の上で出した結論よ。我々が口を出すことではないわ。」
「そんな
――


ロイのようにすっかり沈んでしまった部下達に元気づけるように彼女は声色をわざと高くして指示をする。


「そう思うんだったら早く准将に視察を終えて頂けるようにバックアップするのみだわ。さぁ、みんな頑張って仕事して下さいね!」


彼女の言葉に救われるようにゆっくりとだが、みんなに覇気が戻る。


「ああ、そうだな。今、エドはどんな様子何ですか?」


その言葉に安心するように緊張して身体に力が入っていた肩から力が抜けた。


「えぇ先程電話したらまだ大丈夫だからって。アルフォンス君もいるから」
「そうすっか。じゃあ准将が視察に行っている間、俺達もエドを見舞ってやろうぜ!」


「ああ、そうだな!」と、皆が頷く。そして自分達に出来ることはもう決まっていると、部下達は一斉に仕事に精を出すのだった。



*               *               *



「おっ…ロイ、おかえり」


明るい笑顔でリビングから、ひょっこり顔を出すエドワードはいつもと変わらない。元気で愛らしいの彼の姿だ。それでも心配事は後を絶たない。その上、今日は更なるショックを受けてロイは帰宅した。すっかり力を落している彼の顔はしょんぼり暗い。


「エドワード、ただいま。体調は…どうだね」


着ているコートをエドワードに渡しながらも彼の体調を気遣う。
もう、お腹も大きくなり動くのも苦しそうなエドワードは黄金の瞳でロイに微笑む。


「大丈夫だって…心配すんな」


最近は長い時間立っているのが疲れるようになっていた。そんなエドワードを気遣いロイは彼の肩を抱き寄せながらゆっくりとソファーへ座らせる。それから彼の顔を悲しそうにじっと見つめながら話す。


「私は明日から約一ヶ月視察に行かねばならない」
「うん。ホークアイ大尉に聞いたよ。行って来いよ!まだ大丈夫だからさ」
「だが…ねぇ…」
「毎日、ロイのそんな顔見てんの…オレ、ヤダぜぇ。なっ!」


ロイは背後からエドワードの両肩に抱きつく。「どこにも行かないでくれ」と、子供が強請るように。行くのは、否、出張するのはロイなのだけど。


「ロイどうしたんだよ」


エドワードを抱きしめながらも、お腹の「赤ちゃん」の胎動を感じたくなる。この不安を拭ってくれるような気がした。するりと迫出した場所に手を伸ばし、優しくロイはお腹を擦る。


「心配なのだよ。この前、貧血を起こしただろう。それに医師もちょっと注意するように言っていたから…」


声色を落したロイの言葉に自然とエドワードの瞳も下を向く。


「うん…判っているよ。アンタの言いたい事。守るから約束は…」
「エドワード
――愛しているから」
「うん。オレも…」


愛の囁きにエドワードの頬はほんのりと桜色に染まる。もう時期訪れるだろう春の風景のように穏やかで、そして麗しい表情を浮かべていた。そんな彼を独占できる自分に思わず自惚れてしまう。


「アルフォンスは?」
「ああ
――今、風呂だよ」
「そうか…じゃ、ちょっとだけ」


アルフォンスの目の前でやるのは気が引けるのだろう。ロイは、ソファーに座る彼の足元に跪いた。それから両腕を彼の腰に回し、そっとエドワードの大きなお腹に自分の頬をくっ付け声を掛ける。
温かいお腹。生命の息吹が感じられる場所。その胎動を直接肌で感じる。羊水の中で、ふわふわと浮かぶ我が子へロイは大切な指令を出す。


「ちょっと…行ってくるから。その間、エドの事を頼むよ」
「ロイ
――


仕事で疲れた身体を胎動が癒してくれるようだ。ロイは胎動と連動するようにゆっくり呼吸をする。そして彼の気がすむまで、エドワードのお腹に身を寄せていた。
そんなロイの姿をエドワードは、お腹の赤ちゃんと一緒に目を細めて見つめている。艶やかな黒髪を優しく撫でながら。




「アルフォンス、エドの事を頼む。急いで帰ってくるから」
「准将も気をつけて下さいね。兄さんの事は、今迄通り面倒見てますから」
「おい、おまえら! 何かオレの事、珍獣扱いじゃねぇーか。それ…」
「そんな事ないよ。兄さん」


にこりと微笑む笑顔が恐ろしい…。まるでウィンリィの再来だ、と思ってしまう。最近非常に似てきた2人だった。


「エドいいね。くれぐれも無理はしないように。あと電話を毎日入れるから」
「わかってるよ。ほら、行けよ。車、待ってるよ!」


マスタング家の朝。
本日は、いつもと違う出勤光景である。
家の主がいつまでたっても玄関から出掛けようとしない。「いい加減にしろ」と、言わんばかりにとうとうエドワードが玄関外に引っ張り出してしまう。


「エド
――ほんとに…」
「うざい! 行けって」


「まだやってるよ」と、2人を尻目にアルフォンスは極寒に震えながら欠伸を漏らしていた。エドワードは少し照れくさそうに。


「そう言うんだったら早く帰って来いよ。待ってるから赤ちゃんと2人で…」


その言葉に満面の笑みを浮かべ嬉々する。


「わかった。奇跡を可能しよう! 一ヶ月を二週間で帰ってくる」
「へいへい准将様。そんな事やってのけたらオレ様がキスしてやるよ」


ロイはいつまでも名残惜しそうに別れを惜しんで、やっと車に乗って行った。半分連行されたに近い。
その後、彼が本当に二週間で帰ってきたことは言うまでもなく。それに約束通りに毎日、ロイはエドワードに電話を掛けてきた。
毎日掛かってくる電話にエドワードはうんざりしていたらしい。しかし、ロイが帰ってきた時には天邪鬼な彼も素直に喜んでいたということだ。
強がりな彼もやはり不安を抱いている。


*               *               *


ロイが視察から帰って来てから、それを待っていたようにエドワードが体調を崩すようになっていた。確かにもう九ヶ月を過ぎ始めている。
季節も寒い冬空から解放されてゆっくりと春の訪れを待つように変化している。凍りついていた池の水も少しずつ溶け出し流れを生む。動物たちが冬眠から目覚め木々や花々がふわりと新芽を覗かせ始めていた。
3月。春はもうそこまで来ていた。


「エド…おはよう」
「う〜ん。はよ。ロイ…」


眠い黄金の眼を擦りながら朝の挨拶を交わし愛する人の顔を見つめ上げる。


「今日はどっちがいいかい? リビングがいいかね?」


ロイはゆっくり重くなった身体をベッドから抱き起こしやる。お腹はもういつ産まれても良いぐらいの大きさ。だが、通常の妊婦に比べてそれでも小さい目らしい。
それに腹を立てるエドワードは可笑しく、そして可愛らしかった。彼は「小さい」という言葉にコンプレックスを持つ為か非常に気にしている。
医者と看護士はそれを笑いながら「小さく産んで。大きく育てる。これでいいんだよ」と、彼を慰めていた。それでもエドワードには不満らしい。頬をぷっくりと膨らませてブツブツと文句をいつも言っている。
寝起きでぼぉーとしている彼のこめかみに優しくキスをする。その場所を照れながら撫でるエドワード。
「今日は幾分具合も良いみたいだ」と、安心するロイがいる。視察から帰ってから体調を崩すようになったエドワードは寝室のベッドとリビングの窓辺に置いているカウチで寝たり起きたりの生活をしている。
本来ならば出産に向けて体力をつけ、運動をした方が良い時期なのだが医師に厳しく止められ安静を言い渡されている。やはり母体の生体機能が低下していると診断された。恐らく「難産になるだろう」と、そして「覚悟」も必要だと言われた。
悲しいがこれが現実である。

その選択を選んだのも自分とエドワードであったから。
だが、今でも思う。全てを守りたいと願う。エドワードもお腹の子も絶対に失いたくない。
自分が哀愁の瞳でエドワードを見つめていると、決まって彼は「大丈夫だから」と、私に言ってくれる。その彼の黄金の瞳も揺れているのを私は知っている。けれども、その悲哀な瞳に気づかない振りをしている。その代わりに自分の全ての愛情を注ぐようにエドワードとお腹の子を抱きしめる。
そして、いつかの月輪の月に願う。
大切な人を…そして、かけがえのない小さな生命を連れて行かないでくれと。




「そうだなぁ。今日はリビングに居ようかな」


まだ、寝起きで掠れた声だが、エドワードの明るい声がロイの胸に温かく波紋を広げていく。ゆっくりと立ち上がるのを手助けしながら身体が冷えないようにとカーディガンを肩にかけてリビングに連れていく。
いつもの、変わらない朝。
エドワードは、毎日ロイの優しさに包まれている。時折彼の黒曜石が揺れる事がある。それは見なかったことにしている。
その瞳を見つめると、自分が泣きたくなるから。
もうしばらくで「赤ちゃん」が産まれる。ロイの赤ちゃんだ。欲しくて、欲しくて堪らなかった。ロイが悲しむ事になろうとも命を懸けて産みたかった赤ちゃん。
ロイを悲しませたくないから出来ることならば「オレも赤ちゃんも無事に」と、願う。
全てを願う。欲張りすぎだろうか。月に願う。あの時と一緒に。
最近、体調が悪くなってから寝室のベッドから月を眺めながらこんな事を思っていると、決まってロイは哀愁を含んだ黒曜石の瞳で自分を抱きしめる。
そして、一言呟く。


「どこにも行かないでくれ。エドワード」


切なく抱きしめてくる温かい両腕。


「オレ、どこにも行かない。アンタの傍にいるよ」


時折、お腹が張り続ける痛みを一緒に擦ってくれる優しい手。いつまでもいつまでもこうしていて欲しかった。心が癒されるから。
強気に「大丈夫、安心しろ」と、ロイに言うけれど、本当は自分の方が緊張と不安で毎日、胸が押し潰れそうで怖かった。
独りの夜。不安に絶えられず涙を流しながら「赤ちゃん」が眠るお腹に触れ続けていた事もあった。
だから、このままロイに抱かれ続けて体温を感じると赤ちゃんも自分もとっても安心していられる。


春は、刻々と近づいてくる。エドワードのお腹の小さな生命も成長を続ける。
そして、その日は突然やってくる。













シリアス風味の「月の子」です。でも、壁紙はピンク。
次回「act.19」さぁ、山です。だから壁紙はブルーです/汗。すみません。怒られる内容かもそれでも付いて来てくれると嬉しいです。アップは未定だけどね。
本編の前に「エピソード」を1話考えてます。「長期出張でいないロイを思うエド」て感じ。リクありがとう繭良さん♪

桜 美由紀 2006/3/26 2006/4/12











   
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