月の子
〜 Moon Child 〜 act.14 後編
程なくして医者が看護士と一緒にやってきた。
不安で堪らないロイ達に彼らは心配はいらないと告げるのだが、そんな気休めの言葉では
どうにもならない状態であった。そんな彼らをよそに医者は皺々の笑顔をロイ達に向けて
エドワードを診察するために部屋に入っていった。
リビングでは不安を隠しきれないロイが頭を抱えている。もっと、早くに気付いていれば
良かったのだと思い悩んでいるのだ。悔しさで頭を抱え込むロイの手に自然と力が
入ってしまう。
その様子をリビングのソファーにゆったりと腰掛け、じっくり観察するようにイズミは
黙って彼を見ていた。
そんなイズミの落ち着きようには、ロイもアルフォンスも唖然とならずにはいられない。
彼女の態度は経験の上からの自信なのだろうか。エドワードも子供も大丈夫だということを
身を持って理解しているというのだろうか。
それでも、刻々と静かに時は過ぎる。
ガチャリと扉が開く音にロイは鋭く反応する。医者の姿を確認するが、思う事は最悪の
言葉が医者の口から告げられないことを祈るのみである。
ロイは縋るような瞳で医者に尋ねる。
「医者、どうなんですか。エドは、子供は…」
医者の表情は、いつもの顔で判断のしようがない。こちらばかりが苛立ってしまう。
一刻も早く無事だという言葉を聞きたいのだが。
「危ないところだったが、もう大丈夫だ。切迫流産じゃよ。ちょっと、出血が多かったので
驚いたのだろう。1、2週間安静にしていれば大丈夫じゃろ。興奮しているのでな、薬で
今は眠らせておる」
医者の「大丈夫」という言葉にロイの表情がぱっと明るくなる。
今迄生きた心地がしていなかったからだ。一気に肩の力が抜け落ちる姿が、その場にいた
イズミ夫婦やアルフォンスにも伝わる。
「あ、それではエドも、子供も大丈夫なのですね!」
「ああ、くれぐれも安静にな。ベッドの上での退屈な生活じゃがな。しかたあるまい…」
医者の説明もそこそこにロイの頭には、エドワードと子供が無事であるという言葉のみしか
耳に入っていない様子である。
「ありがとうございます…」
そう、言ってすぐさまエドワードの眠る部屋へと行こうとするロイをイズミの低く唸る声が
その行動を止める。
「おい、湿気ったマッチ棒とアル。おまえ達ちょっとエドの所に行く前にそこへ並べ!」
「へっ…、師匠なんでぇ〜」
「あのー、エドワードの傍へ…」
明らかに、イズミの顔には青筋が表れている。その上先程まではマッチ棒で字は通っていた
が、今では「湿気ったマッチ棒」と名が変わっている。2人とも、早くエドワードの顔を見たい
というのに、何故なんだ。ぶつくさと言われるままに2人は並ぶのだったが。
「うるさい!だまれ――!」
と、激しく怒鳴られながら2人一緒に殴り飛ばされてしまった。まぁ、アルフォンスは
今迄の経験上なれていることであったが。まさか、ロイまでも一緒にと張り飛ばされるとは
思ってもいなかった。もちろん、ロイ自身も驚きのあまり言葉にさえ出来ずにいる。
「――― …!?」
「師匠―― …」
「オイ、何だ!おまえ達の不甲斐なさは。見ておられん!オロオロするばかりで、情けない」
「あ、すみません…」
2人そろって頭を下げる。エドワードと赤ちゃんが無事である事を知らされた、今になって
言える事なのだが、確かにその通りだ。イズミが来ていなければ、まだまだバタついて
いたに違いない。
「特に、マッチ棒!おまえに言いたい事があって、今日ここへやって来た!」
「すみません…。まだ、挨拶もなしに。先程は、助けて頂きありがとうございました」
ロイは素直に非礼を謝り、頭を深々と下げる。だが、そんなこともお構いなしにイズミは
言いたい事、伝えたいことを率直にロイに突きつける。
「オイ、エドが妊娠して出産するまでにどれだけの負担が掛かるかわかっているのだろう」
十分承知していたことだ。それでも、奇跡に近いエドワードのお腹の子供がいとおしくて
たまらなくて2人で出した結論。
「はい…」
「それを、承知でおまえ達は子供を願うのだろう!ならば、もっとしっかりしろ」
「――― …」
ロイは、イズミの言葉に口唇を噛み締める。確かに彼女の言う通りなのだ。何も出来ない
ばかりで、悩んでいる癖にいざ、先程のような事態になるとどうして良いのやら。
気ばかりが焦ってしまい、肝心な事がおろそかになってしまったのである。
イズミに言われた言葉を思慮深く思うロイの真剣な表情をイズミは、しっかりと目に
焼きつけた。エドワードのことを大切に思うが故の、その黒曜石の瞳。
その瞳は、色は違えども先日のエドワードと同じ瞳をしていた。
2人が愛し合う瞳だ。そんな瞳を向けられれば、もう何も言うことはできないとイズミは
わかっている。
イズミの肩の力がふうーと抜かれていく。彼女の表情も柔らかになっていく。
「あんな、身体の上に…。無鉄砲なエドの事をおまえは愛しているのだな…」
「もちろんです!」
ロイの瞳はしっかりイズミに向けられる。彼のことを愛している事だけは、誰にも負けない。
真実の愛の上に、成り立っている事を証明するような澄み切った瞳。
イズミは、その瞳をじっと見つめる。何だか、エドワードとロイの2人の瞳にあてられる
ような感覚を感じる。
「エドの事――、頼む。もう、行っていいぞ!傍にいてやってくれ…」
ここで始めて、イズミはロイのことを認めるように彼におだやかな笑顔を見せた。大切な
我が子の将来をロイに頼む母親の顔だ。ロイにもイズミの気持ちが伝わる。
絶対にエドワードとお腹の子供を大切にすると新たな決意を燃やした瞬間であった。
そして、再度気付かせてくれてありがとうと思う気持ちで一杯になる。
「はい、大切にします!ありがとうございます」
ロイはイズミの気持ちをしっかり胸に刻み込み。それから彼女にもう一度頭を深々と下げて
エドワードの元へと行く。
その後を追うように、アルフォンスも部屋へ行こうとするが。
そこで、ストップがかかった。
「オイ、アル!おまえはしばらくここにいろ」
「えっ――?何で、ですかぁー。僕だって兄さんの事が心配だ。ちょっと顔見るぐらい…」
「おまえは、私にお茶も出さんのかぁ――!」
「あ、はい…。忘れていましたぁー。慌てていたから〜」
アルフォンスは、ぽりぽりと頭を掻く仕草をする。彼にも、やっと余裕が出てきたのだろう。
いくらしっかり者のアルフォンスと言わていようが、なかなか身近な者の窮地には対応が
うまくいかないのだろう。いや、いってしまうとロイの立場がないのだが。
「ふん…。しばらく2人にしてあげな。それぐらい気を効かせろ。修行がなっとらん」
「う、ううう…。そんなぁー、修行とは関係ないですよー」
「うるさい!あ、ああー、そうだ!晩飯もよろしくな。アル!」
「――― はぁ〜い…」
エドワードとアルフォンスのさすが師匠である。借りは作りたくない存在だ。だけど、
彼女のおかげで事なきを得たようなものだ、とアルフォンスはイズミ達のために手料理を
作るのであった。
しかし、そこは師匠。あれこれと口を挟むうちに結局、イズミとアルフォンスの共同作業と
なったのは言うまでもなく。出来上がった豪華なディナーをこの家の主をそっちのけに
3人でムシャムシャと競うように食していた。
この場にロイがいなかったことは幸いだったかもしれない。
それは恐ろしい食事風景である。その場を目にしたものは、胸焼けを起こすのは間違いない。
* * *
ランプの灯が薄明るく灯されている部屋に静かにロイは入る。
エドワードの眠りを妨げないようにベッド傍の椅子に腰掛けた。ベッドには顔色悪く
横たわるエドワードの姿。左腕には点滴が施され、額には薄っすらと汗が滲み出し張り付く
前髪が痛々しく感じてしまう。さらに、枕元に置かれた力ない右手が心もとなく見えてしまう。
ロイはベッドサイドに置かれている洗面器から濡れたタオルを絞り、彼の額をそっと拭って
やる。なるべく起こさないようにと、慎重に。
ひどく怯えていたエドワード。泣いていたエドワード。震えていたエドワード。
彼の胸中を思う、と先程のイズミの言葉を思い出してしまう。
エドワードの投げ出された右手に優しく指を絡ませる。私は、ここにいるよ。もう心配は
いらないと。指先から気持ちを伝えていく。
そして、ロイはゆっくりと医者に無事だと言われたお腹をそっと撫でる。本当に良かった
無事でいてくれて不甲斐ない父親を許してくれ、とロイは子供に語りかける。
すると、金色の睫がふるふると震えながらエドワードの金色の瞳が開き始めた。
「ん、う〜ん…」
「エド…。すまない、起こしてしまったかい…」
目醒めてもどこかぼんやりしている彼はまだ、状況がわかっていないらしい。
ゆっくりと声がする方へ顔を向け、虚ろな視線がロイの顔を映し出した。それから大きく
瞳を開かせて驚いたように身体を起こそうとする。興奮していると医者が言っていた
通りの彼をロイは、やさしくベッドに寝かしつける。
それは、小さな子供をあやすように優しく。
「あっ、あ…!!ロイ、赤ちゃんは、赤ちゃん。オレの赤ちゃんは…」
エドワードの金色の大きな瞳からポロポロと涙が零れる。その涙をロイの手が優しく
拭っていく。それから、ロイの手は血色を失っている頬に温もりを与えるようにそっと頬を
撫で、髪を梳いてやりながら。
「落ち着いてエドワード。大丈夫だから。子供は無事だよ」
子供は無事だと聴かされてもなお、彼はなかなか信じることができない。相当ショックが
強かったのだろう。エドワードは涙声で何度もロイに聞き返すのであった。そんな彼に何度
も何度も「子供は無事」だからとロイは優しく話しかける。
「――、ホント。ロイ、赤ちゃんは…」
「ああ、ちゃんと君のお腹の中にいるよ。しばらく安静に、だそうだ。良かったな。エド…」
「うん、うん…」
「だから、泣かないで。さぁー」
赤ちゃんが無事であることを理解し始めたエドワードから、身体の力が抜けていきやっと
落ち着きを取り戻していく。ロイは、まだぼんやりとしている彼の頬や髪を優しく
さわっていく。
エドワードの身体はそれに身を任せる。ロイの優しく温かな手に、身体と心がゆっくりと
癒されていくのであった。
「エド、まだお腹痛いのかい…」
ロイの手に安心してゆるりと瞼を閉じているエドワードに小声で話しかける。眠りを
妨げないようにと思いつつも、自然と口から言葉が出てしまう。だが、ロイの言葉に
反応するように気だるい身体でゆっくりと顔を彼に向ける。
「う〜ん…。ちょっと、ね。あの時よりはマシだけど…」
「そうかい。すまないね。君にこんな思いをさせてしまって」
「ロイ…」
「は、ははは…。君の師匠に殴られてしまったよ。不甲斐ないって…」
頬には赤く殴られた痕がうっすらと残っている。目を細めるようにその部分をエドワードは
見つめ彼の右手が、ゆっくり持ち上げられてロイの頬にそっと触れる。
痛みを分かち合うように触れるエドワードの手を、その上からロイの左手が重なるように
そっと握り締める。
「――、ごめんな、ロイ…。痛かっただろう」
「大丈夫だよ。君の痛みに比べれば大した事はない。それに、アルフォンスも一緒に殴られ
てしまったよ。は、はは…」
苦笑いを浮かべるロイに、エドワードもつられる様に薄っすらと笑みを返す。
そして少し嗄れた声だが、ゆっくりと言葉をしゃべる。
「…そうなんだ。やっぱり殴られちゃったのかぁー」
「ああ…。もっと私は強くならないといけないね。君とお腹の子を守るために…」
「えっ、十分だよ。ロイは…」
「まだまだ、だよ」
そう告げる。優しいロイの瞳をエドワードは目を細めて見つめて思う。
この人に全てをまかせよう。全てをこの人に捧げようと。赤ちゃんも自分もこうして
生きていられるのは彼がいるからだと。
「うん、じゃぁー、頼んでいいか…」
「ん、どうした。少し眠ったほうがいいのだが…」
「ロイの手、温かくて気持ちがいいからオレも赤ちゃんも。だから、こうしていて…」
そうエドワードは言いながら、毛布の中にロイの手を導く。それから、そっと自分のお腹に
彼の手をのせる。
「いいよ。そんなことぐらい。私の手で子供もエドも元気になるのならば嬉しいことだな」
「うん――、ロイの手すごい気持ち…い、いいから…」
ロイはなだらかに円を描く彼のお腹を優しく撫で続ける。それに安心するように、うつら
うつら、とエドワードは眠りの森に入っていく。
エドワードが深い眠りにつくまでロイは彼と子供を大きな手で包み込んでいた。
愛しい我が子と、エドワードの為にだったら私はいくらでも君達に愛情を捧げるだろう。
それは、一生をかけて。
それほど、エドワードの存在は私にとって至宝の宝物だから。
まさか、私の元に来てくれるとは思っていなかったから。
まさか、私の子供を身籠ってくれるとは思ってもいなかったから。
ただ、ずっと願い続けていた、だけだったから。
それならば、エドワードに私のすべてを捧げよう。愛する君のために。
やっと穏やかな呼吸をしながら眠りにつくエドワードの寝顔を見ながらロイの心は
新たな決心をするのであった。
* * *
あの慌しかった日から、数日後。
「兄さん、イズミ師匠が来ているけど、大丈夫…」
ひょっこり部屋の扉から顔を出すアルフォンスにベッドの中からぼんやりと頷く。
「あ、うん…」
と、いうよりもう入ってきているイズミなのだが。
「あぁー、そのまま。寝てなエド…」
身体をベッドから起こそうとするエドワードにやんわりという。まだ、エドワードの腕には
点滴が施されている。危険な状態から脱したばかりだが、身体は絶対安静を言い渡されて
いる。しばらくは、ベッドの住人となるしかないエドワードだった。
「どうだい、具合は」
「あ、だいぶんいいって…。しばらくはベッドの中だけど」
「そうかい。まぁ、無事だったからいいじゃないか」
「うん、もちろんさ。あ、師匠この前、ありがとう…」
「何、あらたまっているだい。あいつ等が余りに使えないんでな」
「は、ははは―、そりゃー、かわいそうだよ」
エドワードの笑顔を見てほっとする。あの時は泣き崩れていてどうすることもできなかった
から。やはり、エドワードは今みたいに笑っている方が良いと思うイズミだった。
「もう、大丈夫そうだな。ダンナは優しくしてくれるかい。エド」
「/// あ、ああ…うん、ウザイぐらい〜。もう、あれも駄目これも駄目って…」
「は、ははは…。そうかい。心配しているんだよ。そのまま、させておけ」
「えぇぇ―、つまんねぇーよ!オレ…」
「仕方あるまい。そういう生き物だ!アイツは…」
「う、…」
穏やかな会話が明るい部屋で交わされる。こんな会話ができるようになって本当に
良かったと誰もが思う。悲しい出来事は、もう十分味わったから。
「エド、ダブりスへ帰るよ」
「もう、帰っちゃうんですかぁー」
「当たり前だ!肉屋はそんなに長期休業しておられんからな。肉の買い付けも
終わったしな。あ、そうだ、うまい干し肉送ってやろう!」
「わぁーい、師匠家の干し肉めちゃ美味しいもんね。だけど残念だね、兄さん…」
「う、うん。あ、そうだ!師匠、あ、あのさ…」
エドワードは、照れ笑いしながら言葉をつまらせる。そんな彼に、いぶかしい顔を見せ
何だ、早く言えとイズミはせかす。
「あの、さ。赤ちゃん産まれたら。師匠、抱いてくれよな!」
エドワードの言葉に思わず瞳に涙がたまる。この手にもう一度赤子を抱かせてもらえる
という幸せを。この子がイズミのために今一度与えてくれると言っている。
彼女はエドワードとアルフォンスにわからないようにすっと天井を見つめる。
そうでないと、涙が零れそうで堪らない。何て嬉しい言葉を言ってくれるのだろう。
そして、上を見上げたまま彼女は。
「今度は、ちゃんと連絡よこすんだよ!産まれたらすぐに、だよ!」
「うん、もちろんさ!抱いてくれるよね。師匠」
エドワードは、少しオドオドしながらイズミにもう一度伝える。イズミに会って本当は
一番に伝えたかった、お願いしたかった言葉だ。
そして、この言葉はなかなかイズミにいえなかった言葉でもある。
「ふん、あたりまえさ!私達の孫みたいなもんだからね」
「ありがとう。オレ、頑張るからさ」
「ああ…、くれぐれも身体に気をつけるんだよ。エド…」
イズミは表情を見られないようにエドワードをぎゅっと抱きしめるのであった。
思う事は、無事に産まれますように。
自分と同じ思いをこの子に味あわせたくない。
ただ、それだけ。
彼らにはわかっていた。イズミの深い思いが。エドワードの身体を抱きしめる彼女は
ちょっぴり震えていたから。
イズミ師匠に赤ちゃんを抱かせてあげたい。できれば、自分達の子供を、と昔からそれは
思っていた。特にエドワードはこんな両性体の身体だから望めないと思っていたけれども。
願っていた。
思い続ければ、願いは叶えられる。
願いを持つことぐらい良いだろうと思っていたから。
はい、長い「act.14」でございました。当初の計画にはなかったのですが。
はぁー、書いちゃいました。「赤ちゃん」は無事ですよ。
@イズミ師匠からの檄をもらうロイが、書きたかったらしい。
Aイズミ師匠を登場させたかったらしい。
Bエドの事を宥めるロイを書きたかったらしい。
で、出来上がった「act.14」です。
次回は、砂糖多目。非常に甘いコーヒーの予定です。
まだ途中を製作中。話の筋は出来上がっております。とある部分をまだ書いてません(笑)
桜 美由紀 2005/11/6
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